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岩佐又兵衛

Matabei Iwasa

1578(天正6)年、戦国武将・荒木村重の正妻の子として生まれたと伝えられる。信長による一族虐殺を生き延び、母方の姓である岩佐を名乗った。土佐派や狩野派の絵画を習得しながら、どの流派にも属さず京都で活動。1615年、大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡したのちは、福井に移住した。今日、又兵衛作と伝わるものの多くは、この福井在住時代に描かれたと考えられる。義経母子の悲劇と復讐の物語を描いた《山中常盤物語絵巻》(17世紀)などに見られる凄惨な描写が注目されるが、又兵衛、あるいはその一派の手によると思われる作品には、穏やかな源氏絵や遊楽図なども多い。現在では、《洛中洛外図屏風 舟木本》(17世紀)も又兵衛とその一派の作であると考えられている。 福井での又兵衛の評判は江戸にも届き、3代将軍家光の娘・千代姫の婚礼調度制作のため、37(寛永14)年に江戸に招聘された。千代姫の降嫁後も、川越の仙波東照宮の再建に伴い、拝殿に奉納する三十六歌仙額の制作を任されるなど、又兵衛は仕事を得て、そのまま江戸に滞在することになる。生前より「浮世又兵衛」の名で呼ばれていたと伝えられ、その名から浮世絵の開祖と見なされるようになる。また、英一蝶がその実力を浮世絵の菱川派に比肩するものとして認めていたという記録も残る。近松門左衛門による人形浄瑠璃の演目のひとつ『傾城反魂香』の中に登場する大津絵師・吃又平は又兵衛がモデルであり、早くから、その人物像が伝説化していた。50(慶安3)年没。