長谷川新 月評第2回 「キネトスコープ鑑賞体験」展 条件としてのインタラクティヴィティ
それ自体が巨大な自動機械である六甲ケーブルで標高737・5メートルまで一気に登り、そこからバスで山中を進んだ先に、六甲オルゴールミュージアムはある。自動演奏楽器を集めたミュージアムとして全国で初めて博物館相当施設に指定されたその館内には、キネトスコープの復元品も所蔵されている。1896年に日本で初めてキネトスコープが公開された神戸が、今年開港150年を迎えたことにちなんで、1週間の限定上映が行われた。スイッチを入れると、キネトスコープは低音を響かせながら葛折り状にセットされた35ミリフィルムを回し、ライトでフィルムを照らした。上部に取りつけられた覗き窓に目を押し当てると、機関車から荷下ろしされる牛と、移動する機関車の上を自慢げに歩く屈強な男性が映し出された。
本稿では、エジソンの発明したキネトスコープが「世界初の映画」であるのか、あるいはまたキネトスコープの神戸での公開が「日本初の映画体験」だったのかを問うことはしない。映画は一人の天才によって突如誕生したのではなく、同時代の多くの人々の創意工夫によって次第に立ち現れていった、と言ったほうが正鵠を射ているだろう。したがって問うべきは、なぜオルゴールミュージアムにキネトスコープがあるのか、である。
映像批評家の黒嵜想は、日本に映画が輸入された際、無音の映像に合わせて「説明(語り)」を繰り広げる「弁士」が存在していたことの重要性を指摘している。また、田中純一郎の『活動写真がやってきた』(中公文庫、1985)には、鑑賞者の反応に合わせて「活動弁士」の「説明」の量やスピードが変化し、さらに「活動弁士」の「説明」に合わせて手回し映写機の担当者が映写スピードを変化させていた事例が紹介されている。ここでは、1960年代に喧伝され、現在に至るまで無条件に目指されるべきものとされがちな「アート」の「インタラクティヴィティ」が先取されている。受動的観客も、硬直した作品概念も存在しない(例えばこの「映像作品」の「上映時間」はキャプションにどう記せばよいのだろう)。それぞれの要素が相互に影響を与え、ひとつの体験を創出している。
キネトスコープ鑑賞体験会の直前には、オルゴールコンサートが行われていた。そこでは世界初のステレオ音声映画であるディズニーの『ファンタジア』(1940)が紹介され、アニメーションに同期された曲がオルゴールで演奏された。この映画が生まれた当時、アンプと映写機の同期に多くの劇場が苦労したというが、そこには人間という有機体(ドイツ語でオルゲル、そして日本語ではオルゴール)が不可欠だった。自動演奏機械が無声映画の効果音として積極的に活用されていた事実もまた、ここで想起することが可能だろう。
オルゴールミュージアムに所蔵された復元キネトスコープは、諸要素が部分的に同期・非同期を繰り返しながら影響し合う映像体験への再考を促す。人・機械の二項対立はほどけ、インタラクティヴィティは無条件の拡大から、条件としての限定へと、折り返されるのである。
(『美術手帖』2017年5月号「REVIEWS 10」より)