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2018.11.23

芸術の諸ジャンルが交わる“山のような”芸術祭。小金沢智評 「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2018」

東北芸術工科大学が主宰し、今年3回目を迎えた「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」。この芸術祭では、東北の暮らしと地域文化への深い洞察をベースに、現在の山形のあり様を表した作品を展示するとともに、山形の過去と未来に光を当てる創造的なアイデアや協働を「山のように」生み出す芸術祭を目指してきた。この芸術祭がスタートした2014年から全回を見続けてきたという太田市美術館・図書館学芸員の小金沢智がレビューする。

文=小金沢智

「山のような 100ものがたり」内、「現代山形考」(山形ビエンナーレ2018)の展示風景 撮影=根岸功
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大学で芸術祭は可能か?

 2014年から、自治体や美術館、アーティストでもなく、美術大学=東北芸術工科大学の主催によって始まった「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」(以下、山形ビエンナーレ)が、今年で第3回を迎えた。芸術監督を第1回から一貫して担っているのは、山形県出身の絵本作家/アーティストの荒井良二。絵本の制作をキャリアの出発点としながら、ライブペインティングやバンドなど多岐にわたる活動を展開する荒井が、毎回自ら作品を出品しつつ、小説家のいしいしんじとの絵と小説のコラボレーションなども行っているという点に、この芸術祭の特質が象徴的に表れているとひとまず言っていい。

 つまり、山形ビエンナーレは、(絵本が必ずしも子供だけを対象にしたものではないことを承知のうえで、なお言うならば、絵本がそうであるように)対象は子供から大人まで、そして(荒井がそうであるように)芸術の諸ジャンルの混淆した芸術祭が目指されている、と。

荒井良二《旅する門》(「山形ビエンナーレ2014」)の展示風景 撮影=志鎌康平

 そして、2018年の第3回展開催にあたって、プログラムディレクター宮本武典(キュレーター/東北芸術工科大学教授・主任学芸員)が、「(山形ビエンナーレは)みんなで芸術のお祭をつくってみる壮大なワークショップのようなもの」(*1)という荒井の言葉を挙げている点に、この芸術祭のもうひとつの特質が表れている。その一文を含む宮本の文章は、年間、日本各地で大小様々な芸術祭が行われている現在、山形という場所で、東北芸術工科大学という美術大学が主催で行う芸術祭をどのようにつくることができるのか、ということに、宮本がいかに心を砕いているかをうかがわせるものだ。

 「壮大なワークショップ」である山形ビエンナーレは、開催の都度異なるディレクターを据え、現在の美術の文脈に基づいたテーマを設定する、ビエンナーレやトリエンナーレらしい手法をとらない。先に述べた通り芸術監督は荒井良二が第1回から第3回まで連続して務め、テーマは、第1回「山をひらく」(2014)、第2回「山は語る」(2016)、そして第3回「山のヨーナ」(2018)と、山形という地勢を考えれば看過できない「山」という存在を起点にしてゆるやかに連続し、展開している。​

いしいしんじと荒井良二のその場小説《門がとじる》(山形ビエンナーレ2014)の展示風景
撮影=志鎌康平

​ そうして、山だけではなく、山形という土地全体やそこに住む人々、生まれる文化(美術・芸術だけに限らない)——を積極的に拓いていこうとしている。であるから、出品作家もまた、美術家、建築家、写真家、映像作家、小説家、詩人、山伏、イラストレーター、グラフィックデザイナー、ミュージシャン、ダンサー、ファッションブランドなどじつに幅広く、その多くがこの場所だからこその作品を制作・展示する。いしいしんじ、ミロコマチコ、坂本大三郎、spoken words projectなど、1度だけではなく複数回参加している作家が多いことも特徴か。

山姥市での市プロジェクト「山の手仕事」(「山形ビエンナーレ2016」)でのイベント風景

 そしてその作品が展示される会場は、第1回から、山形文翔館という山形市街地の歴史的建造物を中心にしながらも、近隣の写真館や和食店なども使用され、第2回では「市プロジェクト」なる市街地における「市場」(マーケット)も企画され、閉じられた空間ではなく、市街地に拓いていくことが積極的に行われている。日時限定的な催しであったものの、市プロジェクトで有志市民や若い作家たちが作品を展示・販売し、またこれを機にコレクティブが生まれ(「山形芸術界隈」)、屋外でトークイベントが行われるなどするさまは、地域社会と積極的に関係を結ぼうと試みる芸術祭として新しいアイデアを伴うものである。

 こうした山形ビエンナーレの地域社会への拓かれ方は、主催する東北芸術工科大学が掲げる「東北ルネサンス」という、「地域社会と共生しながら、地域の歴史や文化に育まれた精神と叡知を理解し、新しい世界観の創生へと結集させて次世代に手渡す、その決意」を意図するスローガン、そして、「人類の良心による芸術と工学の運用によって、社会に貢献する人材を輩出する」という教育目的のひとつの実践であると考えるべきだろう(*2)。

スガノサカエによる「山形ビエンナーレ2016」での展示風景 撮影=志鎌康平

 2011年の東日本大震災から3年を経て開催された山形ビエンナーレは、「美術大学が、アートやデザインが、この社会に役立てることはなにか?」(*3)という問いとともに、アート・デザイン、そしてそれらを表現手段とするアーティストや同大の学生たちと「地域」「社会」との回路をつなげるかのようにして、その回数を重ねてきたのである。目指されているのはさながら、アート・デザインによる共生への誘いであると言ってもいいかもしれない。

 ただ、このような共生への志向を思わせる芸術祭のありようは、山形ビエンナーレにかぎらず、アート・デザインによるその是非についての問いもまた生み出すものだ。極論するならば大戦時の諸芸術がジャンルを問わずその危険をはらんでいたことに顕著に現れているように、アート・デザインは、享受する人々を良きにつけ悪きにつけ、造形やメッセージ、または「美」によって扇動する大きな力を持つ。その危うさに対して、山形ビエンナーレの内部から議論が引き出されるかのようにして、いままでにない見え方が生まれたのが、今回の第3回展と言えるのではないか。

 第1回、第2回でも会場となりながら、展示のボリュームとしてはあくまで市街地のサテライト的な位置づけのように感じられた東北芸術工科大学の校舎の展示がそれである。「山のような 100ものがたり」と題された校内での展示は、「山形らしさとしてあまり意識されてこなかった所に焦点をあて、民俗・博物資料と芸工大から生まれるアート作品が入り乱れる展覧会」(*4)として、 「ラボラトリー」「インキュベーション」「コンテンポラリー」「コラボレーション」「アーツ&クラフツ」の5つのゾーンに分けられた大学敷地内に100の作品が展示された。いや、元々敷地内に住む猫や、茂る竹林が100のうちに数えられているなど、作品というよりやはりそこにある「物語」が100あると言ったほうが適切かもしれない。

「三瀬夏之介+東北画は可能か?」(山形ビエンナーレ2014)の展示風景 撮影=志鎌康平

 キュレーターは、同大美術科日本画コースの教授を務める三瀬夏之介と、同大出身の宮本晶朗。三瀬は、出自である日本画を批評的にとらえ制作を行う自身の作家活動のほか、2008年の赴任以来、洋画コースの鴻崎正武とともに「東北画は可能か?」という東北・山形の美術のあり方を問うプロジェクトを学生とともに継続的に行うなど、居住する土地の歴史・文化を表層から深層まで掘り進めることで既存のイメージを転覆させ新しい価値を問い続けている作家だが、「山のような 100ものがたり」の、とりわけ企画展「現代山形考」は、その三瀬自身の作家活動における関心が美術史及び文化財マネージメントを専門とする宮本とタッグを組むことによって、キュレーションというかたちで発露した稀有な機会だった。

 「修復は可能か?−地域・地方・日本−」というサブタイトルが付けられた「現代山形考」は、市街地の展示全体で浮かび上がる「わたし(たち)」とこの土地の「なにか」とのつながりというよりも、「わたし(たち)」とこの土地の「なにか」の切断を見せつけることから始まる。つまり「共生」できていない(ように見える)ものが、そこにある。

「山のような 100ものがたり」より、「現代山形考」(山形ビエンナーレ2018)の展示風景 撮影=根岸功

 会場で鑑賞者が最初に向き合うのは、彫刻の制作を行い、同大文化財保存修復研究センターに所属する井戸博章が、まさしくその場でなにかを修復しようとしているさまである。そこには、素人目には「作品」とも「文化財」とも判断が難しい「もの」がある。それははたしてなんなのか?どのような意図から、いつ、どこで、どのようにして、誰によってつくられ、どのように人々から受容されてきた(あるいは受容されてこなかった)ものなのか?そこには、そのような、ある「もの」を、たんなる「もの」ではなく、「作品」「文化財」として判断するための材料がない。あるいは乏しい。ゆえに理解しがたい。困惑の先にさらに生まれるのは、そういったものを、「修復する」とはどういうことなのか?という問いである。

「山のような 100ものがたり」より、「現代山形考」(山形ビエンナーレ2018)の展示風景 撮影=根岸功

 これに答えるようにして、展覧会は素朴さのある木彫の風神雷神像の展示へと続く。江戸時代後期に制作され、山形県大江町雷神社に祀られながら、現在は廃村であるがゆえに管理がなされていなかったという2体の神像である。驚くべきことは、この像を見い出した発見者でもある、井戸と同じく同大で文化財保存修復に従事する日本画家の大山龍顕が、展示にあたって像とは独立する光背として屏風を制作、ともに展示していることだ。

 大山は、「今作は琳派に『風神雷神像』の独創的な素朴さを加えた、ある種オマージュのような作品」(*5)と述べているが、その様子は一見、江戸時代の当時からそのようなセットとしてつくられていたようにも見えてしまう。光背が大山の作品として制作されている以上、これは「修復」ではないが、明らかにこの風神雷神像ありきで制作され、その背後に展示されることがほとんど決定づけられているこの作品を、どのように考えるべきなのだろうか?

「山のような 100ものがたり」より、「現代山形考」(山形ビエンナーレ2018)の展示風景 撮影=根岸功

 このような鑑賞者と展示物との関係性の切断を、本展では最後まで見せられ続けると言っていい。早くして亡くなった子供と架空の異性との婚礼の様子を描いたムカサリ絵馬という知られざる山形の習俗から、明治時代の神仏分離によって流出した仏像コレクション(旧佐藤仏像コレクション)、山形県内の絵はがきコレクションといった、誰が制作したものかわからない(そういったことが必ずしも問題にされない)ものたち。

 いっぽう、西洋彫刻に学びながら日本・東洋の造形も取り入れた彫刻家・新海竹太郎、その長男であり当時の社会運動に大きく関わった画家・新海覚雄、日本各地の建造物を描いた近岡善次郎、東北初の写真館を設立した写真家・菊池新学、初代山形県令・三島通庸の命により山形を含む道路の開発事業の記録画を描いた画家・高橋由一、冬虫夏草研究者として多くのスケッチを残した清水大典などの作品および資料群。それらは、ともすればそれら単体だけではそのもの自体の意味を十分には汲み取りにくいものだ。

「山のような 100ものがたり」より、「現代山形考」(山形ビエンナーレ2018)の展示風景 撮影=根岸功

 冒頭で井戸が修復しているものがなんなのかそれだけでは判然としないように、それらはここ・山形にルーツを持ちながら、いま、(とりわけ)山形に住む人びとの歴史や文化とどのような関係性があるのか、ないのか?連続しているのか・切断されているのか? 意味があるものなのか・無意味なものなのか? 判然としない。本展の会場に充満していたのはそのような無数の問いである。そして、本展のキュレーションとして行われていたのは、そういったもの自体が投げかける問いに対し、あえて「山形」というフィルターを強くかけ、問題に対してきわめて意識的な現代作家たちによる作品群をともに展示することによって、問い自体をいっそう際立たせ、またその問いに対するひとつの答え(提案)を導き出すということだろう。

「山のような 100ものがたり」より、「現代山形考」(山形ビエンナーレ2018)の展示風景 撮影=根岸功

 例えば、新海竹太郎や吾妻兼治郎といった彫刻家たちが手がけた「レリーフ」という技法を、現在の作家(金子朋樹、深井聡一郎、吉賀伸)たちがどうとらえ、作品にするか。山形をモチーフにした菊池新学の写真や高橋由一の記録画を経つつ、現在の山形・日本を写真でどのように分析するか(屋代敏博)。あるいは、この土地の食文化へのリサーチを伴った絵画(浅野友理子)や、韓国から山形に移住し当地で結婚した花嫁たちへのインタビューに基づいたインスタレーション(是恒さくら)など、必ずしも一般的に知られているものではない文化や環境、状況へと関心を寄せ、作品として昇華することで新たな問いを投げるかのような作家たちの仕事がある。

「山のような 100ものがたり」より、「AGAIN-ST」(山形ビエンナーレ2018)のL PACK.いよる喫茶店
撮影=根岸功

 諸学問の研究機関である大学だからこそ可能だと言いたい展覧会である。山形の自然・山々と市街地の「あいだ」にあって、両者を行き来してその歴史と文化を探りながら、得たものを現代へと送り返すかのような手つきがそう思わせる。企画展「現代山形考」に限らず、同大内で行われた、彫刻と教育を考える6人組(彫刻家、学芸員、デザイナー)のグループAGAIN-STと、「コーヒーのある風景」をテーマに美術のフィールドで活動するユニットL PACK.による「(山形の)カフェで彫刻を」は、彫刻や器(工芸)という大学の専攻でもそれらが一般的に置かれる(展示される)場所でも、棲み分けがされている分野のラディカルな統合があざやかだ。カフェにはそこここに作家の作品が展示され、テーブルでは作家による器でコーヒーや甘味が提供された。AGAIN-STのメンバーであり、彫刻家でありながら同大美術科工芸コースで教鞭を執る深井聡一郎の柔軟な思考あってこそだろうか。2012年から活動しているAGAIN-STが「彫刻とは何か」と問い続けてきたなかでのひとつの展開に違いない。それは学問であり研究の所産である。

「山のような 100ものがたり」より、ゲッコーパレードの演劇公演「リンドバークたちの飛行」(山形ビエンナーレ2018)の様子
撮影=根岸功

 あるいは浅野と是恒がそうであるように、東北芸術工科大学での展示は「インキュベーションゾーン」を中心に同大教員だけではなく卒業生や在学生が多く展示しているのが特色だが、自作の展示だけでなくアーティストを呼んでの企画も行われた点にも注目したい。移動型演劇を行うゲッコーパレードを招聘し、校内各所を舞台にして「リンドバーグたちの飛行」を企画したのは、現在博士課程で芸術工学を専攻する石原葉。学部・修士と同大で日本画を学んだ石原が、他者との共同による作品制作に触れ、積極的に関わっていくきっかけは、三瀬と鴻崎によるチュートリアル「東北画は可能か?」であり、とりわけ2014年の山形ビエンナーレにおける美術家・やなぎみわの演劇プロジェクトで中心的な仕事を経験したことだった。

 本稿なかばで、「このような共生への志向を思わせる芸術祭のありようは、山形ビエンナーレに限らず、アート・デザインによるその是非についての問いもまた生み出す」と一抹の危惧を示し、しかし第3回にはそれに対する議論が内部から引き出されたと書いたのは、このような意味においてである。つまり山形ビエンナーレは、アートやデザインが、「地域」だけではなく、それら作品群自体を律する歴史や批評という「学問」にもまた拓かれているということを、とくに東北芸術工科大学での展示において示したのではなかったか。

ミロコマチコによる「山形ビエンナーレ2018」での展示風景 撮影=志鎌康平

 学問は、必ずしも地域やそこに住む人々に向けて常にわかりやすく拓かれているものではないかもしれない。だが、過去累々と様々な立場・状況で行われてきた、ときにきわめて孤独な営みである学術としての美術・芸術(という言葉すらなかった時代も含めてのそれ)の探求が、明確な意思に基づいた文脈の構築によってそのほかの事物・事象や歴史と接続するさまは、社会でのわかりやすい意味での有用性を超えて、この土地の文化を未来に対して大きく拓くのではないか。それは、過去の営みを新たな光によって照らし出すことでもある。祭が現在への感謝や祈りだけではなく死者や神仏へと捧げられるように、山形ビエンナーレで目指されている「芸術のお祭」が、過去・現在・未来を貫くようにして、いまや不可視の存在へともわたしたちが接触する場となることを願っている。

*1――宮本武典「〈プログラムディレクターメッセージ〉これは、芸術祭をみんなでつくるワークショップです」
*2――東北芸術工科大学 大学の理念
*3――根岸吉太郎「総合プロデューサーごあいさつ」
*4――三瀬夏之介「山のような 100ものがたり」
*5――大山龍顕/二曲屏風「雷電光背、竜巻光背」