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櫛野展正連載11:アウトサイドの隣人たち ゲームこそ我が人生

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちにインタビューし、その内面に迫る連載の第11回は、関心の赴くままに独自の絵画世界を構築する、渡部敏昭を紹介する。

渡部敏昭が自費出版した、プラモデルの写真集『ホビーマン』。表紙にはガンダムの写真が使われている

僕が「ラッキーコーン」というキャラクターを知ったのは、2015年秋のこと。累計25万アクセスを超える公式サイトを通じて、作者の渡部敏昭(わたなべ・としあき)さんと連絡を取ること約1年。頑なに取材を拒否され続けていたが、念願がかなって、先日ようやくお会いすることができた。

現在54歳になる渡部さんは、広島県呉市の一軒家で暮らしている。取材のために人を招き入れたのは初めてとのことで、たくさんある部屋のうち1部屋だけを寝室兼アトリエとして使用している。

渡部によるイラスト。柔らかい色合いで、ポップなキャラクターが描かれている

小さい頃は、絵を描くというよりもオタマジャクシやミズスマシ採りに熱中する子どもで、母親の郷里である広島県西条町(現在の東広島市)までよく採取しに行っていたようだ。「なぜ人気のあるカブトムシなどではなく水生生物なのか」と尋ねたら、「水のなかで動く生物に三次元を感じたから」と答えてくれた。

高校に入ると、歌番組に熱中した。特に『ザ・ベストテン』(TBS系列)が好きで、友だちと曲の順位当て遊びをよくした。「わしゃあ、どうしても人に負けとうないけぇ、TBSにベストテンの順位を教えてくださいって電話かけたんじゃけど、ぜったい教えてくれませんでした」と笑って振り返る。その当時は、好きだった野口五郎がベストテンに入ると食事がおいしく感じたそうだ。

高校を卒業すると、広島市内の鉄工所に就職。1年半ほど働いたが、接客態度が悪い、と解雇された。27歳のときに、1度だけ市内のゲームセンターでアルバイトをしたものの、「お父ちゃんがね、お前は病気なんじゃけ、好きなゲームしたり絵を描いたりして普通に暮らせって言うんです。わしが生きとる間は食べさせちゃるけぇって」と、それからはずっと働いていない。

30歳からは、ゲームと並行してプラモデルづくりにも熱中した。「超合金シリーズの、ポリ塩化ビニール(塩ビ)の立体感が好きなんです。プラモデルをひとつ製作すると、塗料が余るでしょ。それで、またつくる。そうやって次々とつくっとったら、こんな感じになってしもうたんです」。アトリエを見渡すと、ガンダムやスーパー戦隊シリーズなどの懐かしいプラモデルや超合金の玩具が、部屋中を埋め尽くしていた。置き切れないものは、玄関やほかの部屋にまでおよんでいる。

数年前に父と母が他界した現在は、障害年金を受給しながらひとり暮らしをしている。いまも精神科に定期通院を続ける渡部さんの症状名は、統合失調症だ。22歳と37歳のときには人間関係のトラブルで2度の強制入院を経験した。

「わしの場合、調子がようなりすぎたら悪いことしてしまうけぇ、いけんのんです」。そう語る渡部さんにとっての精神安定剤は、ゲームセンターでアーケードゲームをすることだ。若い頃から近所のゲームセンターに通い詰め、たくさんのゲームで遊んだ。そして実際に遊んだゲームのうち、特に思い入れのある作品はその点数と感想を記録。1988年には、それらをまとめた冊子『ゲームバケーション』を自費出版した。画面のデジタル数字を再現するため、ゲームの点数をスタンプで押して表現したところが、なんともおもしろい。

渡部が自費出版した『ゲームバケーション』。右下の『Mr. Do! VS ユニコーン』が「ラッキーコーン」制作のヒントになった

薬の副作用で手が震えて絵が描けんかったんですけど、薬が軽くなってからは絵が描けるようになったんです」と、渡部さんは45歳のときに、以前から溜まっていたアイデアをもとに「ラッキーコーン」のキャラクターを描くようになった。

「アーケードゲームの『Mr. Do! VS ユニコーン』に出てくるユニコーンの赤いボディと青いツノが頭から離れんかったんですよ。ミッキーマウスのようにもしたいな思うても、とてもできん。あるとき、ミッキーマウスのようにしたいんじゃったらミッキーマウスを見てつくりゃいいと気づいたんですよ。それで、ユニコーンとミッキーマウスを合わせてラッキーコーンをつくったんです」。

やがてミニーマウスに対抗して「ナッキーコーン」という女の子のキャラクターも生まれ、ロケットやハート、ツリーなどのモチーフに囲まれたゲーム画面のような世界がつくり出された。その色彩はとても鮮やかで、プラモデルの豊かな原色が生かされているように感じる。実在の企業や通っているラーメン店が絵のなかに登場するのは、渡部さんの遊び心だ。

渡部が描いたイラスト。写真下部の左がラッキーコーン、右がナッキーコーン。余白には中華料理屋の情報が書かれている

彼の絵の描き方は一風変わっている。まず、A3サイズの用紙に鉛筆で下書きをして、B4サイズの用紙に縮小コピー。さらにそれをトレーシングペーパーでなぞり、その裏を鉛筆でこすりあとをつけることで、別のB4用紙に転写する。かなり回りくどい方法に見えるが、このやり方が習慣になっているらしい。最後に、それを面相筆で丁寧に色づけしていく。3年ほどかけて描いたものが溜まると、広島市内の印刷所で『ラッキータイム』『ナッキータイム』という2冊の本として自費出版した。4冊目につくったのは、プラモデルの写真集だ。

どの冊子も、渡部さん自らがコラージュによって誌面をレイアウトしているのが興味深い。あるページでは関根勤のTシャツにラッキーコーンが貼り付けられ、またあるページではラッキーコーンが戦隊ヒーローなどに扮している。そのもとになった戦隊シリーズに登場する声優の名前が、きれいに分類整理して記されているから、驚きだ。これらの冊子は、タレント名鑑を参考に好きな有名人に贈った。タレントの永六輔や落語家の立川志の輔からは、返事が届いたそうだ。壁には、贈り先のリストが貼られていた。

『ラッキータイム』の誌面

そんな渡部さんの最近の楽しみは、広島までアーケードゲームをしに行くことだ。「もう呉にないけぇ、広島のレトロゲーム専門店までいってアーケードゲームをしよります。いまは『アルゴスの戦士』いうゲームしとって、これがめちゃおもしろいんです」と語る。2週間に1度、妹が留守番に帰ってきてくれる日に、広島のカプセルホテルに宿泊し、1泊2日で朝から晩まで、大好きなアーケードゲームをプレイしているのだと言う。

「いまはアイデアが浮かばなくて、描きょうらんのですよ」と語る渡部さんだが、ラッキーコーンを多くの人に知ってもらい、有名になることを望んでいる。自らチラシを作成して商店街のポストに配布して周るなど、努力を続けているが、いまだ正当な評価は得られていない。

ゲームとプラモデルと絵画、これが渡部さんのすべてだ。様々なモチーフから着想を得て制作する彼の作品は、アウトサイドの片隅で花開いている。しかし、ゲームのようにすぐには結果が伴わない。それもまた人生なのだ。

アトリエも兼ねた自室で絵を描く渡部。棚にはびっしりとプラモデルが置かれている
www5.hp-ez.com/hp/tosiaki

PROFILE

くしの・のぶまさ 「クシノテラス」アウトサイダー・キュレーター。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、「鞆の津ミュージアム」(広島) でキュレーターを担当。16年4月よりアウトサイダーアート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。

http://kushiterra.com/

12月6日に展覧会の関連トークイベントを東京で開催!

2017年1月29日までクシノテラス(広島県・福山)で開催中のグループ展「遅咲きレボリューション!」。その関連トークイベントが、12月6日に「LOFT9 Shibuya」で行われる。アウトサイダー・キュレーター、櫛野展正が、体験ノンフィクション漫談芸人・コラアゲンはいごうまんをゲストに迎え「アウトサイドな表現者」を紹介する。

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