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日本の景色はいかにして築かれたのか? 「建築の日本展」から、日本建築史を俯瞰する【2/2ページ】

現在をとらえるための建築展の可能性 

展示風景より。写真手前の左右が北川原温《ミラノ国際博覧会2015日本館 木組インフィニティ》(2015)の再現 撮影=来田猛 画像提供=森美術館

 このように日本の建築を取り巻く状況は、複雑かつ多元的である。そう思いながらこの展覧会を見てみると、改めて気になるのは、この展覧会が「ものすごく滑らか」であることだ。例えば私が面白いと感じた展示物たちは、専門的な観点での発見を促す事物であり、建築の知識や興味なしに面白いと感じるのは困難であろう。言ってみれば私はサブカル的、オタク的に展覧会に埋没している状態だ。

 かたや、ライゾマティクスの展示や北川原温の木組は、インスタレーション的な楽しい展示である。子供たちでもこのふたつの展示を大変に面白がっていた。現代建築家の作品展でもあり、古建築の学術的な復元模型もある。まるで別の展覧会がいくつも同居しているような状態なのだが、それらがじつに滑らかにつなげられている。

 なぜこの「滑らかさ」が気になったかというと、5歳になる息子にいろいろと質問をされながら鑑賞していた際、時代背景に関係なくランダムに並べられた展示品の説明が、どうしてもこれとこれが「似ている(類似)」とか、これはこれから「学んだ(引用)」とか、この人が「こう言った(宣言)」というようにしか伝えようがなかったというのがある。時代背景が飛ぶので、背景から説明するのはハイコンテクストすぎて難しく、目で見てわかることしか伝達ができなかった。また、宣言を検証することは少ないサンプルでは困難で、一方的に受け入れるか無視するしかない。多種多様な人が見どころを発見できる展覧会にはなっているが、見どころに注目しすぎて、本当のところどのように日本の現代建築家が苦闘しているのかとか、「日本の建築の性質」というような抽象的・精神的な問題には、向かっていないように思える。それぞれが見たい方向へ別々に向いている。それはおそらくキュレーター陣の企画意図からはズレている。

 学生のとき、建築史家の井上充夫の『日本建築の空間』(鹿島研究所出版会、1969)を初めて読んで、私は本当に驚いた。井上は、「空間という概念が存在しない時代の建築」を、「空間」という言葉で通史的に俯瞰してみせたのだ。井上の独創的で明晰な分析によって、日本の古建築が新しい理想的な秩序の文脈の中に置かれた。歴史的に物事を見るというのは、伝統と個人、世界と現在をつなぐ重要な糸口をつくるということだ。だから本展が考えたように、様式の通史にしなかったというのは共感できる。

 しかしながら、本展がとったようにテーマを多数見つけてきてグループをつくり、それぞれに源流を固定し、そこから「わかりやすく」「端的に」「濃縮して」関係性を伝えるという方法にはあまり共感しない。歴史意識を持つということは、瑞々しく過去をとらえる、過去の現在的瞬間に生きるということであると思うが、それは時空の距離、多様な伝統の秩序を飛び越えて関係性の矢印を引いて良いということを決して意味しない。わかりやすい関係性の定着は、むしろ過去を固定し、瑞々しさを失わせることにつながりかねない。そしてそれは現代建築家の作品に触れるときにも同じことが言える。現在つくられたからといって現在的瞬間を生きているわけではないからだ。

 いま、ここで私の脳裏に響くのは、かつてこの森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市展 戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」(2011)のシンポジウムに臨席していた建築家・菊竹清訓が述べた言葉である。

いろいろなことを「わかったこと」にしないことです。本当は「わかっていない」んです。わかっていないことをわかったつもりでいる。とくにいまの時代、建築家としてそれは許されません。わからないことをわかるように最大限努力する。それでもわかったつもりにならないこと、それが大切です。頑張ってください。(*4)

 どのようなことが可能だったろうか、とそういうふうに考えてみる(批評とはつねにつくり手の側に立つということだと私は考えている)。私はいっそのこと「ひとつの観点だけ」に絞り込み「しつこく」「徹底的に」文脈をつくるという方法に可能性を感じる。例えば空間ということでもいいし、架構ということでもいいし、庭園でもいいのだけど、日本の建築史を貫くしっかりしたテーマをひとつ選び、ひとつという制限をかけることで、現代から古典までの「膨大なサンプル」から様式史とは異なる新しい秩序を浮かび上がらせることになるのではないだろうか。

 100個も200個も同じテーマで展示品を集めようと考えたとき、それはおそらく見る側も大変に労の折れる展覧会になるだろうが、うまくやれば「過去の現在的瞬間に生きる」という歴史意識を身体的にダイレクトに伝える展示になりうるだろう。そして何より私がいいなと思うのは、失敗したとしても、過去と現在を同時になんとかとらえようという試みの難しさが可視化されていることになるので、子供から質問されたときにも一緒に考えることができるような、開かれた展示になるような気がすることだ。菊竹さんからの問いかけに未だわれわれは答えられていないのだと思う。

*1――『朝日新聞デジタル』「(評・美術)建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの 古今の様式知る格好の機会」 

*2――『建築討論』[201806 小特集:「建築の日本展」レビュー]黒瀬陽平「悪しき「遺伝子」のもたらすもの」

*3――第9回近代建築国際会議CIAM(1953)において結成された、アリソン&ピーター・スミッソン夫妻を中心とした若い世代の建築家グループ。56年の第10回会議において事実上CIAMを解体させた。CIAM解散後も、チームXのメンバーたちは81年までのあいだ不定期に会議を開催した。正式に宣言された組織や共通のマニュフェストを持たないが、互いに批評する目的で会議が行なわれた。様々な国から建築家が参加し、ブルータリズムや、オランダ構造主義、群造形などそれぞれのメンバーによる理論が交流。20世紀後半の世界の建築運動に大きな影響を与えた。

*4――『森美術館 公式ブログ』「世界デザイン会議」とメタボリズム 「メタボリストが語るメタボリズム」(4)より 

 

編集部

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