EXHIBITIONS
ボイス+パレルモ
ヨーゼフ・ボイス(1921〜86)はドイツ・クレーフェルトに生まれ、第二次世界大戦以降のもっとも重要な芸術家のひとり。第二次世界大戦に通信兵として従軍し、ソ連国境付近を飛行中に追撃され瀕死の重傷を負うも現地のタタール人に脂肪を塗り込まれ、フェルトに包まれることで一命を取り留めた。この体験とそこで用いられた脂肪とフェルトがのちのボイスの制作における重要な「素材」となる。戦後は芸術家を志し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学んだ。
ボイスは「ほんとうの資本とは人の持つ創造性である」とし、人々が自ら意思を持って社会に参与する「拡張された芸術概念」「社会彫塑」を唱えて、社会全体に変革をもたらそうとした。1961年には母校の教授となり、多くの芸術家を育成。教育活動をはじめ、政治活動や環境問題までをも自らの問題として引き受け、「緑の党」の結党に関わるなど、広く公衆に語りかけ続けた。
ボイスはのちに教え子のひとりであるブリンキー・パレルモ(1943〜77)を、自身にもっとも近い表現者だったと認めている。既製品の布を縫い合わせた「布絵画」や建築空間にささやかに介入する壁画といった、パレルモが短い活動期間に残した抽象的な作品は、絵画の構成要素を再構築しながら、色彩やかたちの体験を通して、私たちの認識や社会的な制度に静かな揺らぎをもたらそうとするものだった。一見対照的な2人だが、芸術を生の営みへと取り戻そうと試みた点で共通していた。
両者の1960〜70年代の作品を中心に構成される「ボイス+パレルモ」展は、約10年ぶりとなる日本でのボイス展であり、公立美術館としては初のパレルモ展の開催となる。
本展では、ボイスの60年代の最重要作品《ユーラシアの杖》の日本初展示をはじめ、脂肪やフェルトを用いた作品、「アクション」の映像やドローイングなど、ボイスの作品の造形的な力と芸術的実践に改めて着目。日本ではまだよく知られていないパレルモについては、作品により近づきやすい視点の提示を試み、60年代半ばの初期作品から70年代の代表作である金属絵画までを振り返る。
ボイスは「ほんとうの資本とは人の持つ創造性である」とし、人々が自ら意思を持って社会に参与する「拡張された芸術概念」「社会彫塑」を唱えて、社会全体に変革をもたらそうとした。1961年には母校の教授となり、多くの芸術家を育成。教育活動をはじめ、政治活動や環境問題までをも自らの問題として引き受け、「緑の党」の結党に関わるなど、広く公衆に語りかけ続けた。
ボイスはのちに教え子のひとりであるブリンキー・パレルモ(1943〜77)を、自身にもっとも近い表現者だったと認めている。既製品の布を縫い合わせた「布絵画」や建築空間にささやかに介入する壁画といった、パレルモが短い活動期間に残した抽象的な作品は、絵画の構成要素を再構築しながら、色彩やかたちの体験を通して、私たちの認識や社会的な制度に静かな揺らぎをもたらそうとするものだった。一見対照的な2人だが、芸術を生の営みへと取り戻そうと試みた点で共通していた。
両者の1960〜70年代の作品を中心に構成される「ボイス+パレルモ」展は、約10年ぶりとなる日本でのボイス展であり、公立美術館としては初のパレルモ展の開催となる。
本展では、ボイスの60年代の最重要作品《ユーラシアの杖》の日本初展示をはじめ、脂肪やフェルトを用いた作品、「アクション」の映像やドローイングなど、ボイスの作品の造形的な力と芸術的実践に改めて着目。日本ではまだよく知られていないパレルモについては、作品により近づきやすい視点の提示を試み、60年代半ばの初期作品から70年代の代表作である金属絵画までを振り返る。