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櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:ハリボテの「城」

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第37回は、理容店を営みながら「小阪城」の「城主」でもある磯野健一を紹介する。

文=櫛野展正

磯野健一

 新大阪駅から大阪難波駅経由で約30分。河内小阪駅のほど近くには、「イソノ理容」という看板を掲げる理容室がある。上を見上げると、屋上には手づくりの天守閣がそびえ立っており、住宅街に突然現れるこの異様な景観が街の名所となっている。ここは大阪城ならぬ「小阪城」としてウィキペディアに掲載されるほど有名な場所として知られている。作者は、この理容店を営む磯野健一さんだ。

遠くからでも目立つ「小阪城」
磯野健一

 1936年生まれの磯野さんは、父親が1932年に創業した店舗を引き継ぎ、今年85歳になるいまでも店に立ち続けている。若い頃は、櫛を使わず刈り上げ部分を直接鋏の刃で整える技術である直鋏(じかばさみ)の達人、松岡達夫氏のもとで修行をしたこともあるが、型にはまった理容業界のあり方に嫌気が差していたようだ。

 40歳ごろ、父親から店を引き継いだことを機に、当時としては洒落た設計だった店舗を使いやすいよう自分なりに改装。近隣には、戦前に建てられた民家が多く、その頃は民家が次々と建て替えられていく時期だった。磯野さんは、そうした作業現場に足を運んでは、廃材などを調達。自分の店を改装する資材として活用していった。

「子供の頃は、物がなくて欲しいもんは全部自分でつくっとったんです。だからカネを出さずに物を再建するいう考えがあったんやね」。

 やがて作業を続けていくうちに、建築資材を保管するため、自宅の屋根上に物置を自作した。数年経つと物置は10個以上に増え、殺風景だったため、周囲をブリキやベニヤの板で飾り、櫓風にアレンジしてみたところ、しっくりきたようだ。近江・浅井家の家老だった磯野員昌の末裔に当たるという磯野さんは、奈良が近いこともあって、若い頃から寺社巡りが好きでよく足を運んでいたが、それは信仰心ではなく研究のためだったと語る。

 「仏像でも、どないして目玉の水晶を入れよったのか。そんなんをずっと見てるわけよ。とくに建築の構造に興味があって、城巡りもようしとった」。

 たくさんの櫓が並び城郭風になったが、磯野さんの頭に浮かんでいたのは、「天守閣」をつくることだった。仕事の合間に、屋根裏に上っては作業を繰り返し、3層の天守閣が完成した。

 「せっかくつくったのに家の前の道路から見たら、シャチホコしか見えへんかった。これじゃ意味あらへんがな。せやから、切れっ端の垂木を間に挟みながらジャッキアップして、二層を足して五層の天守閣にしたんや」。

 天守閣の屋根にはトタンを張り付け、壁はブリキを塗装して白壁にした。安価な素材を駆使した天守閣の総工費はわずか5万円だ。磯野さんが資材の回収を始めてから、じつに10数年の歳月が流れていた。

 そして、二条城を見て以来、書院造に興味を持つようになった磯野さんは、外観だけでなく住宅内部も書院風に改造するようになる。ベニヤ板を取り付けると千畳敷の大広間が広がる「だまし絵」風の部屋をつくったり、1坪ほどの庭の岩に水色のペンキを塗って滝の流れを表現したりもした。

千畳敷の大広間が広がる「だまし絵」風の部屋

 さらに四季をテーマにした隠し部屋のようなスペースが至るところにあり、「もしも自宅の城を俯瞰で見渡したら」という脳内景観を襖に描いた部屋まである。まるで忍者屋敷のようなその構造は、訪問するたびに迷ってしまう。極めつけは、豊臣秀吉の「黄金の茶室」を真似て、6畳ほどの屋根裏部屋につくった金色の折り紙300枚を利用した「黄金の折り紙の茶室」だ。制作にあたり、磯野さんは設計図も書かなければどこかで技術を習った経験もない。日用品や廃材を利用して、たったひとりで制作を続け、城の意匠を再現し続けている。40坪ほどの民家を、いかにお金をかけず、大きく見せることができるかが、磯野さんの制作テーマになっているのだ。

脳内景観を襖に描いた部屋
金の折り紙300枚を使って制作した「黄金の茶室」

 そんな名所に悲劇が訪れたのは、2018年9月のこと。25年ぶりに「非常に強い」勢力で日本に上陸した台風21号は、近畿地方を中心に甚大な被害を出したが、小阪城もシンボルの天守閣が飛んでいくという事態に見舞われた。

 「近所の人が『城が飛んだで』と言うてくれはって、なんぼ探してもあらおまへん。そしたら、他所の家の階段の踊り場にそのままスポっとはまってた。孫に手伝ってもらって全部バラバラにしたんや」。

 飛んでいった天守閣部分の雨漏りを防ぐために、ブルーシートを被せていたが、次第に再建を望む声が多く寄せられるようになった。NHK-BSのバラエティ番組が「小阪城を再建しましょう」と相談するも、「また迷惑かけるとあかんから、もうつくりまへん」と固辞。代案として地元有志の手により、2日間かけ近所のビルの壁に「小阪城」のイラストが描かれ、一件落着したかに見えた。

 「飛んでいった部分を台風に備えて固定しよう思うたけど、45年位前につくったもんで釘を刺したら抜けるんですわ。このままの形で屋根作ると不細工になるでしょ。息子は『もう取ってまえ』って言いよるけど、近所の人は、『どうしまんねん』って言わはるし。それやったら、型付けないかんなぁ思うて、一層だけ継ぎ足したんです」。

小ぶりになって復活した「小阪城」

 2019年9月に少し小振りになって再建された「小阪城」だが、磯野さんの制作意欲が衰えることはない。近作は1階の茶の間だった部屋の天井を格天井風に改良し、「絵は描くとじゃまくさいから」と天井画の代わりに140枚のカレンダーを切り抜いて貼り付けた。

カレンダーが貼り付けられた天井

 「僕が死んだとたんに自分の体もお城も消えると思うてる。僕がつくったもんは、僕が生きてる間に形があればええわけ。僕がおらんようになったとき、消えてしもうても、その時代は過ぎたんやから。子供の時代には、また子供のもんがまた出てきたらええんや、それが文化いうもんや。あと、人の脳裏に残ったらそれでええわけ」。

 いまや全国に理容室は約12万店、美容室に至っては約24万店もある。店に通う顧客の求める髪型は多種多様となり、理美容師は職人のような正確さだけではなく芸術家のような創造力や感性も求められるようになってきた。考えてみると、髪型をつくることと何らかの造形物を創造することは、どちらも立体的な形を想像しながらつくっていく作業だ。異なるのは、短時間で仕上げることが要求される理美容師の仕事に対して、表現に向き合う時間は無限にあること。それぞれの理美容師が自分だけの「城」である店舗を利用して、表現と対峙する姿は、既存の理容室・美容室のあり方に対抗しようとする力強い自己主張の現れなのかも知れない。

妻の化粧品店も磯野さんの手によるもの

編集部

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