台湾近代美術の巨匠・陳澄波の作品が修復後初公開。長谷川新が見た《東台湾臨海道路》

福岡アジア美術館のアジアギャラリーで、1895年台湾生まれの画家・陳澄波(チェン・チェンボー)による作品《東台湾臨海道路》が、修復後初公開された。本展は有料でありながら、会場の外からも鑑賞可能という特殊な展示方法がとられた。

文=長谷川新

陳澄波 東台湾臨海道路 1930 キャンバスに油彩 69.5×130.5cm

陳澄波 東台湾臨海道路 1930 キャンバスに油彩 69.5×130.5cm

長谷川新 年間月評第9回 陳澄波《東台湾臨海道路》 〈外〉について―展覧会と社会の間に

 大著『美術の日本近現代史─制度・言説・造型』には注目すべき論考が多く収録されているが、なかでも「日本占領下における台湾の美術─1895~1945年」(顔娟英)は興味深い。台湾美術を牽引してきた作家、陳澄波(チェン・チェンボー)の名こそないものの、「大日本帝国」における美術の再検討が繰り返しなされていることは重要である。

 1895年に台湾で生まれ、1924年に東京美術学校(現東京藝術大学)に入学した陳は、26年に台湾人洋画家として初めて帝展に入賞。47年の中国国民党軍による「二・二八事件」において処刑された。彼の作品は、上述の機運にもかかわらず日本において十分に紹介されてきたとは言いがたい。不明を恥じて告白すれば、筆者が陳澄波を知ったのも《東台湾臨海道路》の「再発見」をめぐるニュースを通じてであった。

 さて、唐突だが展覧会には「会期」というものがある。そして「入り口」が存在する。「会期中」に「会場に入ら」なければ作品は見ることができない。これはいかにも当たり前のことだ。修復された陳澄波の《東台湾臨海道路》が展示されたのは福岡アジア美術館のアジアギャラリーであり、会期は5月11日から12月25日である。この絵画自体の詳細な検証に後ろ髪を引かれつつも、ここではあえて展覧会というフレームを考えてみたい。

会場の外側から見た《東台湾臨海道路》の展示風景

 本展の観覧料は一般200円と安い。ここには美術館の公共性に対しての理念と努力が認められる(もっとも博物館法第23条には「公立博物館は、・・・・・・ 入館料その他・・・・・・博物館資料・・・・・の利用に対する対価・・・・・・・・・を徴収してはならない・・・・・・・・・・。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる」とあるのだが)。にもかかわらず、この作品は、展覧会会場の外からも見ることができる。細部の仔細な検討は不可能だが、その絵画自体は会場の外部へとむき出しにされている。企画展のみを見て帰る人の多くも、導線上この作品に「接触」している。《東台湾臨海道路》が重要な作品であるということを空間的に示すのであれば、奥の大きな展示空間で見せるということも可能であろう。展示のスタートを切る作品だとしても、壁を回り込んで視界が開けた瞬間に見せるという方法も考えられる。約半年間という会期、会場の外側からも見ることができる設計は、鋭く公共性と結びついていると同時に、「展覧会」という現行システムの限界を提示している。筆者は先ほど、「会期中」に「会場に入ら」なければ作品が見られないことを当たり前だと書いた。だが、これはまったく間違っている。本作は山口県の防府図書館に長年展示されていたもので、美術館に持ち込んだことでアクセス権が減じている。とはいえ展覧会を安易に「拡大」「膨張」させることが得策ではないことを私たちはもう知っている。だからこそ展覧会の空間の内部と外部の境界にしか《東台湾臨海道路》は展示できない。ここにはっきりと美術館という装置への、逡巡が認められる。作品とその研究が備えている社会性や公開性の最大化、質の向上を目指すとき、「会期」と「入り口」が前景化する。

1941年に開館した三哲文庫(現防府図書館)での《東台湾臨海道路》の展示の様子

 (『美術手帖』2017年12月号「REVIEWS 09」より)