*1──著作権法2条1項1号。
*2──著作権法10条1項各号。美術工芸品については同法2条2項。
*3──奈良地判令和元年7月11日(平成30年(ワ)第466号)〔金魚電話ボックス事件〕。
*4──Arthur C. Danto, Damien Hirst’s Medicine Cabinets: Art, Death, Sex, Society and Drugs, Damien-Hirst The Complete Medicine Cabinets, p.7では人体のようにキャビネットでサイズと形を選択したとハーストは語っている。また、『美術手帖』(2012年7月号)41頁(ニコラス・セロータによるインタビュー)でも、「薬品キャビネット」シリーズについて「このシリーズでも色は扱っていたけれど、色を構成しているという事実は前に出さなかった。文字どおり、色で遊ぶという感じ。でも、汚らしくて子どもじみた、無意味なものにしたくなかった。だから距離をとって、レイアウトを加えた」と言う。
*5──小島立「現代アートと法-知的財産法及び文化政策の観点から-」『知的財産法政策学研究』36巻(2011)26頁は、デュシャンの《泉》を例として、「現代アートにおける創作性を認定するに当たって、創作過程における経時的要素または作品に込められた文脈をどこまで創作性判断に取り込めるかということが真剣に議論されなければならない」と指摘する。
*6──奥邨弘司 「ウェブサイト上のニュース記事の見出しの著作物性」『著作権研究』31号(2004)85頁参照。
*7──大阪地決平成25年9月6日判時2222号93頁〔希望の壁事件〕。
*8──暮沢剛巳『現代アートナナメ読み 今日から使える入門書』(東京書籍、2008)80頁〔福井健策発言〕、福井健策『著作権とは何か──文化と創造のゆくえ』(集英社新書、2005)43-44頁参照。
*9──《泉》100周年を記念して英国で開催された「FOUNTAIN 17」には多数の作品が展示された。
*10──グロリア・モウレ『マルセル・デュシャン』(美術出版社、1990)17頁参照。
*11──著作権法12条1項。
*12──半田正夫、松田政行編『著作権法コンメンタール1〔第2版〕』(勁草書房、2015)634頁〔横山久芳〕。
*13──中山信弘『著作権法〔第2版〕』(有斐閣、2014)139-140頁。
*14──前掲注12・『著作権法コンメンタール1〔第2版〕』642頁〔横山久芳〕。
*15──森美術館編『アイ・ウェイウェイ 何に因って?』(淡交社、2009)60頁参照。
*16──前掲注12・『著作権法コンメンタール1〔第2版〕』642頁〔横山久芳〕。
*17──大阪地判昭和60年3月29日判タ566号278頁は、「編集著作物とは、英語単語帳、職業別電話帳のように単なる事実、データーを素材にして編集したものか、百科事典、新聞、雑誌、論文集のように既存の著作物を素材にして編集したもので、一定の方針あるいは目的の下に多数の素材を収集し、分類・選択し、配列して作成された編集物でなければならない。従つて、本件で問題となつているような商業広告が編集著作物と認められるためには、例えば、多数の商業広告を収集して、一定の方針あるいは目的の下に分類・選択し、配列して作成された編集物でなければならず、本件広告(1)のようにたつた一つの広告に過ぎないものは「編集物」とはいえず、編集著作物とは認められない」と判示している。また、作花文雄『詳解 著作権法〔第4版〕』(ぎょうせい、2010)116頁は、「著作物を創作する場合、既存の様々な素材を利用することが少なくないが、これらを全て『編集著作物』という概念で捉えるべきでなく、程度問題ではあるが、相当数の素材を収集し、選択し、配列したものを特に『編集著作物』と捉えるべきである」と述べる。横山久芳「編集著作物概念の現代的意義―『創作性』の判断構造の検討を中心として―」『著作権研究』30号(2003)149頁も、「このような単一ないし少数の素材群を編集著作権で保護するとなると、後発者はもはや同一の素材を選択することができなくなり、後発者の編集活動の自由が過度に阻害されることとなる。編集著作権の保護を受けるためには、後発者が同様の編集活動を行う際に支障を来たさない程度の実質的な量の編集行為(素材の選択配列)を行う必要があるといえよう」と指摘する。
*18──加戸守行『著作権法逐条講義〔六訂新版〕』(著作権情報センター、2013)124頁。
*19──意匠法21条1項(令和元年5月17日法律第3号。現在は未施行)。
*20──中山信弘「応用美術と著作権」『論究ジュリスト』18号(2016年夏号)98頁注3は、デュシャンの《泉》に触れて、「何が純粋美術かを考えさせられる好例であろう」と述べる。横山久芳「著作権法における応用美術の保護のあり方」小泉直樹、田村善之編『はばたき-21世紀の知的財産法』(弘文堂、2015)583頁は「現代美術の分野では、実用品を素材として作者の思想、感情を表現するということがよく行われるが、そのような現代美術が著作物として保護されるとしても、それは、物品の実用的な性格を捨象し、物品に新たな美術的意義を付与したことに著作物性が認められるのであって、物品それ自体に著作物性が認められるからではない」と指摘している。さらに、五味飛鳥「応用美術の法的保護について-主として意匠法との交錯に関して」渋谷達紀ほか編『知財年報2009』別冊NBL130号(商事法務、2009)267頁は「実用品の形態から実用性が捨象されると、純粋美術になり得る。デュシャンの『泉』が好例である」と述べる。
*21──知財高判平成26年8月28日判時2259号150頁〔ファッションショー事件〕。
*22──金子敏哉「日本著作権法における応用美術」『著作権研究』第43号(2016)80頁、拙稿「幼児用椅子TRIPP TRAPPは果たして著作物なのか-『美術の範囲』の解釈の深化を目指して」『パテント』69巻7号(2016)99頁。
*23──ジョージ・ディッキー(今井晋 訳)「芸術とはなにか-制度的分析」西村清和編・監訳『分析美学基本論文集』(勁草書房、2015)36頁。
*24──当然ながらアートとしての価値と、著作物としてどの程度保護されるかはまったく別の話である。Charles and Thomas Danziger, The Shape of Things, Art + Auction (December 2008)でVirginia Rutledge弁護士は、“Art and copyright are different games. A thin copyright isn’t worth much, but some highly original art has been made out of very minimal gestures. The value of Duchamp’s Fountain has nothing to do with its copyright.”と指摘している。
*25──依拠性の程度が類似性の判断に影響しうることを指摘する文献として、前田哲男「翻案の概念」中山信弘編集代表『知的財産・コンピュータと法-野村豊弘先生古稀記念論文集』(商事法務、2016)103頁。また、東京高判平成13・6・21判時1765号96頁〔西瓜写真事件〕では、被告が被告写真の撮影経緯について、旭川市に果物写真の撮影に赴き付近の西瓜畑にあったスイカを独自の着想によって撮影したと主張して原告写真に依拠したことを否定していたのに対し、控訴審において、被告写真における楕円球の西瓜様のものは西瓜畑にあるはずのない冬瓜であったことが判明した等の事情により、結局、原告写真に依拠していたことが認定されたという特殊事情があった。裁判所は、被告が、原告写真に依拠しない限り、到底、被告写真を撮影することができなかったとまで断じている。そして、被告写真にある原告写真との相違点は、被告独自の思想又は感情を読み取ることができるものではなく、原告写真を粗雑に再製又は改変したものと評価されている。事実上、被告による原告写真への強い依拠が類似性の判断に影響を及ぼした事例であるとも評価できよう。なお、このような依拠性の程度、強さを考慮する考え方は米国でも議論があり、「inverse ratio theory」と呼ばれる。
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