AdvertisementAdvertisement
2018.2.16

いまアーティストに何ができるのか。
毛利嘉孝が見た会田誠展「Ground No Plan」

大林財団による新助成制度「都市のヴィジョン」を受け、第1回目の助成対象アーティスト・会田誠の個展「Ground No Plan」が開催されている。東京・青山の地下2フロアを大胆に使ったこの展覧会で会田は何を提示しているのか? 東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授の毛利嘉孝がレビューする。

文=毛利嘉孝

地下2階の展示風景より © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径
前へ
次へ

反動的ポストモダニズムがもたらした相対主義とフェイクニュースの時代に

 地下1階と2階の2フロアで構成されている会場の下の階に降りていくと、白いプラスティックの上で柱に立てかけられていたタテカンが私たちを迎える。タテカンには「都市計画家も建築家もアーチストも何もやるな」と汚い字で殴り描きされている。日本を代表するスーパーゼネコン系列の大林財団が今年始めた助成事業「都市のヴィジョン」に選出された、アーティスト会田誠の都市をめぐる展覧会「Ground No Plan」の会場だ。この助成プロジェクトは、アーティストに「従来の都市計画とは異なる視点から都市におけるさまざまな問題を研究・考察し、住んでみたい都市、新しい、あるいは、理想の都市のあり方を提案・提言」(財団HPより)してもらう、というものらしい。

地下2階の展示風景より。手前がタテカン《何もやるな》

 冒頭のタテカンは、会田なりの「理想の都市のあり方の提案・提言」だろう。それは、「都市計画」と呼ばれている政治的・経済的プロジェクト全体に対するアーティストからの根本的な違和感の表明でもある。とりわけ2020年の東京オリンピックに向け、大規模な東京再開発が政府と東京都、そしてゼネコン主導で進められる中で、「都市計画」という概念そのものを批判的に問い直すこと。今回の会田の展示は、まずはこのことに向けられている。途方もなくくだらないことに徹底的に真剣に取り組む、あるいは、途方もなく真剣なことを徹底的にくだらないやり方で見せるという会田誠の屈折した美学が存分に発揮された展示となっている。

 とはいえ、今回のプロジェクトで会田はアーティストとして「何もしていない」わけではない。むしろいかに「何もしないか」ということを示すために圧倒的に人的なパワーが動員されている。

地下2階の展示風景より © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径

 とくに今回の展示の中心をなす《セカンド・フロアリズム》のインスタレーションは圧巻だ。ぼろぼろの日の丸。《ネクタイ・ビル∞》が描かれた布のバナー。飛び散った瓦礫。そのまわりにはビデオ映像がプロジェクターから流され、安っぽいプラスティックの白い椅子が散乱し、積み上げられている。青山の瀟洒な街並みのビルの地下2階に突如、カタストロフ後の廃墟が出現しているのだ。それは震災と津波に見舞われた被災地のようでもあり、戦争で空襲を受けた都市の風景のようでもある。

会田誠 ネクタイ・ビル∞ 2018 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径

 なによりも印象深いのは、会場全体に書かれた(会田自身の言葉を借りれば)「吐くほど多い」手描きの文章である。会田は、2001年に、新宿御苑を露天風呂のついた渓谷へ変えるというプランを、イラストともに大量の文章をチョークで黒板に書くことで表現する《新宿御苑大改造計画》という作品を発表している。今回も地下1階で《新宿御苑大改造計画》は展示されているが、《セカンド・フロアリズム》は文章を氾濫させるという手法を会場いっぱいに広がるインスタレーションに拡大したものだ。すべて手描きからなる一連の「セカンド・フロアリズム(2階建て主義)宣言」と題されたテキストは、日本語が表意文字であることをあらためて思いださせる。

奥から《新宿御苑大改造計画》、《新宿御苑大改造計画》ジオラマ
会田誠 セカンド・フロアリズム宣言草案 2018 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径

 《セカンド・フロアリズム》とは、タワーマンション、高層ビルを中心とした都市開発に対するアンチテーゼだ。会田によれば「3階建て以上は人類の『身の丈を超えた奢り』」であり、かつては「一部の権力者の独占物」だった。彼が、住居として理想とするのはスラムやバラックに見られるような自分で建てた人間のサイズの家である。しかし、こうしたDIYの家屋の多くは1階建てであり、2階建てだ。ではなぜ、2階建てなのか。会田は続ける「だからセカンド・フロアリズムは「うーん…あと、もう一声!」くらいのこと。でも「一声以上の欲=(3階建て以上を望むこと)を出さない」ということである。「二階建てとは神に許されるちょっとした贅沢」と注釈が入っている。

会田誠 セカンド・フロアリズム宣言草案 2018

 殴り描きされた手描き文字がつくり出すコミカルな雰囲気を、ここで活字のフォントで再現することは難しい。全部読むのには時間がかかるが、巧みに書かれた文章は滑らかで、暴論も少なくないが、なるほどと思うところも多い。なによりも会田誠のアイロニーともユーモアともつかぬ黒い笑いが込められていて読んでいて飽きない。この会場で文章を読ませるという行為が、今回の展覧会を特別なものにしている。それは、ネットのブログやSNSに溢れる標準化された活字フォントによって書かれた文章を読むこととは異なる〈視覚〉の経験であるだけではなく、絵画や彫刻はもちろん写真や映像に溢れた最近のインスタレーション作品を観る経験ともまったく違う〈視覚〉の体験なのだ。それは、すべての情報がネットで得られるようにも感じられる現代社会で、いまなお空間を使ってアート作品を展示する意味を考えさせる。それは、写真や映像など新しいメディアを取り入れているようでいて、実際には鑑賞の経験の多様性を失わせつつある現代美術の傾向に抗する批評的な身振りでもある。

地下2階の展示風景より © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径

 展覧会のグローバリゼーションに対する態度にも触れておくべきだろう。手描きの日本語に溢れた会場は、一見すると日本語を理解できない外国人を拒絶しているように見える。けれども、手描きの文章以外は、じつは巧妙に英語話者に向けた展示がさまざまな形でされている。特に、地下2階の別室に展示されている《雑草栽培》は、栽培されている無数の雑草の周りを模型電車がくるくる回っている作品だが、その壁に書かれた坂口安吾の引用は英語のみであり、英語を理解しない人は内容がわからない。

会田誠 雑草栽培 2018 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径
会田誠 雑草栽培 2018 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径

 英語を公用語とし、日本のエリートと外国人を集める《NEO出島》というプロジェクトや、難民を受け入れて農業に関わってもらうことを主張した一連のツイートをまとめた《棚田で炎上》、安倍首相と思しき人物に扮した会田が英語で演説を行うビデオ作品《国際会議で演説する日本の総理大臣と名乗る男のビデオ》など、移民や難民、外国人を扱った作品も少なくない。おそらく日本語話者ではない外国人は、英語がわかればこの展覧会を全く別の展覧会として理解する多言語の仕組みを提供しているのである。むしろここで会田が問題にしているのは、英語による安易な言語の一元化であり、言語(や芸術)の翻訳の不可能性である。そして、それは、グローバル化のメリットを信じて疑わない最近の市場経済主導の日本現代美術に対する、静かではあるが断固とした抵抗の仕草なのだ。

会田誠 棚田で炎上 2018 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径

 「政治的」な、展覧会である。しかし、それは文章の中に最近の都市の再開発、ジェントリフィケーション批判やその根本にある資本主義批判が見られるから「政治的」なのではない。そうではなく、支援を受けつつ、しかもアートという枠組みの中で「今なおアートに何ができるのか」を徹底的に問い直し、アートと呼ばれる営みの限界、政治との境界線を精査しようとしているという点で「政治的」なのである。

 最近になってソーシャリー・エンゲイジド・アート(社会的に関与する芸術)やアート・アクティヴィズムなど直接政治や社会に関わる芸術実践が多くみられる。こうした近年の動向からみると会田はむしろ古いタイプの作家である。今回の展示は、政治や社会、ストリートの雑踏のイメージに溢れているが、会田自身は、近年のアートプロジェクトのように例えば市民と一緒に何か協働作業をしたり、政治活動に直接参加したりするわけではない。

 会田は徹底的に反社会的な孤高のオナニストなのだ。このことは、彼が現実の政治に本当に怒っていたり、絶望したりしていることとはまったく別の問題である。会田誠の問題は、かつてヨーゼフ・ボイスがそうしたように、いまではナイーヴにアーティストが政治に関与できないということにある。展覧会に設置された映像の中で、こう熱唱している。「ボイス ボイス あんたの時代はよかった アーチストがピカピカのサギでいられた」。

会田誠 アーティスティック・ダンディ 2018 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径

 反動的ポストモダニズムがもたらした相対主義とフェイクニュースが溢れる時代に、いま何ができるのか。先の替え歌はこうも歌っている「しゃべりが過ぎる愚民の口を さめたdisでふさぎながら 人類のビジョンを示す ほかに何もすることはない」。もちろん、ここには会田独特の偽悪的な言い方が含まれている。しかし、その表面的な軽薄さと裏腹に、現代社会、特に政治において「アーティストは何ができるのか」という問いに対して会田誠は誰よりも真剣に答えようとしているのだ。

 展覧会の会期は短い。いろんな意味で挑発的な展覧会である。論争を続けるためにできるだけ多くのひとに見てほしい。

地下2階の展示風景より © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影=宮島径