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アルフォンス・ミュシャ

Alphonse Mucha

 アルフォンス・ミュシャはオーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア(現・チェコ)生まれの画家・デザイナー。1878年、18歳でプラハの美術アカデミーを受験するも不合格となり、翌年からウィーンで舞台装置などを専門とする工房で助手として働きながらデッサンの講座に通う。81年、工房の最大の取引先・リング劇場が焼失し、経営難のため解雇される。ミクロフ(現・チェコ南部)に移り、土地の名士の肖像画を描くことで生計を立てる。このときに出会ったクーエン・ベラシ伯爵がパトロンとなり、ミュンヘンの美術アカデミー、そしてパリのアカデミー・ジュリアンへの入学が実現する。

 パリに出たのは88年、28歳のとき。その1年後に伯爵からの援助が断たれ、小説などの仕事を受ける。無名の画家であったが、女優サラ・ベルナール主演の舞台『ジスモンダ』のために制作したポスターが瞬く間に人気となり、一躍時代の寵児となる。その後、代表作「四季」(1896)や「四つの花(花4部作)」(1898)といった季節の花をまとった優美な女性像の装飾パネルや、商業ポスターなどを手がけた。また、サラ・ベルナールの当たり役となった『椿姫』では、ポスターだけでなく衣装デザインも担当した。

 1910年、50歳のときに帰郷。後半生の約16年間を《スラヴ叙事詩》(1912-28)の制作にかけ、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を、大きいもので縦6×横8メートルにもおよぶ壮大な油彩画20点に大成させた。18年、チェコスロヴァキアが共和国として独立。新政府から郵便切手や紙幣のデザインを依頼され、国民的芸術家として認められる。39年、ドイツの侵攻を受けてゲシュタポに拘束され、数時間にわたる拘束の後に釈放される。持病の肺炎が悪化し、79歳で死去。日本では2017年、《スラヴ叙事詩》の全20点をチェコ国外では公開する展覧会「ミュシャ展」が国立新美術館で初開催され、延べ65万人を動員した。