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「最高の芸術鑑賞は、知性だけでなく、身体の反応を感じながら知覚すること」。インタビュー:ピピロッティ・リスト

『美術手帖』2021年8月号より、ピピロッティ・リストのインタビューを紹介。ヴィデオ・インスタレーションを通じて身体やジェンダー、エコロジーについて批評性とユーモアあふれる表現を展開してきた作家が、現在日本で巡回中の回顧展の話を中心に、今日の芸術実践を語る。*The English version is below the Japanese.

聞き手= 馬定延

4階から穏やかさへ向かって 20163チャンネル・ヴィデオ・インスタレーション天井から水平に吊るした不定形パネルに投影、可動式の投影2点、ベッド、枕音楽=Soap&Skin撮影=表恒匡 © Pipilotti Rist

最高の芸術鑑賞は、知性だけでなく、 身体の反応を感じながら知覚すること

鮮やかな色彩、ユーモア、そして批評性を伴ったヴィデオ作品を特徴とし、世界中で活躍するピピロッティ・リスト。その日本での大規模個展が約13年ぶりに京都と水戸で開催。来日せず遠隔でキュレーターとともに展示をつくり上げた作家に、本展について、またフェミニズムや医療などへの考えを聞く。

© Gian Marco Castelberg Photography

あなたの眼はわたしの島

──詩的な言葉遊びが入っている展覧会タイトル「Your Eye Is My Island―あなたの眼はわたしの島」から始めたいと思います。「島」からは、あなたが過去17回訪れた日本という国が連想されますね。

ピピロッティ・リスト(以下、リスト)「島」は日本という島国と関連していますが、島のように機能する私たちの「眼」という意味合いも持っています。私にとっては苦痛の海から逃れる夢のような状況も「島」なのです。言葉と象徴に深い関心を持っている2人のキュレーター、牧口千夏さん(京都国立近代美術館学芸員)と後藤桜子さん(水戸芸術館学芸員)とのピンポンのようなやりとりの結果、「キュレーターとアーティストの詩」のような題名にたどり着いたことを嬉しく思います。

──今回の展覧会は、日本の観客にあなたの約30年間の芸術実践を俯瞰できる特別な機会を提供しています。コロナ禍で作家 の来日が実現しなかったにもかかわらず、 展示空間から幸福感があふれているのは、 そのような相互信頼が築けたからでしょうね。

リスト はい、とてもポジティブな経験でした。大規模展覧会の現場をここまでキュレーターに任せたのは今回が初めてのことだったのですが、彼女たちの実力と信頼関係のお陰で実現することができたと思います。牧口さんは遠隔会議がヴィデオ・アートの原点を連想させたという興味深い話を図録に書いていますが、まさに解像度の問題ですね。

アパートメント・インスタレーションの展示風景
サイケデリックな光と色に満ちた最後の展示室には絨毯が敷かれ、ディナーテーブル型の作品《愛撫する円卓》(2017)やソファや岩に映像が投影された《箱庭の静けさ》(2020-21、写真右)などが広がる。壁2面を使った巨大なスクリーン(写真奥)には3つの映像作品がグループで映し出される。壁際にも解剖模型や救急箱、酒瓶や日用品や記憶を秘めた品で構成された作品群が並ぶ。
撮影=表恒匡 © Pipilotti Rist

──もともと個人宅だったルイジアナ近代美術館の庭では洗濯物のようだった《ヒップライト(またはおしりの悟り)》(2011)が 、京都国立近代美術館の展示では神域と人間世界を区切る境界としての鳥居のように見えて驚きました。白い下着でできた作品が平安神宮の大鳥居と並んでいる風景が愉快かつ挑発的です。 教えてください。

リスト 隣の大鳥居も半分お借りしたという感じですね(笑)。キュレーターと私も、力強く聖なる存在ともろくて世俗的な物語の対比が面白いと思い、インスタレーションに生かすことにしました。この作品の制作の動機となったの は「象徴」です。身体でいちばん重いお尻は、情熱から 嫌悪感まで、相反したイメージを持ってい ますが、そこに軽さと明るさ、両方の意味で「ライト」な感覚を与えることを試みました。私たちはお母さんの股のあいだから出てきて「ライト = 光」を見ましたよね。「洗濯物は外で洗うな」という言葉遊びがありますが、それは私たちが家庭内に汚 れ、つまり問題がないふりをするという意味です。汚れという概念は「悟り」につながります。自分の限界と間違いを認識すること、それが解放への第一歩ですから。

ヒップライト(またはお尻の悟り) 2011
インスタレーション
使い古された下着、鋼線、LEDランプ
ロープ状のワイヤーに白いパンツが、洗濯物のように吊るされ屋外で揺らめく。男/女用、大人/子供用と様々な形状の下着は、日が落ちると、ランプのように、内側から発光する。リストのユーモアと人類へのおおらかな眼差しを感じさせる作品のひとつ
撮影=表恒匡 © Pipilotti Rist

──最初に観客を迎える作品群のなかに《溶岩の坩堝でわれを忘れて》(1994)があります。作品の小ささと床という設置場所にユーモアがありますが、映像からは地獄も連想されます。あなたの作品にある意識的・無意識的な宗教の影響について教えてください。

リスト この作品が宗教に強く影響されたという見方に同意します。私の両親はあまり信心深い人ではありませんでしたが、私は10代になる前、約2年間宗教に心酔したことがあります。自分が無神論者であると認めることに強い罪悪感を感じますし、いまでもキリスト教、ユダヤ教、イスラム教で共有されている、宗教的な「脅迫」に影響されています。

──ハンス=ペーター・ウィップリンガーの論考(2015)(*1)では、あなたの作品をヒエロニムス・ボスの《快楽の園》などと関連づけて分析していますね。

リスト 彼は現在の生が来世のためのテストにすぎないというキリスト教の教え、その過酷なファンタジーに言及しました 。 ボスと私の作品は、それに対してユーモアをもって反応しています。ユーモアは生きるための技なのです。のちに私は、宗教というものが神と人間ではなく人間同士の社会に関わるものだという事実に気づきました。宗教の儀式と犠牲の教理はコミュニティのなかの信頼の証拠となり、難しい問題に対する答えを与えてくれます。

フェミニズムを超えて

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