EXHIBITIONS

池田一憲「虚空蔵菩薩への祈り」

2024.10.08 - 10.27

池田一憲 法然と親鸞(蓮かぶり像) 2002 キャンバスに油彩 116.7 × 91 cm © Kazunori Ikeda, courtesy of MEM, Tokyo

 MEMで、池田一憲による個展「虚空蔵菩薩への祈り」が開催されている。

 本展は、島根県の山間部で長年農業に従事しながら絵画制作を続けてきた池田一憲による展覧会だ。展覧会タイトルの《虚空蔵菩薩への祈り》は、本展で初めて展示される、池田が長年かけて描いてきた油彩の題名でもある。

 池田は、島根県那賀郡旭町に1942(昭和17)年に生まれた。国鉄広島第一機関区に入社した頃から独学で油彩を描き始める。その後、実家の稲田を受け継ぎ農業をしながら絵を描いていた。その作品には、農夫として生活をする池田の目を通した山里の風景と人間、地方の歴史と民間伝承、仏教世界が自由自在に織り込まれている。

 哲学者の梅原猛は1965(昭和40)年、調査で訪れた島根県旭町の町役場にかかっていた絵を見て言いようのない衝撃を受けたという。それは、池田が19歳のときに描いた油彩《ふるさとを守る人》という作品である。

「あの石見の町で見た絵ほど私の魂に強い感動を与える絵が、私の一生涯に現れるかどうか、疑問に思うのである」と後年梅原は述懐した。その後池田は梅原によって画壇に紹介され、東京の青木画廊で個展を開催。美術評論家の末永照和は、1975(昭和50)年の『美術手帖』で「きびしい自然、農民の生きざま、民話と地獄図と怪異幻想のイメージを、緻密きわまる描写と、とざされた遠近法によって追いつめてきた」と池田の絵画を評した。同じ頃、画商で作家の洲之内徹は、島根の山間部の匹見まで池田を訪ねて行き、そこで「とほうもない人物」に会ったときの体験を芸術新潮に連載の「気まぐれ美術館」に執筆した。

 池田自身は画壇の喧噪とは離れたところに身を置き、自身の主題を抱え、画布に向かう日々をいまも続けている。

 本展では、貴重な初期作品である《ふるさとを守る人》、父と思われる農夫の大きな背中を幻想的な棚田風景に描いた大作《歩む》、そして新作《虚空蔵菩薩への祈り》を含め、池田一憲の絵画世界の魅力を一堂に紹介している。