EXHIBITIONS
メカラウロコ「鮭らは海から川へ―フェミニズムの波を漂う―」
株式会社ゲンロン主催のアートスクール「ゲンロン新芸術校」の第6期金賞受賞者、メカラウロコによる個展「鮭らは海から川へ―フェミニズムの波を漂う―」が大崎THTギャラリーで開催される。4月16日から4月24日まで。
メカラウロコは大学で経営心理学を学んだのち、社会人向けIT教育の会社に就職。新芸術校6期生として現代美術を学び、CGを使った映像作品やインスタレーション作品を制作している。これまで発表した主な作品に《ファインディング・しゃけ》(ゲンロン五反田アトリエ、東京、2020)、《鮭女房-結(yui)-》(同、2021)などがある。
今回は、天井高のある2階建てギャラリーの構造を生かして展示を構成。初個展「鮭らは海から川へ―フェミニズムの波を漂う―」について、作家は次のように述べている。
「私は今、いわゆる『出産適齢期』を迎えている。鮭で例えるなら、産卵のためそろそろ海から川に戻る頃合いだ。今、私は川へ戻るかどうか悩んでいる。
鮭が海から川へ向かうのは、遺伝的特徴によるため、一見すると彼らは迷うことなく川に進んでいるように見える。しかし、鮭の先祖は元々川に生息していたらしい。鮭に個性があるとするならば、今の鮭たちの中には、私と同じように川へ戻るかどうか悩んでいる鮭もいるかもしれない。
ジュリア・クリスティヴァのエッセイ『女の時間』によると、女は、『歴史のような連続する直線的な時間』と『繰り返される循環的な時間』、その両方の中にいる。すなわち、フェミニスト第一世代のように男女平等を唱え、男性と同じように社会に出て生産活動をおこなうことと、第二世代の唱える男女の差をむしろ強調し、産み育てる循環的な再生産活動を行うことの両者が現代の女性の中に共存している。私たちはそんな二つの時間の波のなかで迷い漂っている。そういえば、小学生の頃に育てた鮭の稚魚たちはその後どうしたろう。東京の川に戻ってきたのか。
二つの時間の波のなかで迷い漂う『鮭』を題材として、本展では3DCG映像を中心にしたインスタレーション作品を展示する。そして建物全体が、川に戻って出産をする循環的な意思と、海を泳ぎ続ける直線的な意志のなかを漂い、双方を体験する空間になる。
波があるから、ここは海の中だろうか。それとも、川の中だろうか。はたまた、狭い井戸の中だろうか──。」
メカラウロコは大学で経営心理学を学んだのち、社会人向けIT教育の会社に就職。新芸術校6期生として現代美術を学び、CGを使った映像作品やインスタレーション作品を制作している。これまで発表した主な作品に《ファインディング・しゃけ》(ゲンロン五反田アトリエ、東京、2020)、《鮭女房-結(yui)-》(同、2021)などがある。
今回は、天井高のある2階建てギャラリーの構造を生かして展示を構成。初個展「鮭らは海から川へ―フェミニズムの波を漂う―」について、作家は次のように述べている。
「私は今、いわゆる『出産適齢期』を迎えている。鮭で例えるなら、産卵のためそろそろ海から川に戻る頃合いだ。今、私は川へ戻るかどうか悩んでいる。
鮭が海から川へ向かうのは、遺伝的特徴によるため、一見すると彼らは迷うことなく川に進んでいるように見える。しかし、鮭の先祖は元々川に生息していたらしい。鮭に個性があるとするならば、今の鮭たちの中には、私と同じように川へ戻るかどうか悩んでいる鮭もいるかもしれない。
ジュリア・クリスティヴァのエッセイ『女の時間』によると、女は、『歴史のような連続する直線的な時間』と『繰り返される循環的な時間』、その両方の中にいる。すなわち、フェミニスト第一世代のように男女平等を唱え、男性と同じように社会に出て生産活動をおこなうことと、第二世代の唱える男女の差をむしろ強調し、産み育てる循環的な再生産活動を行うことの両者が現代の女性の中に共存している。私たちはそんな二つの時間の波のなかで迷い漂っている。そういえば、小学生の頃に育てた鮭の稚魚たちはその後どうしたろう。東京の川に戻ってきたのか。
二つの時間の波のなかで迷い漂う『鮭』を題材として、本展では3DCG映像を中心にしたインスタレーション作品を展示する。そして建物全体が、川に戻って出産をする循環的な意思と、海を泳ぎ続ける直線的な意志のなかを漂い、双方を体験する空間になる。
波があるから、ここは海の中だろうか。それとも、川の中だろうか。はたまた、狭い井戸の中だろうか──。」





