マティスの鑑賞が楽しくなる、意外な10のエピソード

2023年4 月27日から、日本では約20年ぶりの開催となるマティスの本格的な回顧展「マティス展」が開催。そこで、マティス作品を鑑賞する際のヒントになるような、意外に知られていない10のエピソードを紹介しよう。

文=齋藤久嗣

1. マティスが絵の道を志した意外なきっかけとは?

 ボアン・アン・ヴェルマンドワというフランス北部の田舎町で、穀物商の三男として育ったアンリ・マティスは、幼少時からたびたび腸の病気で入退院を繰り返すなど生まれつき病弱な体質でした。マティスが絵に出会ったのは、20才の時に虫垂炎で入院した際、母親から病床で絵を描くことを奨められ、絵の具などの画材一式を手渡されたことがきっかけでした。そこで絵を描く面白さに目覚めます。

 退院後は父親の勧めに従って地元の法律事務所に就職しますが、絵の道があきらめきれなかったマティスは、本格的にエコール・デ・ボザール(パリ国立高等美術学校)への入学を目指して、パリへと上京しました。

 21才から絵の修業を始めて、世界的な巨匠へと上り詰めるマティスの人生は、まさに奇跡のようなサクセスストーリーと言っても良いでしょう。マティスの遅咲きのキャリアは、なにか新しいことにチャレンジするのに遅すぎることはないのだな、と私たちを勇気づけてくれます。

2. ブレイクするまで約15年。遅咲きの画家だったマティス

 偶然の出会いから絵画への道を志すことになったマティスでしたが、トントン拍子に売れっ子になれたわけではありません。プロの厳しさを思い知らされます。

 パリに出て絵画塾の名門アカデミー・ジュリアンでエコール・デ・ボザールへの入学準備を図りますが、入学試験は不合格。それでも何とか聴講生として潜り込むことに成功し、粘ります。正式に入学できたのは、画家を志して5年後の26歳のときでした。

 エコール・デ・ボザールでは、象徴主義の代表的な巨匠として知られているギュスターヴ・モローから指導を受けました。当初は静物画家を目指してルーヴル美術館で過去の巨匠の作品の模写に明け暮れます。しかしモローが死去すると、伝統的な絵画技法の限界を感じたマティスは、やがてアカデミズムの枠にとらわれない前衛的な画風に惹かれていきます。

マティスが1896年春の国民美術教会のサロンに出品した4点の作品のうちのひとつで、800フランで国家買上げとなった初期の代表作。モデルの女性は最初のパートナー、キャロリーヌ・ジョブローです

 ここから、加速度的にマティスの画風は変化していきます。まず、ピサロやラッセルといった印象派の画家たちから感化されて画面が明るくなると、続いて色彩と構図のバランスに優れたセザンヌの画風にも影響を受けます。

 さらにマティスは当時の前衛画壇で有力な画家となっていた新印象主義のポール・シニャックやアンリ=エドモン・クロスから点描技法を学びました。しかし緻密な点描スタイルは肌に合わず、マティスの新印象主義時代はわずかワンシーズンで終わります。

 新印象主義時代に獲得した鮮やかな色彩はそのままに、筆さばきを激しく変化させる様式へと変化しますが、この新たなスタイルは「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれ、フランス絵画界にセンセーショナルな衝撃を与えました。マティスはこのときついにブレイクを果たすことになります。画家を志してから、じつに15年もの歳月が経過していました。

画家のブレイク前夜に描かれた、本展の最注目作品のひとつ。マティス作品のなかでは数少ない「新印象主義」スタイルの点描技法で描かれたレアな作品です

3. 躍進を支えたのは外国人コレクター

 「フォーヴ」と呼ばれ、画壇にセンセーショナルな衝撃を与え、名前が売れたマティスでしたが、かつてクールベやマネ、モネといった前衛画家と同様、保守的な画壇からは非常に強い批判を浴びることになりました。

 しかし先達の画家たちと違ってラッキーだったのは、マティスがブレイクした20世紀初頭の絵画市場がより拡大・成熟していたことでした。フランス国内での評判は芳しくありませんでしたが、アメリカ人コレクターのスタイン家やロシアの富豪セルゲイ・シューキンなど、国外の有力なパトロンの獲得に成功します。こうして、マティスは長年の貧困生活から脱出してようやく人並み以上の生活を送ることができるようになりました。マティス展でもこうした外国人コレクターの旧蔵作品が数多く出品されています。

《豪奢、静寂、逸楽》の登場人物を再び登場させ、「フォーヴィスム」の次を目指して、プリミティブな造形表現で描かれた意欲作。発表直後の評判は決して良くはなかったものの、すぐにパトロンに買い取られました

4. 進化のきっかけはいつも「旅行」から

 マティスは生涯を通じて常に新たな表現を目指して様々な画題を探究しましたが、近代の多くの画家たちがそうだったように、「旅」から大きなインスピレーションを受けました。お金に余裕ができてからは、毎年のように海外へと出かけては、現地での太陽の光や見聞きした展覧会、交流した芸術家たちから影響を受けたのです。

 マティスはモネやゴッホのように戸外でイーゼルを立てて制作を行わず、旅先で描いた簡単なスケッチや自ら撮影した写真などをもとに、アトリエに戻ってから旅の記憶を思い出しながら絵を描きました。面白いことに、何年もあとになって、過去の旅での記憶が作品に突然反映されることもありました。半面、画家は旅先の土地にまつわる歴史や生活風俗にはほとんど興味を示すことはありませんでした。

5. 絵がすべての中心だったマティス一家

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