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なぜ、パープルーム予備校か?
【梅津庸一インタビュー・前編】

私塾「パープルーム予備校」を拠点とするアーティスト・コミュニティ、パープルームは、美術予備校を美術運動として運営し、美術の制度や教育の問題に切り込む活動を展開している。白金高輪のギャラリー・ARATANIURANOで開催された「パープルーム大学物語」展にて中心メンバーの梅津庸一にインタビューし、パープルーム予備校設立の背景、現在の活動やこれからの展望に迫った。

「パープルーム大学物語」展示風景。作家たちのtwitterなどから引用した言葉が書かれた手づくりのフラッグは、普段はパープルーム予備校の壁に掲げられている

歴史からなくなるかもしれない、美術予備校

──梅津さんは、2013年に美大受験制度の作家性への影響を指摘したテキスト「優等生の蒙古斑」(*1)を発表し、パープルーム予備校を立ち上げられました。まずは、そうした活動に至った背景をお聞かせください。

 僕は東京造形大学在学中から、日本の美術教育や美大にかなり疑問を持っていました。ただ、問題を説明するだけでは何も変わらないのではないかとも感じていて、自分の作品でどうにかできないかと思っていたんです。

 卒業制作の《フロレアル》(2005)は、黒田清輝の師匠のラファエル・コランの代表作をモチーフにした作品です。僕が在学していた頃の造形大の絵画専攻は、インスタレーションや映像をつくっている人が多くて、ペインティングもなるべく手垢を見せないミニマルな作風が良いという風潮がありました。そこで、その頃の大学の雰囲気とは真逆の、洋画の作品をモチーフにし、大学で発表するというのが、批評的で面白いのではないかと、狙ってやったものです。学校ではバカにされましたが、卒業制作展を見て興味を持ってくれた学外の方がいて、すごく嬉しかったです。

furorearu.jpg

 当時の僕は美術って、ノイズが混ざったり歪んでしまったりしているほうが良いと思っていました。制度批判と個人史、いわゆる私小説みたいなものを同期させることによって、たんにコランの《フロレアル》をシミュレーションするのではなく、シミュレーションの行為自体をバグらせようと考えました。今思うとこの作品は、美術の制度に対する「甘噛み」だったのかもしれません。 その後は、岡本太郎記念現代芸術大賞展に出したり、『美術手帖』さんに取り上げてもらったりして、映像作家の大木裕之さんを介してこのギャラリーに所属するようになりました。 ギャラリーに所属すると、作品をどんどんアートフェアに持って行ってもらえたり、こっちが企画しなくても作品をつくるだけで美術関係者に会えたりして、すごくありがたかった反面、作品をつくるだけで精一杯で、このままで大丈夫なのかなとも思っていました。

 パープルームのような活動はもともとやりたかったんですが、20代のうちは作家活動に専念して基盤をつくり、その上で30代では自分で何かやろうと、作家人生を考えていたんです。 2008年のリーマンショックをきっかけに、日本でもアートバブルがはじけました。その頃、僕自身もペインターとして成長できずに、制作活動に行き詰まりを感じていました。模索を続け、2012年に発表したのが「優等生の蒙古斑」(*1)。それがきっかけで、国立西洋美術館学芸員の新藤淳さんなど、作家以外の人とも知り合い、パープルームの構想につながりました。

梅津庸一さん

──20代の頃からパープルームのような活動を計画されていたということですが、具体的にはどのようなことを考えられていたのでしょうか?

 美術史上の作品からモチーフを借りるなど、作品の中で表面的に歴史的なものを取り入れても、前の産物に依拠しているかぎり、元の作品のアップデートとしかいえません。そうではなく、黒田清輝が主催した画塾・天真道場に代表されるような、歴史的なものとしての「私塾」の制度自体をなぞりたかったのです。 それに、自分の私小説的リアリティーの限界も感じていました。僕ひとりでは、世界系の飛躍をつくれなくなってしまったのです。認めたくはないですが、このような感受性の欠損は、老いによるものなのだと思います。今はそれを、ユースカルチャーとして若い世代のパープルーム予備校生に見ています。パープルーム予備校の運営と並行して高齢者介護のアルバイトをしていることも、老いについて考えてしまう原因かもしれません。最近は本当に、毎日切ない気持ちでいっぱいです。

 いま、少子化が進み、美術予備校がどんどん潰れてしまっています。大学に入るとみんな受験生時代に身に付けたものを捨てようとするから、美術予備校時代の成果はアーカイブされることがない。ある意味ブラックボックス化しているので、いざなくなると完全になかったことになりかねません。 そこで、パープルーム予備校では、美術予備校の情報をテキスト化したり伝えたりという活動も始めました。私塾制度のかたちを借りることで、美術予備校を「延命」させているといえるかもしれません。

受験制度に支配されている、日本の美術

「パープルーム大学物語」展示風景

──そもそも、日本の美大受験制度や予備校教育を意識するようになったのはいつなのでしょうか。

 僕は山形出身なのですが、地元に美術予備校がありませんでした。受験生時代は、入学案内のカタログを全国の予備校から何十冊も取り寄せて、そこに載っている参考作品(生徒による優秀作品)をお手本にしてデッサンの勉強をしていたんです。短期講習のときは、東京に出てきて立川美術学院(タチビ)に通いました。当時は、参考作品はどんな名画よりもすばらしいと思っていました。

──そののちに、参考作品は本当に作品といえるのか、という問題に突き当たったわけですね。

 はい。2005年の荒木慎也さんの論文(*2)には本当に共感するところがありました。ただ、この論文は受験の現状をとらえるところで終わっていたのですが、僕は受験制度が実際の現代美術作品にもかなり反映されていると感じていました。 簡単に分けられるものではありませんが、美大受験を経たアーティストの絵画作品は、僕にとっては「ネオ受験絵画」か、「がんばってネオ受験絵画になるのをスルーしている絵画」かの、どちらかしかありません。 例えば、山口晃さんは確かにすごいけど、ご自身でも自分の作品は受験絵画的だと言っているんです。松井えり菜さんは2000年代前半のタチビの細川クラス、O JUNさんはおそらく、どばた(すいどーばた美術学院)。予備校時代の訓練のログが、作品に蒙古斑のように浮かび上がっているわけです。

 でも、見る人がどこまでそれを理解しているのかは疑問です。海外で評価される場合は問題にならないかもしれませんが、ルーツは絶対に受験絵画なのに、批評には一言もそれが出てこない。そんなのはおかしすぎると思います。作風が受験制度に関係していない作家なんて、ほとんどいません。 映像やインスタレーション作品を中心に制作している田中功起さんや小林耕平さんは、一見受験とは無関係に思えるかもしれませんが、実はものすごく関係しています。

 というのも、90年代の終わりに、東京藝術大学油画科の入試はひどい奇形化を遂げていて、油画の実技試験では、油絵の具を使わずキャンバスに香水をかけたり、ゼリーを塗ったりする受験生がいるという、おぞましい状況でした。そのときに受験した作家は、ほとんどが絵画ではなく、インスタレーションをやっているといいます。 2000年になると、多様で個性的な表現を追求するあまりエスカレートした受験を、東京藝大側が取り締まります。これは当時藝大の教授だった中西夏之さんが主導していたと言われていますが、試験に使う画材が支給されるようになり、指定外の用具の使用は厳しく制限されることになりました。それ以降に受験した作家には、ペインターが多くなります。

 こうして受験絵画が素朴になると、「良い絵」風な「味」も重視されるようになって、試験での評価の基準がよくわからないものになります。それが今の作家の、私小説的でゆるふわな感受性を形成しているんです。 一方で、会田誠さんが絵を制度批判の道具に使えるのは、受験生時代にそういった中途半端な「絵心」を注入されていない世代だからです。作風は、受けてきた受験教育に連結しています。受験のときに培った感受性と、作品がつくられた時代のトレンドがブレンドされているだけなのです。

坂本夏子&梅津庸一 Natsuko Sakamoto & Youichi Umetsu 開戦 Open War 2014-2015 116.7x 182.2cm キャンバスに油彩 oil on canvas ©Natsuko Sakamoto & Youichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO

──日本での美術における時代の流れというのは、ある意味受験制度によって規定されているということですね。学芸員や批評家は、美大予備校での実技訓練を受けていないことも多いので、その影響は見えにくいですよね。一方で、梅津さん自身の表現にも受験制度に規定されている部分があると思いますが、それについてはどうですか?

 愛憎ですね。予備校の影響は本当に根深いので、作品に出てこないように対策しますが、それも結局支配されているということになりますよね。でも僕はそれを隠蔽するのではなく、開示しながら作家性の構築に取り組んでいきたいと考えています。

脚注
*1——「優等生の蒙古斑」:「であ、しゅとぅるむ」展(名古屋市民ギャラリー矢田、2013)カタログ『であ、しゅとぅるむ』(編集=筒井宏樹/発行=Review House編集室)に収録された、梅津庸一によるテキスト。自身を含むグループ「優等生」のメンバー(大野智史、千葉正也、福永大介)を中心とする同時代の作家の作品にみられる、美術予備校の影響を指摘した。
*2——荒木慎也「受験生の描く絵は芸術か」:「美術出版社創業100周年記念 第13回芸術評論募集」で佳作を受賞し、『美術手帖』2005年8月号に収録された論文。東京藝術大学油画専攻の入試と美術予備校について取り上げ、受験絵画や受験制度の成立過程について記述。この問題を通じて、美術をめぐる価値観について考察した。

編集部

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