世界的なアール・ブリュットの研究機関「abcd」創設者のブルーノ・デュシャルムによる「写真」をテーマにしたコレクション展「PHOTO | BRUT: Collection Bruno Decharme & Compagnie」がニューヨークのマンハッタンにあるアメリカン・フォーク・アート・ミュージアムで今年6月まで開催中だ。誰にも見せることなく半世紀以上もの間、1万5000ページもの絵物語『非現実の王国で』を描いていたヘンリー・ダーガーや、ダンボール管やブリキ缶などの素材で自作したカメラを使って、何千人もの女性の写真を密かに撮影していたミロスラフ・ティシーなど著名な人たちの作品が並ぶなか、日本人作家のひとりとして紹介されているのが、僕の地元・広島県福山市で暮らすスギノイチヲさんだ。デザイン会社で常務取締役を務めるスギノさんは、ガムテープや絵の具などの安価な材料を使って、独力で著名人の顔に扮装し、2017年1月からインスタグラムへの投稿を密かに続けている。
僕が、スギノさんと出逢ったのは、2017年6月頃のこと。クシノテラスの展覧会情報が、地元のタウン情報誌に掲載されたとき、その裏面で紹介されていたのがスギノさんだった。クシノテラスを訪れてくれたスギノさんと意気投合し、すぐに取材を申し込んだ。
1965年に広島県福山市で2人兄弟の弟として生まれたスギノさんは、2歳のとき、一家で徳島県へ転居。「子供を2人も育てられないから」という経済的な都合で、スギノさんだけが親兄弟から離れ、福山市にある祖父母の元で育てられることになった。
「兄だけが徳島で両親と育ってるでしょ。徳島へは盆と正月に行くくらいだったから、ずっと兄ともギクシャクした関係で。だから、両親のことは一度も『お父さん、お母さん』と呼んだことがないんです。親に甘えたこともないから、寂しさやコンプレックスが物凄くありました」。
そんな兄から、6年ほど前に突然電話が掛かってきて、他愛もない話をしているうちに意気投合。そこから会話が止まらなくなり、毎日電話で話をするようになった。スギノさんの育ての親でもある祖父母は、戦争経験者でもあったことから、とくに「笑い」に対して敏感で、スギノさんが少しでも笑うと「不謹慎だ」と怒鳴ることもあったようだ。「僕らの世代は、ドリフターズの番組や『オレたちひょうきん族』や『THE MANZAI』の全盛期でしょ。お笑いが好きだったから、カセットでこっそり録音して、あとから聞いてましたよ」と当時を振り返る。
スギノさんの自室は、小さいながら趣のあるアンティークな調度品が揃えられ、本棚には水木しげる、つげ義春、諸星大二郎や西岸良平などのマンガが並んでいる。高校1年生の夏休みのとき、徳島の古書店で、つげ義春の漫画を偶然手にしたことで、ガロ系の漫画を蒐集するようになった。福山市内の高校の緑地土木課に通っていたスギノさんは、そこで大阪芸大を卒業したばかりの新任教師が設立した美術部に誘われて入部。1年半ほどでその教師は寿退職してしまったものの、美術部に入ったおかげでデザインの世界に興味を持つようになった。進路選択の際には、迷わず多摩芸術学園のビジュアルデザイン学科を受験し、見事合格。ところが「アパートの壁を隔てて、誰か隣の人が住んでるっていう感覚が、僕には嫌で嫌で」とほとんど東京へ遊びに行くこともなく、卒業後は地元に帰郷し現在の会社へ就職した。
そして気づけば約30年の歳月が過ぎていた。これまで絵も描こうと画材を買ったり写真を撮ろうとカメラを買ったりしたこともあったが、「飛び抜けて上手いわけじゃないし、それをして何の意味があるんじゃろ」と何をしても長続きしなかった。そんなスギノさんがインスタグラムで作品発表を始めるきっかけとなったのは、ある出来事を機に髪を伸ばしている理由を知り合いに指摘された際、「キダ・タローみたいな髪型にしようと思っとる」と冗談交じりに返答したら、意外にも賞賛されたことだ。2017年1月22日の日曜日の昼下がり、自宅でくつろいでいたとき、知人の返答を思い出し、ガムテープなどを利用してキダ・タローに扮装したところ、快感を覚え、その日からインスタグラムへの投稿を続けている。
初日にキダ・タロー、翌日には竹村健一の模倣をInstagramへアップしたものの、まったく反応は無し。5日経って、やっと1人が「いいね」してくれたときは、とても嬉しかったそうだ。それが励みとなり、その人を笑わせるためだけに、毎晩必死になって投稿を続けた。結局、毎回反応を示してくれたのは、その人と実兄の2人だけ。スギノさんのお兄さんは、このためにInstagramへ登録したというから、なんて素敵な兄弟なんだろう。
「まず自分でいいなと思うのを3つくらいLineで兄貴に送るんです。第三者の目から見て意見を聞いて、インスタにあげるんです。そんなやりとりをしてるから、余計に兄貴とは親密になりましたよ。いまも毎日たわいもない話をしてます」。
これまで模倣をした人物は650名を超え、漫画家から政治家、俳優や芸人など多岐にわたる。その類似度は年々増しており、近年では過去作を再制作することも増えているようだ。制作は自室で秘密裏に行われ、同居家族もスギノさんが何をしているのか1ヶ月ほどは知らなかったようだ。
「ソファーをストッパー代わりにしてドアが開かんようにしてね。あるときに『部屋にカツラがあるし、夜なんかしょうるみたいなよ』と家族会議が開催されてたみたいで。義理のお母さんから『ちょっと洗面所へおいで』と呼ばれて、『これ使ったらよく落ちるよ』とコールドクリームを渡されたんです。こりゃ女装と絶対間違えとると思って、家族に打ち明けたら『なんで女装してないん? 好きにすれば』ってつまらなそうな顔をしてました。うちの家族は、僕のやることにまったく興味がないんですよね」。
スギノさんはそう語るが、口を出す人がいなかったからこそ、自室の中で自分だけの小宇宙を展開することができたのだろう。そして模倣する人物は、スギノさんにとって多くが憧れの人物であり、その人になりきるためなら、どんな犠牲もいとわない。坊主頭の人物になるときはバリカンで髪を刈り上げるし、ガムテープの乱用により眉毛が抜けようとも気にはしない。その表現に対するストイックさは目を見張るものがあるが、「一番憧れているのは、歌手の椎名林檎さんなんです。僕みたいな人がいるというのを知って欲しくて」と呟く。ずいぶん遠回りをしているような気もするのが、それもまた人生なのかも知れない。
僕が、テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』でスギノさんのことを紹介したとき、スギノさんは自分の存在が広まらないように、Instagramのアカウントに鍵をかけていたことがあった。よく見ると、日々の投稿にもハッシュタグを付けてはいないし、周囲の雑音が入らないようにコメント欄も閉じている。スギノさんにとって、著名人の模倣とは、50歳を過ぎて暗中模索していたなかで見つけた「自分だけの表現」であり、誰にも邪魔されること無く、ただその静かな日常を守りたいだけなのだ。それ故に、僕自身も彼の作品を紹介し続けることについて、自責の念を感じることがあった。
先日、美術評論家ロバータ・スミスによって「PHOTO | BRUT」展のレビューがニューヨーク・タイムズで大きく紹介された。そのなかで、スギノさんの作品には「この展覧会のスターのひとり」「カメラワークの未来を切り開いた」「森村泰昌のようだ」などの賛辞が送られており、展覧会キュレーターであるヴァレリー・ルソーからの喜びの報告に対して、スギノさんは次のような返信を綴っている。
私は英語が出来ません。翻訳ソフトを使用していますので 失礼な内容になる場合がありますことをお許しください。 なぜ、こんなことになっているのかが一番の驚きです。 半世紀も生きた頃、すでに歳を重ねた自分を見つめ 自分の人生とは一体何だったろうかと思う日が続きました。 そして、自分探しをはじめました。 いろいろと試みる中でわかったことは 結果、なにも見つからないということでした。 思い起こせば 2017年1月22日 お金もなく、ただただ暇な日でした。 絵でも描こうと買っておいたペンがありました。 友人から言われた、ある著名人に似ているという言葉を思い出し ほんの冗談で顔にそのペンで眉毛を描き鏡を見ました。 馬鹿馬鹿しくて一人で小さく笑いましたが 同時に少し気持ちが軽くなり幸せな気分になりました。 それから約2ヶ月間、仕事から帰って毎晩、家族に内緒でひとり楽しみました。 人物の選択は部屋の本棚にある作家を....。 この面白さを誰かと共有したいと思い こっそりとInstagramに投稿しました 無反応な日が続きましたが 2名だけ反応がありました。 私は2名と共有する時間が楽しくてやり続けました。 初めて個展を近くの場所を借りて 小規模ですが展示しました。 憧れる対象の顔をいくら真似ても、その人の意志や哲学、思想を受け継げないのは当然のことです。私という者の正体をいくら探して見つけられないのと同じです。私というものは、実は私が、見て、聞いて、味わったものに分散されそれらの欠片の集まりが私なのかもしれませんね。 今は少し疲れたのかな 心から楽しめなくなり休憩をしています。 こんな名もない道化ですが 皆様が楽しんで何かを感じていただけたら とても幸せです。 ありがとうございました。 とても感謝しています。 ichiwo sugino
この文を読んで、僕が安堵したのは事実だし、「アウトサイダー・アート」や「アール・ブリュト」などのカテゴライズを超えて、スギノさんのように表現し続けなきゃいけない人は大勢いる。人は誰しも、自分がこの世に存在している意義を見つけるため、仕事や趣味の世界で自分だけの道を探し続けている。ほとんどの人は、それを見つけることができないまま、気がつくと誰かが敷いたレールの上を歩いていることが多い。でも、スギノさんの姿を見ていると、何も大げさに考える必要はないことに気づく。専門的な技術や道具が必要なわけではない。平凡な日常を非凡に変えるヒントは、身近なところに転がっていることをスギノさんはケータイのカメラ越しに教えてくれるのだ。