パフォーミングアーツ、映画、メディア芸術を対象に、日本語字幕、音声ガイド、手話通訳、多言語対応などを中心にバリアフリーへの対応を施した、日本初のオンライン型劇場「THEATRE for ALL(以下、TfA)」。
この事業は、文化庁令和2年度戦略的芸術文化創造推進事業「文化芸術収益力強化事業」に採択され、バリアフリーで映像や番組を配信するもの。新型コロナウイルスで外出困難となった人や、障害や疾患、育児や介護などを理由に劇場や展示鑑賞が困難な人たちに対して開かれた、誰もが好きなときに好きな場所から芸術に親しめる場の実現を目指す。
タイ・バンコク出身のアーティスト、ウィスット・ポンニミット(通称、タムくん)は、幼少期より日本のマンガ文化に影響を受けており、1998年にマンガ家デビュー、2003年には神戸に留学したこともある。日本国内の芸術祭や、書籍の表紙、マンガの発表などその活動は多岐にわたる。
タムくんはTfAに、短編アニメーション集《hesheit(ヒーシーイット)》で参加。2004年に発表したこの作品に、日本語吹替、バリアフリー日本語字幕、手話通訳を新たに追加し、日本語吹替はタムくんが自ら担当した。この作品でTfAに参加した理由や、作品に込めた思いを聞いた。
──まず、タムくんがTfAの公募に《hesheit》で応募し、採択されたことの感想を教えてください。
審査員が僕の《hesheit》を選んでくれたことは、素直にすごいことだと思ってるよ。(20年近く前の作品なので)これを、例えばいまの若い人たちに見せるのは、僕だけだったらちょっと勇気がない。でもとてもいいと思うし、手話とかといっしょに見せるのも、いいなって思えたんだ。
《hesheit》は、キャラクターがちゃんと喋っていて、ナレーションもあって、物語もある。でも僕がつくったこれ以降のアニメーション作品は会話や物語で出来ているものっていうよりも、音楽などで内容やメッセージを伝えるものが多くなったんだ。最近はライブで見せたりすることも多いので、映画みたいなストーリーがあるとみんな眠くなっちゃうんだよね。だから言葉が多いストーリーものではなくて、アニメーションを見るだけで伝わるものにしている。当時の《hesheit》に字幕や手話をつけていろいろなひとに届けようと思ったのは、まだ言葉やストーリーを重視していたころの作品だったからなんだ。
──映像ではタムくんの躍動感あるアニメーションといっしょに展開する、臨場感あふれる豊かな手話が印象的でした。
昔、《hesheit》を日本語で、アフレコみたいな感じで、会話だけでなく、自動車の音のような効果音も自分ひとりでつけてみたことがあった。だから、日本側の担当者の人は、手話も全部僕がやってもいいと考えたみたい。
でも、プロの手話を再現するのは結構大変なことがわかって、それならおもしろい雰囲気の手話をやってもらえる人に参加してもらいたいなと思ったんだ。手話の人はちゃんと観客として作品を見てくれていたから、作品の雰囲気にすごくあっていたし、何よりも自分がこの作品に参加したいって思ってくれたのがうれしかったね。
《hesheit》は人生を見る角度の違いを表現したものだから、耳の聞こえない人に見てらって、これまで考えなかった角度とかを見つけてくれたらうれしいな。あと、手話を見ても意味がわからない健常者の人が、音を消してこの手話の動画を見ても「ああ、おもしろそうだな」と思えるようなものにしたかった。健常者も、目の見えない人も、耳が聞こえない人も、色々と想像してみてほしい。
──《hesheit》には、腐ったようなシュウマイを買って食べたら美味しかった話や、トイレを限界まで我慢する話など、世界中の人々が共有している「食」や「排泄」といったテーマが描かれていて、そういった点でもバリアフリーを感じました。
今回の作品に描かれていることは、だいたい自分の経験から生まれたものが多い。腐ったシュウマイの話は、本当にタイの中華街で腐ったようなシュウマイをつばを飛ばしながら売ってくるおじさんに出会った経験から生まれたものなんだ。そのときは「汚い」と思ってシュウマイを買わなかったけど、家に帰ってから「もしかしたらおいしかったかも」とか思い直して、それで絵に描いてみたことが始まり。ほかにも、恋愛のこととか、ちょっとしか会えなかった人のこととか、そういった自分の経験から話をつくったんだ。
──タムくんが経験したのはおじいさんが売っていたシュウマイの話ですが、アニメーションでシュウマイを売っているのは女の子になっています。このエピソードに限らず、《hesheit》では男の子と女の子が会話する話が多いですが、それはなぜでしょう?
物語をつくるときには、いつも自分と喧嘩をしてる。例えば「あのシュウマイはおいしくないだろう」って言う自分と、「あのシュウマイはおいしいかも」って言う自分が喧嘩する。最初の僕の考えが男の子、反対する考え方が女の子、その戦いなんだよね。「違う考え方もあるけどね」ということを、それぞれが喧嘩しながら話すことで、つくられていく。
──どのような人に作品を見てもらいたいと思いますか?
若い人に見てもらいたいな。自分がつくる最近の作品は当然、いまの気持ちの作品になっているけど、昔の作品は、そのときの気持ちが残っている。自分のおじいちゃんやおばあちゃんに会いに行って話を聞くのが楽しいように、昔の気持ちを若い自分のなかに入れたら、自分を広げることができると思うんだ。
──自分で何枚も絵を描き、アニメーションにするにはかなりの労力が必要だと思いますが、当時のその情熱はどこから生まれたのでしょうか?
この作品をつくったのは20年前だから、23歳とか。でも、話そのものは大学生のときにすでにつくっていたものだった。情熱は何だったかって、それはもう自分の夢がたくさん入っているマンガを動かしたいという思いだよね。そのころは時間があったし、そればっかり考えてた。このキャラクターはこう動くだろうとか、こんな色をしているだろうとか、こんな声だろうとか。誰にも頼まれていなかったから、各エピソードの長さもバラバラだけど、遊びのパワーがあふれていて、とてもいいなって今も思うよ。
──《hesheit》を題材に、健常者の方も聴覚障害者の方も、それぞれが作品見てきて、感想をシェアするワークショップも開催されました。「汚いってなんだ」「良い人ってなんだ」といった問いから、自分と他者の関係性、固定概念を破るといったメッセージを受け取る方もいたようです。
ちゃんとみんなまじめに見てくれていて、とてもうれしい(笑)。みんなのなかで、ものを見る角度が増えたのは良かったと思うよ。その話を聞いて、ふと自分のことを考えちゃったんだけど、昔の作品を20年後のいま見たら、そうやって自分を広げる人が増えた。だから、自分がいまつくっている作品も、20年後の人にとっての新しい見方になるのかもね。
──最後に、今回TfAに参加した経験を活かして、今後挑戦してみたい作品はありますか。
アイディアはめっちゃ生まれているし、溜まっているんだよ。でも、僕はいろいろなパッションを持っているんだけど、いつも頼まれるのがかわいい感じの作品ばっかりで、それをつくることでなんだか忙しくなっちゃってる。自分が新しくおもしろいと思うことに挑戦する時間がなかなかつくれない。だから、今回の《hesheit》を見て「こういう作品つくってよ」って言ってくれたら嬉しい。つくるなら、自分がめっちゃ笑いながらつくるやつがいいな。「これはバカだなあ」とか「これは人に見せたらだめでしょ」とか、昔みたいなロックな感じがいいかもね。