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酒井抱一

Hoitsu Sakai

江戸琳派を代表する絵師。1761(宝暦11)年、姫路藩主・酒井忠恭の孫として神田小川町に生まれる。幼少期に両親が相次いで他界し、12歳のときに祖父も亡くなり、6歳違いの兄・忠以が第2代姫路藩主および第16代雅楽頭となった。30歳まで大手門前の上屋敷で暮らし、兄とともに多くの文化人と交遊。俳諧、書画を嗜んだ。兄に男児が生まれ、家督問題から除外された抱一は、やがて姫路藩邸を出て市井に下る。静嘉堂文庫に伝わる『軽挙館句藻』と題した全10冊の自筆句稿には、この頃から晩年までに抱一が詠んだ句がまとめられている。また、尾形光琳、乾山の作品に引かれていくのもこの時期とされる。97(寛政9)年、37歳のときの出家は、必ずしも抱一の本意ではなく、吉原通いも終生続いているが、抱一の人生の転機であったことには違いない。1809(文化6)年に下谷根岸に落ち着くまでの十余年、江戸市中を転々とし、俳諧師としての実績を重ねつつ、絵画においては光琳の表現を独自に咀嚼していった。根岸の里では、俳諧と画作のほかにも、工芸品のデザイン、出版などを手がけ、15(文化12)年の光琳百年忌には、法要を営み、光琳遺墨の展覧会を開催している。雨華庵と名付けた根岸の庵居での晩年は、代表作を次々と制作し、かつて離反した大名社会からも高い評価を得た。時の文化人、一橋治済からの依頼により光琳の《風神雷神図屏風》の裏面として制作したのが、畢生の大作《夏秋草図屏風》(19世紀)である。28(文政11)年没。築地本願寺に埋葬された。