EXHIBITIONS
北山善夫「脳の歴史の図」
MEMで、北山善夫による個展「脳の歴史の図」が開催されている。
北山は幼い頃から描くことに夢中になり、独学で絵画を追求してきた。しかし、大人になるにつれて生き生きとした自由な線が失われてしまい、一度絵画を断念する。1970年代終わりには描線の代わりに、小枝や竹や針金、糸などの素材を使った木製パネルのレリーフ作品を制作。やがて、パネルと一体であった線が空間に放り出され、竹と和紙による立体作品へと発展していった。
立体作品について北山は「人間が世界をどう獲得して自分の世界をつくってゆくのか、幼き者の世界のダイナミックな、しかし未分化な世界像に、芸術としての可能性を造形化した」という。素材を選び、組みあわせてつなげていくことは、形をとらえる感覚的な行為であり、「無意識という大きな世界」も問題としていた。
1982年、北山は第40回ヴェネツィアビエンナーレの日本館で大型の立体作品を展示し、同じ年に絵画制作に再び取り組み始める。絵画は「非常に意識的な世界である」と言い、再開し始めた頃は、画面の大きな空白に、小さな図像を描くことしかできなかったという。その構図は自分と絵画史全体に対する挑戦の関係図であった。そこから北山は、絵画の地と図の関係をもとに、人型の粘土の彫刻を平面に写し取った「偶像図」とオールオーバーな抽象画「宇宙図」の2つのシリーズへと進んでいく。
北山の制作は立体や絵画にとどまらず、化石や古物、古い新聞や書物、人形などを作品とともに展示要素に加えるインスタレーションにも展開された。
本展では、新作に加えて、絵画、立体、インスタレーションの3つの手法にまたがった制作の変遷をたどる。
北山は幼い頃から描くことに夢中になり、独学で絵画を追求してきた。しかし、大人になるにつれて生き生きとした自由な線が失われてしまい、一度絵画を断念する。1970年代終わりには描線の代わりに、小枝や竹や針金、糸などの素材を使った木製パネルのレリーフ作品を制作。やがて、パネルと一体であった線が空間に放り出され、竹と和紙による立体作品へと発展していった。
立体作品について北山は「人間が世界をどう獲得して自分の世界をつくってゆくのか、幼き者の世界のダイナミックな、しかし未分化な世界像に、芸術としての可能性を造形化した」という。素材を選び、組みあわせてつなげていくことは、形をとらえる感覚的な行為であり、「無意識という大きな世界」も問題としていた。
1982年、北山は第40回ヴェネツィアビエンナーレの日本館で大型の立体作品を展示し、同じ年に絵画制作に再び取り組み始める。絵画は「非常に意識的な世界である」と言い、再開し始めた頃は、画面の大きな空白に、小さな図像を描くことしかできなかったという。その構図は自分と絵画史全体に対する挑戦の関係図であった。そこから北山は、絵画の地と図の関係をもとに、人型の粘土の彫刻を平面に写し取った「偶像図」とオールオーバーな抽象画「宇宙図」の2つのシリーズへと進んでいく。
北山の制作は立体や絵画にとどまらず、化石や古物、古い新聞や書物、人形などを作品とともに展示要素に加えるインスタレーションにも展開された。
本展では、新作に加えて、絵画、立体、インスタレーションの3つの手法にまたがった制作の変遷をたどる。