アクリルガッシュで画面に描かれた特徴的な女性の姿。その色彩や画風は、どことなく東洋美術の気配さえ感じさせる。今年1月、ニューヨークで開催されたアウトサイダーアート・フェアに出展したとき、僕のギャラリーのブースで一番人気を博していたのが、戸谷誠(とや・まこと)さんの絵だった。
戸谷さんは、東京都品川区にある閉店した薬局「モミヂ堂薬局」で、独居生活を続けながら自分だけの絵を描き続けている。半分ほどシャッターが閉じた店内は、薬局の名残もそのままに、薬のショーケースには画集や収集品が並び、至るところにたくさんの絵が飾られたアトリエになっている。
今年76歳になる戸谷さんは、父親が開業した薬局の長男として生まれた。小さい頃から店の手伝いもよくさせられていたが、とにかく絵を描くことが好きだった。高校を卒業したあとは、21歳で多摩美術大学の油絵科に進んだ。
「絵を描くのは楽しかったんですよね。あの頃は、どうしょうもない人たちが美大へ行きましたから。絵で食っていこうなんて考えていないですよ。親は、きっと跡を継いで欲しかったんでしょうね」。
ちょうどその頃、父親が他界。母親は新たに薬剤師を雇って、店の営業を続けた。25歳で多摩美術大学を卒業した戸谷さんは、就職するわけでもなく、再び薬局の2階で絵を描く生活を始めた。翌年には、京都の河原町にあった京都書院ギャラリーで初個展を開催。それから、個展やグループ展など、自分で画廊を借りるなどして定期的に発表を続けている。
「初個展のとき、みんな『おもしろい』と言ってくれたけど、それで良いと思っちゃうから、怖いですよね。ちゃんと絵と向き合わなくなっちゃうから。いつまで経っても絵が中途半端になっちゃうんで、定期的に発表をしているんです」。
36歳のときには薬剤師の妻と結婚し、子供を授かった。2階でずっと絵を描いているわけにはいかないため、店の手伝いもするようになり母親と3人で薬局を切り盛りしていった。1992年、戸谷さんが48歳のとき、母親が他界。それから10年ほど経ったある日、突然妻と子供が出ていったまま戻ってこなくなった。いまも子供が小さい頃に描いたという絵が、色あせて室内に飾られている。あえなく薬局を閉店することになり、そこから突然のひとり暮らしが始まったというわけだ。収入を得るために、2000年からビル清掃の仕事を続けていたが、それも5年ほど前に退職した。
「どうせあと10年も生きないだろうから、もうエネルギーは全部絵だけに使おうと思ってね。年金なんて貰ってないから、貯金を切り崩して生活してます。先のことは、考えないようにしていますね。いまは仕事してませんから、好きなときに寝て好きなときに起きてます。でも、ちっとも描けやしねぇや」。
そう語る戸谷さんの創作には、大きく分けて2種類ある。ひとつは縦長のわら半紙に描く絵画で、最初に描いたかたちをもとに、女性像へと仕上げていくようだ。「どんな女性になるかわからない」と語っているように、絵と対峙することで、戸谷さん自身も「描かされている」といった感覚が近いのかも知れない。
もうひとつは、20メートル近くある巻き障子紙に描いた幻想的な絵巻物だ。通算40年以上をかけて加筆や修正を繰り返し、既に60本以上を制作している。絵巻を30巻まで描いたあとは、下からライトを当てる透き写しの方法で、原画とは異なる複製画の制作を続けている。
「いまは絵巻の複製を続けてるんですよね。当初は、30巻でやめるつもりだったけど、コピーをつくり始めちゃって。いつも10巻ごとにやめようと思うんだけど、またつくっちゃう。昔描いたのは、行き詰まると文字なんかを描いてごまかして仕上げた気になっちゃってる。だから新たな作品をつくってる感じです」。
これらの絵巻は、ひとつの物語になっているわけではない。「要するに出たとこ勝負で」と言うように、彼にとっての絵巻とは、絵を描き進めていくための材料であり、絵巻の余白部分を絵で埋めるために、男女のほかに、様々な動物や架空の生物、風景などを登場させているのだ。最初の絵巻を描き始めたのが、「昭和43年10月7日」と記述してあるから、戸谷さんはじつに半世紀に渡ってこの作業を続けていることになる。しかも、売っているわけではないから、まさにライフワークになっている。
「結局は、絵との話し合いですよね。よそから何かを引っ張ってくるんじゃなくて、自分のよく知ってるもののなかでやっていかないと『やってることの確かさ』のようなものがわからないから。体験っていうんですか。道具でも慣れると色んな道具に対する思い入れが出てきますから、そういう状態で付き合ったうえで、湧き出てくるのが自分の気持ちの一番収まる作品なので、そういうものを目指して描いています」。
ひとつの絵が行き詰まって進めなくなったら、別の絵に触れてみる。普段は眺めていても、まったく手が出ないから、ときには本を読むなどして気分転換もしてみる。経済的に外食はできないため、外出するのは週に一度買い出しに行く程度だ。眺めている途中で眠ってしまうこともあるし、夜中に突然描き出すこともある。絵に集中できる環境は整っているが、戸谷さんは納得がいく線が出てくるそのときを、ただひたすら待っている。絵と決着を着けるため、戸谷さんは絵にしがみついているのだ。
「どうしてもダメだったら降参して完成ということにしたいですけど、まだ食らいつきたいです。もうちょっと対峙しておきたい。たまたまその時点で止めて飾られているだけなんで、生きているあいだは手を出すかも知れないから」と言うように、戸谷さんは、つねに作品の加筆や修正を繰り返している。その画面には、うっすらと消された線の痕跡があり格闘の跡が見て取れる。だから、アトリエには描きかけの絵が散乱し、いつでも眺めることができるような状態になっている。まさに、絵と共に生きる暮らしを戸谷さんは過ごしているのだ。
「いまの人生が良かったとは思わないですよ。なんでこんな馬鹿なことやってんだろと思っちゃう。それでも止めずにまた描いてしまう。たぶん、わかんないから描いてるんだと思います。他に趣味もないし手立てがないもんだから、絵しかないんですよね。だから、絵には救われていますよ」。
ずっと自分だけの絵を描き続けている戸谷さんだが、展覧会などで発表をしているということは、誰かに見てもらいたいという意思はあるのだろう。いや、もしかすると自身の絵がこの世に存在したことを証明するために、戸谷さんは人に見せているのだけなのかも知れない。描き続けることで、また新しい何かが生まれてくるのを待つ日々。ゴールの見えない自分との果てしない戦いだけれど、いとも簡単に絵を描けてしまう人が本当に凄いのだろうか。もがき苦しみながら、それでも絵と対峙するために絵筆を握り続ける戸谷さんのような人こそ、僕はもっと光が当てられるべきだろうと思う。
「来客は年に1回くらい。シャッターの隙間から、通りすがりの人と目が合っちゃうと、入って来られちゃうから、なるべく視線は合わさないようにしてますよ。難しいこと聞かれると困るからね」と微笑んでいた。