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運慶

Unkei

 運慶は鎌倉時代を代表する仏師のひとり。生年不明、1150年頃とされる。父は奈良仏師の康慶。運慶が活動した鎌倉時代初頭は、政権が貴族から武家へと移行し、政治や宗教においてだけでなく、芸術の分野でも新しい動きが推し進められた。鎌倉時代以前の彫刻界では、理想的な仏の姿を生み出し、和様彫刻を大成させた定朝の系譜に連なる京仏師、それに続いて奈良仏師が台頭。京仏師は定朝の柔和な作風に基づいた造形の定型化によって停滞し、いっぽう奈良仏師は仏の瞳に水晶をはめる「玉眼」という新しい技法を取り入れるなどして、現実的な表現へと歩み寄った。

 父・康慶に師事した運慶は、奈良仏師の技を学んで下地とし、25歳のときに現存最古作の《大日如来坐像》(円城寺、奈良)を手がけた。同じ奈良仏師の慶派に属しながら、運慶はしばしば快慶と対比される。前者は、一体一体に個性を感じさせる、肉体の質感や躍動感のある造仏を試み、後者は、敬虔な阿弥陀信仰と結びついて理想的な阿弥陀如来像の追求を続けた。両者は重源が大勧進を務めた東大寺復興において協働し、運慶の指揮のもと、南大門の両脇に《金剛力士立像》を69日間で完成させた。同作は運慶のもっとも有名な作品として知られる。

 現在、銘文や史料、作風から運慶作とされる仏像は全31体。うち、北条時政に依頼された《阿弥陀如来坐像》(願成就院、静岡)や、《重源上人坐像》(東大寺、奈良)などが含まれている。1223(貞応2)年没。