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卒業作家たちが語る武蔵野美術大学の魅力:第2回 かっぴー

2学部12学科を擁する武蔵野美術大学(ムサビ)は、これまでに数々の作家やクリエイターを世に送り出してきた。世に出たつくり手たちがこの大学で何を学び、どんな経験をしたのか。第2回はマンガ家・かっぴーに自身のムサビ時代の思い出、そして現在の仕事につながる当時の経験をマンガで描きおろしてもらうとともに、インタビューを行った。(PR)

マンガ=かっぴー インタビュー聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

 心がえぐられるようなクリエイターたちの群像劇『左ききのエレン』を『少年ジャンプ+』で連載中のマンガ家・かっぴー。グラフィクやウェブのデザイナーとして活躍してきた経験を活かしながら作品を発表しているかっぴーに、自身が武蔵野美術大学(以下、ムサビ)へ通った当時の思い出や、そこで学んだことの意味や意義を描き下ろしてもらった。併せて、本人のインタビューもお届けする。

──クリエイターとして生きていこうと決めたのはいつごろのことでしょうか?

 高校2年生のときに文化祭のクラスTシャツをつくることになり、地球をモチーフにしたロゴつきのTシャツをデザインしたんです。その評判がすごく良くて、先生にも褒められたし、クラスの不良みたいな集団が、文化祭が終わった後もずっとそのTシャツを着てくれていたりしたんです。それがとても嬉しかったし、自分にとってのものづくりの醍醐味を感じた原体験ですね。

 そのとき先生に「広告代理店のデザイナーとか向いているんじゃないか」ということを言われて、将来の進路をなんとなく意識するようになりました。でも広告代理店なんて初めて聞いた業種で、デザイナーという仕事もいわゆるファッション・デザイナーくらいしか知りませんでした。それをきっかけに、グラフィック・デザインという世界があって、広告代理店がその花形ということを調べて興味をもったんですよね。

 クラスTシャツにはこんなエピソードもあって。デザインを入稿するときに担当が書体を間違えてしまったんです。そのとき「だいたい書体なんて同じじゃん」と言われてすごい腹が立ったんですよね(笑)。そこで「こんなに腹がたつということは、自分はデザインをするということがとても好きなんだろうな」と気がついたんです。その後、美術予備校に通い始め、一浪の後にムサビの視覚伝達デザイン学科に入学することになりました。

──ムサビに入学してみていかがでしたか。

 1年生のころはとにかく教授からの評価が高くて、すごい優等生的な立ち位置でした。ただ、次第に課外活動に興味を持ち始めて、イベントなどを企画するようになり、2年生のときには『PARTNER』という美大では初めてのフリーマガジンを立ち上げています。

 また、よく学内では学生によるグループ展が開催されていたのですが、改めて複数の作家が一緒に展示する意味を考えたくて企画をしたこともあります。ただ参加者の友人たちだけで集客数を稼ぐのが嫌だったんですよね。それに対する反骨心から、もっと合同で開催する意味のある展覧会を企画しようと思い、音大とコラボレーションすることを思いついたんです。音大生がつくった音楽を美大生が聴いてそのイメージを作品にし、また美大生の作品を見たイメージを音大生が音楽にするという、音楽と美術の伝言ゲームをやるという展覧会でした。

 そのころには大学にほぼ行かなくなってしまい、典型的な学外活動にはまる大学生になって、自分で名刺をつくって配ったりしました。一般大の学生とプロジェクトを立ち上げて、クリエイティブ・ディレクターのようなこともしていましたし、もう、天にも届くくらい意識が高くなっていて(笑)。いつのまにか学科のエリートではなく 「良くも悪くもなんか違う人」とか「経営者とかそっち系でデザイナーらしくない」といった扱いになっていたんですよ。ずっと僕のことを買っていた教授に「君にはがっかりした」とか言われてしまったり(笑)。卒業までずっとそんな感じでしたね。

──ムサビで印象に残った授業はありますか。

 思想家の佐々木敦さんの授業が非常におもしろかったことをよく憶えています。授業中にジョン・ケージの無音の音楽を聴いたり、20分間ぐらい洗濯機が回ってる音を聴かされたりして。それで音楽に興味を持って、音大との企画の発想源になったりもしました。

 ほかにも、視覚伝達デザイン学科の授業は全部印象に残っていますね。美的感覚を鍛えるためにドットを並べたり、文字づめをしたりといった、基礎的な授業なんかは思い出深いです。そういったデザインの基礎って、いまではコンピューターで容易に習得できてしまうけど、その構造や過程を基礎から学べたことは、ムサビの授業で得られた大きな財産だったと思います。

──イベントの企画や学外活動で忙しい学生生活を送ってきたかっぴーさんですが、卒業制作は何をつくられたんですか?

 僕は大学時代に自分がつくりあげたコミュニティを卒業制作にしたいと思ったんですね。音大や一般大の友達と出会っていっしょにものづくりをしていました。音楽をつくる人、モデルをやっている人、洋服をつくる人など、本当にいろんなジャンルの友達ができたんです。この横のつながりが自分が大学時代につくった財産だったので、卒業制作は「コミュニティ」だと指導教官に伝えたくて。それで、自分のつくったコミュニティのメンバー全員にインタビューして『ノラ』という雑誌をつくり、卒業制作としました。

──卒業後は広告代理店のクリエイティブ職として活躍されていましたが、当時の経験は連載中の『左ききのエレン』にも反映されていそうです。

 すべてが僕の経験に沿ってるわけではないですけど、わりと体験したことをベースに描いていますね。新卒でスーツを着て制作スタジオにひとりで行かされて、ベテランのスタッフたちに「お願いします」なんて言われて緊張で固まってしまうシーンなどは実体験ですね。最初のころは緊張で足が震えて止まらなくて、それをおさえるためにトイレに行ったりとかしてました。そういう経験はマンガにも反映されています。

──今回、描き下ろしていていただいたマンガにも描かれていますが、かっぴーさんがご自身の作品のなかで、才能や凡人の生き方に焦点を当て、それを人々の原動力として描くのはなぜでしょうか?

 いつも、自分の周囲をどこかマンガ的に見ていたふしがあるんです。この集団のなかだと誰が主人公なのかな、彼は主人公だからきっと何をやってもうまくいくんだろうな、と。自分が主人公であってほしいと思っていた時期もありましたけれど、やはりどう考えても自分は主人公じゃないと思うようになって。そもそも、物語の主人公は、学生団体に入らないじゃないですか(笑)。学生団体に入って意識が高いキャラクターなんて、孤高の天才やひた向きな努力家といった主人公の敵みたいな存在なんじゃないかって思います。そういった自分の経験を踏まえているから、自分が描くマンガは主人公が主人公っぽくないのではないでしょうか。

──どこか俯瞰して自分を見ている、ということですね。デビュー作のSNSを使う人たちの「意識の高さ」をイジるような作品『フェイスブックポリス』にも、そうした世間の人々を俯瞰して見るおもしろさがありますよね。

 テレビコマーシャルの絵コンテを描く仕事が好きでした。企画が採用されることは多くはなかったんですけど、認められたくてたくさんつくるようにしていて。だから、転職してウェブ制作会社に入ったときに、自己紹介のために絵コンテのようにマンガを描こうと思ったんです。じつは『フェイスブックポリス』はそのときに描いたもので、ウェブ制作会社なので、インターネットが好きな人にウケる内容にしようと思い「じゃあSNSをネタにしよう」と考えた結果生まれたものなんです

 『左ききのエレン』もそうですが、僕の作品ってどこか自虐的なところがあるんだと思います。自虐だから、あまり叩かれずに許してもらえている。『フェイスブックポリス』にしても、色々な層の人間をいじる内容ですけど、嫌いな人を悪意をもっていじるということではなく、僕は全部自分をいじっているような気持ちで描いています。だから広く親しんでもらえているのかもしれません。

──それでも『フェイスブックポリス』のようなコミカルな作品から、『左ききのエレン』のような、自分の才能に向き合う痛みのようなものと向き合う作品まで、幅広い作風を獲得できているのはすごいことですよね。

 『左ききのエレン』は『フェイスブックポリス』が人気を得て、自分のSNSを多くの人が見てくれる状態だったころに挑戦してみようと思った作品です。「こんなに注目を浴びる機会は多分もう一生ないだろうから、笑われてもいいので好きなことをやろう」と思って、いきなり真剣な作品を描くことにしました。

 思い返せば、学生時代から同世代にはすでに注目されているクリエイターがたくさんいました。僕は 「こっちは無理だ」と思いながらどんどん逃げてきたわけです。でも一度くらいは向き合って戦ってみたいなと思うようになり、いままさに、名だたる天才ばかりのマンガという世界で勝負している最中です。

──最後に、これから美大に入る高校生や、美大で学ぶ学生に向けてメッセージやアドバイスがあれば教えていただきたいと思います。

 マンガ家になっても、いまだに大学で教わったことがベースになっています、例えば、まったくデザインの知識のない人がポスターをデザインしなければいけないとなったら、たぶんYouTubeの動画を見るし、それを見ればある程度のものはつくれますよね。いまの時代、ハウツーを学ぶのならインターネットでこと足りるんですよね。

 でも、もうちょっと長い目で見て、10年後にいいポスターをつくろうとすると、多分美大での学びが大切になるんですよね。ぼくにとってムサビで過ごした時間は、たんなる技術ではない、何かをつくる下地をゆっくり学べる時間でした。ものづくりに徹底的に向き合って、生涯つきあっていきたいと思ったときに、美大に進むことは魅力的な選択肢だと思うのでがんばってほしいですね。

編集部

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