感染症があぶり出す「悪意」にアートはどう対抗するか
新型コロナウイルスが世界的に流行し始めて1年あまりが経った。いまもなお先行きは厚い雲に覆われたままだが、「人類と感染症」という視点から見れば、そこには少なくない数の先例を見出すことができる。
1991年6月号の「エイズ特集」は、『美術手帖』で唯一組まれた感染症をテーマにした特集である。日本で初めてのHIV感染者が確認されたのは85年のこと。この号が出た時点では、すでにロバート・メイプルソープもキース・ヘリングもエイズにより他界していた。そのいっぽう、95年にエイズの犠牲になった古橋悌二は当時まだ健在であり、それゆえだろうか、今号ではエイズの問題がいささか「対岸の火事」として描かれている感もある。というのも、特集で主に論じられているのはアメリカ東海岸の動向であり、デイヴィッド・デイチャー、友成陽一、椹木野衣、ダグラス・クリンプのそれぞれ長大な論考が編集方針に対応しているのだ。
他方で、そこから当時予想もされていなかった警句を見出すこともできるかもしれない。まず、今号ではエイズの本質が「社会の病」を浮き彫りにした存在として描かれていた。例えば、89年5月に右派団体の投書を掲げた米議会議員が、アンドレ・セラーノの作品《ピス・クライスト》がキリストに対して侮辱的であり、公金の援助を受けていることは問題であるとして激しく非難した。その2ヶ月後には、同様の援助を受けていたメイプルソープの回顧展がターゲットとなり、主催者が先回りして展覧会を自主規制する事態へと悪化。それに反対したアーティストたちが同会場での展覧会をキャンセルするという抗議行動にまで発展している。
こうした一連の出来事が、2019年以降に日本で激化した「表現の自由」をめぐる問題と同型であることは指摘するまでもない。むしろここで確認すべきは、エイズという病が遠因となって、社会に(双方の立場にとっての)「悪意」が顕在化し、それに伴いアートもまた「直接行動」に出ることを強いられるようになったという事実だ。論考のなかで椹木は、こうした状況により「芸術は
現代に話を戻せば、いまやネットには「活動家」やハッシュタグ「デモ」があふれ、運動の無限ループが繰り返されている。もしアートがこの「病」を克服する日が来るのであれば、それはこの社会における芸術の不可能性を認めたうえで、それでもなお、このループの外側へと表現を投げかけていくことでしかありえないのではないだろうか。
(『美術手帖』2021年4月号より)