長谷川新 年間月評第6回 「エネミー・オブ・ザ・スターズ」展 希薄、あまりに希薄な
ベルリンにある「クンストヴェルケ現代美術センター」での展覧会「エネミー・オブ・ザ・スターズ」は、副題が示す通り、複数の作家との「対話」によって浮かび上がるロナルド・ジョーンズの展覧会である。「現代の批評実践の先端」とも評されるジョーンズの活動は1980年代以降、多岐にわたった。本展は、2014年に行われた約20年ぶりの個展のいわば続編に位置するもので、その概要を示すだけでも一筋縄ではいかない。タイトルも、1910年代にイギリスで興った前衛運動「ヴォーティシズム」の主要メンバーであるウィンダム・ルイスによる戯曲からとられている。何よりも、ジョーンズの過去と現在の間にあるクリティークの有効性、複数性、揺れを空間化することに眼目が置かれていることを記しておきたい。それはピンで軽く留めた写真がときおり風で揺れるように、ある希薄さをたたえている。いま「希薄さ」と書いたが、これは決して詩的な表現でも曖昧な言いかたでもない。「希薄さ」、すなわち気づかれにくいこと、ミニマルであること、空白であることこそが、政治的複合実践の形態であるからだ。
例えば本展にはデイヴィッド・ハモンズの作品は展示されていないのだが、彼は2014年にアグネス・マーティンの絵画を自身の展覧会にインストールした経験についてジョーンズと対話しており、それが本展では存分に活かされている、という理由から、名前が展覧会の副題に記されている。
ジョーンズ自身の作品をいくつか挙げることでもその姿勢の一貫性が見えてくるだろう。なんの変哲もない白と黒の陶磁器に数種類の草花が飾られている作品は、ベルリンにあったヒトラーの書斎のために建築家アルベルト・シュペーアがデザインしたものをもとにしており、生けられた植物はどれも人体に有毒なものばかりである。また、折りたたまれたナイロンバナーの作品は、1954年のハーグ条約のもので、バナーにもかかわらず一切の文字はなく、武力紛争における文化財保護を青と白のモダニズム的デザインのみで示すという意志がみなぎっている。
ここに、ヘルマー・レルスキによる140枚の肖像写真──30年代の実践にもかかわらず、すでにそこでは「被写体の本質」なるものから距離をとり、サイレント映画の登場人物への擬態が試みられている──や、ルイーズ・ローラーによる静謐な写真──ゲルハルト・リヒターの作品に反射して写り込んだクリスチャン・ボルタンスキーの作品──などが併置されることで、本展はその物質的な希薄さ(空間はがらんどうな印象を強く与え、作品はミニマリズム志向が徹底されている)において、むしろその効力を遺憾なく発揮している。ノスタルジックな雰囲気すら感じる、ジュリア・シェアが旧来の監視システムを可視化した作品も、展覧会全体において現在の政治性へと接続することで、むしろ展覧会をより立体的にすることにつながっている。キュラトリアルの精緻な手さばきを見せつけるかのようで、いささか洗練されすぎているきらいはあるものの、コンセプチュアリズムとキュラトリアルの差異や関係性を考える上で白眉の展覧会であった。
(『美術手帖』2017年9月号「REVIEWS 09」より)