卒業作家たちが語る武蔵野美術大学の魅力:第3回 るぅ1mm

2学部12学科を擁する武蔵野美術大学(ムサビ)は、これまでに数々の作家やクリエイターを世に送り出してきた。世に出たつくり手たちがこの大学で何を学び、どんな経験をしたのか。第3回はマンガ家・るぅ1mmに自身のムサビ時代の思い出やデビューのきっかけとなった卒業制作などの経験を、マンガで描きおろしてもらうとともにインタビューに答えてもらった。(PR)

マンガ=るぅ1mm インタビュー聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

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  転校してきた怪獣と人間のミックスの少女と、心のやさしさ故に人を傷つけ恐れられている少年のふれあいをはじめ、クラスで生きる子供たちの心の機微を丁寧に描いたマンガ『怪獣くん』。同作で話題を集めたマンガ家・るぅ1mm(るうわんみりめーとる)に、自身が通った武蔵野美術大学(以下、ムサビ)の思い出や、卒業制作としてマンガを描き出版につながったエピソードなどを描きおろしてもらった。併せて、本人のインタビューもお届けする。

──るぅ1mmさんはいつ頃からマンガ家を志したのでしょうか?

 絵はひとりで遊べるものなので、小さい頃からずっと好きでした。友達のお姉さんにオリジナルのマンガを書いてもらったんですが、それにすごく感動して、その真似のようなマンガを書いていました。漠然と「マンガ家になりたい」と思うようになったのは小学生の頃でしょうか。小学生のときはマンガクラブに入っていたので、そこでオリジナルのマンガを人に見せたりもしていましたね。

──小学生でマンガを描く子はたくさんいると思うんですが、それを職業にできる人はわずかです。るぅ1mmさんはどうしてマンガを描き続けられたんでしょうか。

 中学校は美術部があったので、そこでイラストみたいな絵をたくさん描いてましたし、高校は漫画研究部がある学校を選んで進学しました(笑)。やはりマンガを描くことが基本的に好きだったんでしょうね。

──高校卒業後の進路として、とくに美術大学を志望した理由は何だったのでしょうか?

 進路選択のときに専門学校か美術大学かで悩み、学校から4年生大学を進められたので美術大学に進んだ、という感じです。

──そして、ムサビの視覚伝達デザイン学科に進学することになったんですね。

 美術予備校に入ったときに鉛筆デッサンをやっていて楽しかったので、そこからなんとなく視覚伝達デザイン学科を志望した、という感じでしたね。

──実際に入ってみて授業の内容や課題はいかがでしたか?

 私は視覚伝達デザイン学科の勉強内容や考え方が好きでした。デザインの理念って、人に何かを伝えるものじゃないですか。その基礎を学べたことはとても勉強になりました。マンガは絵やストーリーを通して人に伝えるものなので、好きなものを描くとしても、それをどうやって伝えられるかを考えるときに役立っています。

──マンガを描くうえでの技術的な学びはムサビでありましたか?

 技術は大学で高まった感じですね。基本は美術予備校のときに学んでいて、そこから大学に入り「予備校で学んだことは、こうやって活きるんだ」と、実践的な活用の方法を学んでいきました。

──とくに印象に残っている授業があれば教えてください。

 大学に入ってからは、いままで学んでこなかった分野の授業を積極的にとるようにしていました。座学では心理学が興味深かったですね。表現系でも映像やエディトリアルデザインなど、知らないジャンルの知識を吸収できました。また、ジェンダーを扱う授業も勉強になったことを憶えています。表現する人間として考えるべきことを多く学びました。

──大学での出会いなどで思い出深いものはありますか。

 大学では自分がサークル活動などに積極的なほうではなかったので、マンガを描いていた人との交流はほとんどありませんでした。卒業してからはじめて、同級生の友だちがマンガを描いていたことを知ってびっくりして(笑)。

 ただ、そうした大学での人と人との適度な距離感は、高校のときと比べてとても魅力を感じていました。『怪獣くん』に関してもその経験が活きています。やはり小さなコミュニティにいると、すごく大切な友達がたったひとり側にいればそれでいい、というわけにはいかないじゃないですか。コミュニティのなかでは群れることも大切ではありましたが、そういうことに疑問を感じてきた人たちが美術大学に来るような気はしますね。お互い適度な距離を図りながら過ごすことの価値はとても大きかったです。

──るぅ1mmさんは、卒業制作となった200ページを超えるマンガ『怪獣くん』は、そのまま単行本化が決まります。マンガを卒業制作にしようと思った理由を教えてください。

 もう本当にギリギリになってマンガを卒業制作にすることを決めました。私自身は作品に対して長い時間真摯に向き合うけど、それを見る人はさっと見れるようなものがいいとは思っていて。

 いっぽうでマンガ家として生きていきたいという将来の方針は固まった状態で挑んだので、悩んだすえに将来にわたっての覚悟を決めたという感じですね。教授からは「卒業制作は1年かけて自分が熱心になれる制作だから今後にも影響してくる」と言われたんですよ。そこで「じゃあ自分の未来に影響させるには何をつくればいいかな」と考えたんです。結果的に、それが単行本化につながったので、かなり直接的なかたちで影響することにはなりました。

──マンガを描く技術があっても、描く内容がないといけないわけで、そこを育てるという意味でも、ムサビはいい環境だったんだと、本日はお話を聞いていて思いました。

 ムサビは、ゼロから技術を教えるというよりは、総合的に人を育てるというイメージが強かったです。「これを描きたい」「これをやりたい」という人のために、サポートをしてくれる環境でした。漫画を描くためには技術も必要ですが、それ以上に自分の経験が大事だと思うので、私は多彩な授業を受けることができるムサビに通ってよかったと思っています。