複製や反復は、ものの固有性を失わせるように思われることもある。同じイメージが大量に印刷され、同じ形式が繰り返されるとき、そこにあったはずの一回性は薄れていく。しかし、同じものが繰り返されるからこそ、その一つひとつが置かれた場所や、そこに刻まれた時間の違いが、かえって鮮明になることもある。
SCAI PIRAMIDE(六本木)で開催された、ダニエル・ビュレン「Situated Works 1966–2013」展、KOTARO NUKAGA(六本木)で開催された、オリオール・ヴィラノヴァ「Original Copy」展では、異なる方法からこの問題を浮かび上がらせていたように思われる。ビュレンが半世紀以上にわたって反復してきたのは、8.7センチ幅の垂直のストライプである。いっぽう、ヴィラノヴァが作品の素材とするのは、世界各地の蚤の市や古物市場などで長年収集してきたポストカードだ。いっぽうは作家自身による形式の反復、もういっぽうは印刷技術によって生み出された複製物の収集であり、その方法は大きく異なる。「同じもの」の反復が、むしろ差異を見つけるための方法となっていることに気づく。
「視覚の道具」となるストライプ
ダニエル・ビュレン「Situated Works 1966–2013」(SCAI PIRAMIDE)
ビュレンは1960年代半ば、市場で見つけた、白と別の一色が交互に並ぶ8.7センチ幅のストライプ柄の布を制作に用い始めた。この規格化されたストライプは、その後60年以上にわたって、素材や形態を変えながらビュレンの制作の基盤であり続けている。

《可変形態の絵画》(1966)では、白と黒のストライプ柄の綿布が用いられ、その3辺に白い絵具が施されている。ここで作品を特徴づけるストライプは、作家自身の手によっていちから描かれたものではない。既製の布にすでに存在していた規格化された模様を用い、その3辺に白い絵具を加えている。1989年にICA名古屋での展覧会のために制作された《5つのエレメンツ》(1989)でも、白と黄色、白と青のストライプ柄の布が用いられ、その両端に位置する白いストライプが白い絵具で覆われている。
白い壁に間隔をとって置かれたこれらの作品を見ていると、繰り返されるストライプは、それ自体が強いイメージとして迫ってくるというよりも、作品ごとの違いを測るための基準のように働き始める。同じ8.7センチという尺度が繰り返されるからこそ、作品の大きさや支持体、色彩、壁面との距離といった、それ以外の要素へと目が向けられるのである。

さらに会期前半に展示された《Fibres Optiques》(2013)シリーズでは、同じストライプが光ファイバーの布とLED、スクリーンプリントなどによって構成される。1960年代の作品には綿布の表面にあったストライプが、半世紀近くを経て、自ら光を発する表面へと変化した。ストライプの規格は変わらない。しかし、それを支える物質や技術は変わり、作品と周囲の空間との関係も変化する。
ビュレンはこのストライプを「視覚の道具」として用いてきた。それは、同じ形式を反復するためだけのものではなく、作品が置かれた場所の構造や条件を明らかにするための基準でもある。「Situated Works」というタイトルが示すように、作品は自律した物体としてのみ存在するのではない。それがどこに置かれ、何と隣り合い、どのような光のなかで見られるのかによって、その都度異なる関係を結ぶ。同じものを置くことで、むしろ場所の違いが見えてくる。
異なる場所と時間を経て再び隣り合う
オリオール・ヴィラノヴァ「Original Copy」(KOTARO NUKAGA)
ヴィラノヴァは20年以上にわたり世界各地の蚤の市や古物店を巡り、ポストカードを収集してきた。本展では、同じ図柄をもつポストカードを複数枚並べた作品が、白い壁面に大きな余白を残しながら配置されている。桜とともに写る富士山のイメージ、金閣寺のイメージ、海辺のイメージなどを写した同じ図柄のポストカード数種類が横一列に連なる。


遠くから眺めれば、それぞれの作品は同じイメージが規則正しく反復する細長い帯のようにも見える。しかし近づいていくと、その規則性は少しずつ崩れていく。カードの端が折れているもの、色褪せたもの、消印が残るもの。同じ図柄を印刷されたはずの紙片は、いまや1枚ずつ異なる表情をもっている。
ポストカードは、そもそも複製と移動を前提としたメディアである。ある土地の風景や美術作品など様々なものを撮影し、同じ図像を大量に印刷することで、本来その場所にあったイメージを別の場所へ持ち運ぶことができる。ここで思い起こされるのが、ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』(1936)である。ベンヤミンは作品の真正性を、その作品が存在する一回的な「いま・ここ」と結びつけ、写真や印刷をはじめとする複製技術が、そのあり方を大きく変化させることを論じた。
しかし、ヴィラノヴァの作品を前にすると、複製されたものにもまた、その後の時間があることに気づかされる。同じポストカードは、一度にまとめて購入されたものではない。異なる国や街の蚤の市で、ときには数年の間隔を空けながら偶然に集められてきたものだという。誰かによって購入され、書かれ、送られたものもあれば、未使用のまま残されたものもある。大量生産された時点では交換可能だったはずの複製物が、流通し、使用され、保存される時間のなかで、少しずつ異なるものになっていく。同じ図柄のポストカードは、それぞれ異なる場所と時間を経たのち、この展示空間で再び隣り合うことになる。
そして本展では、そうして異なる時間を獲得した複製物が、もう一度、ひとつの場所に集め直されている。ヴィラノヴァは2026年のヴェネチア・ビエンナーレのスペイン館では、5万枚以上のポストカードによって空間を覆った(《Los restos》[2026])が、本展では対照的に、白い壁の余白を大きく残している。ここでは収集されたイメージを見せることだけでなく、それらをどのような間隔で、どの場所に置くのかという行為そのものが作品をかたちづくっている。
今回の2つの展示に共通していたのは、反復によって生じる規則性と、それを破る差異とが、見る距離によって入れ替わることだった。遠くから見れば、ビュレンの作品には同じ幅のストライプが繰り返され、ヴィラノヴァの作品には同じ図柄のポストカードが連続する。ところが近づけば、前者では布や絵具、光ファイバーといった物質の違いが、後者では褪色や折れ、消印といった1枚ごとの痕跡が見えてくる。「同じもの」として見えていたものは、近づくほど同じではなくなっていく。
ビュレンは同じ形式を異なる場所や物質へ置くことで、その差異を可視化する。いっぽう、ヴィラノヴァは同じイメージとして生産されながら、異なる時間を経てきたものを集め、それらをもう一度展示空間のなかに置き直す。前者では反復によって「場所」の固有性が現れ、後者では複製物に蓄積された「時間」の固有性が現れる。しかし両者にとって、場所と時間は切り離されたものではない。作品は過去に経てきた時間を伴って、いま、この場所に置かれている。
複製と反復は、必ずしも差異を消去するものではない。むしろ同じものが繰り返されるからこそ、それが置かれた場所や、そこに堆積した時間の違いが浮かび上がる。ベンヤミンが複製技術によって変容すると考えた作品の「いま・ここ」は、複製された後にただ失われてしまうのだろうか。「Situated Works」と「Original Copy」という2つのタイトルが示すように、作品の固有性は、それが唯一のものであることだけによって生じるのではない。それがどこに置かれ、どのような時間を経て、いま目の前にあるのか。2つの展覧会は、反復と複製を通して、その一回性をあらためて見つめ直す機会を与えていた。
※本稿執筆にあたり以下を参照した。
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』川村二郎ほか訳、紀伊國屋書店、1965年
SCAI THE BATHHOUSE「Daniel Buren: Situated Works 1966–2013」展覧会ハンドアウト、SCAI PIRAMIDE、2026年
KOTARO NUKAGA「Oriol Vilanova: Original Copy」展覧会ハンドアウト、KOTARO NUKAGA、2026年
宮津大輔「Original Copy」KOTARO NUKAGA「Oriol Vilanova: Original Copy」展覧会ハンドアウト、2026年

























