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2023.9.2

俗世を離れて憧れの隠遁生活を。泉屋博古館東京で企画展「楽しい隠遁生活―文人たちのマインドフルネス」を見る

東京・六本木の泉屋博古館東京で、俗世を離れて隠遁生活を送ることをテーマとした美術作品を集めた企画展「楽しい隠遁生活―文人たちのマインドフルネス」が開幕した。会期は10月15日まで。

文・写真=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、左から富岡鉄斎《掃蕩俗塵図》(大正時代、1917)、森琴石《山水図》(明治時代、1897)、帆足杏雨《山水図》(江戸時代、19世紀)
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 東京・六本木の泉屋博古館東京で、企画展「楽しい隠遁生活―文人たちのマインドフルネス」が開幕した。会期は10月15日まで。

 せわしない俗世を離れて隠遁生活を送りたいという願いは古くからあり、山水画をはじめとした絵画においても多く描かれてきた。本展はこうした「隠遁」への憧れが込められた作品を展示するものだ。泉屋博古館東京館長の野地耕一郎は、本展に際して「隠遁」について深く思考したと言い、「やすらぎと自由の追求」という普遍的なテーマをそこに見出したという。

展示風景より、中林竹洞《赤壁図》(江戸時代、1839)

 展覧会は4部構成。第1部「自由へのあこがれ『隠遁思想と隠者たち』」では、古代中国の孔子や許由、三国時代の「竹林の七賢」、南北朝時代の陶淵明などを描いた作品が展示されている。

展示風景より、作者不詳《孔子像》(明時代、16〜17世紀)
展示風景より、姫島竹外《竹林七賢図》(明治時代、1899)

 帝位を譲ると言われたものの、その申し出が汚らわしいと聞いた耳を水で洗ったという許由。橋本雅邦の《許由図》は、人から贈られ気に入っていた瓢箪を、松の音を邪魔するとわかれば惜しげもなく叩き割ったという許由の逸話を題材にしており、その高潔な隠遁者の精神を表している。

展示風景より、橋本雅邦《許由図》(明治時代、1909)

 田畑を開墾し時給自足の隠遁生活を送った陶淵明は、数々の漢詩を残したことでも知られている。草花や自然の音を楽しみ、酒を愛した淵明の姿に隠遁の体現を見出す作品も見どころだ。

展示風景より、森寛斎《陶淵明像》(明治時代、19世紀)

 陶淵明が記した『桃花源記』に登場する、自然のなかで人々が自由に暮らす空間「桃源郷」。第2章「理想世界のイメージ」は、この桃源郷への憧れを描いた絵画や煎茶道具が展示されている。

岡田半江《渓邨春酣図》(江戸時代、1840)

 田能村竹田、岡田半江、中西耕石らが描いた桃源郷は、花と木々があり、豊かな水が流れ、そして朴訥な漁師や鄙びた庵などがひとつの理想的な世界を構築している。

展示風景より、中西耕石《桃花流水図》(江戸時代〜明治時代)

 こうした世界観を好んだ江戸時代の文人たちのあいだでは、形式化し権威化した茶道へのカウンターとして、煎茶文化が広まっていった。書画のみならず、展示されている茶道具からも、隠遁の思想性が伝わってくる。

展示風景より、煎茶道具

 第3章「楽しい隠遁―清閑の暮らし」では、書斎や滝を見る人をダイナミックな自然と対比的に描いた作品を展示してる。山あいの小さな書斎や巨大な滝を「観瀑」する人々を描いた作品からは、超越的な存在への畏怖と憧れ、そこと一体になりたいという人間の欲望が見てとれる。

展示風景より、村田香谷《松壑観泉竹谿煎茗図》(明治時代、1904)

 本章ではほかにも周文のものと伝わる室町時代の《山水図》や長吉の《観瀑図》、清の石濤の《廬山観瀑図》、大正期の富岡鉄斎《静居対話図》や昭和期の岸田劉生《塘芽帖》など、時代を超えて受け継がれてきた自然のなかに静かに身を置くことの充足を知ることができる。

展示風景より、石濤《廬山観瀑図》(清時代)
展示風景より、岸田劉生《塘芽帖》(1928)

 第4章「時に文雅を楽しむ交遊」は、俗世を離れて書画や酒を楽しみ、そこから優れた文芸作品が生まれる「文人」をテーマに据える。文人のサロンを描いた「雅集図」や「臥遊図」は、隠遁が芸術を生む土壌であると考えられ、そこに憧れが投影されていたことをいまに伝える。

展示風景より、左が村田香谷《西園雅集図》(明治時代、1904)

 社会という大きな枠組みのなかで生きていかなければいけないのは、古きも新しきも同じだ。そうした規範的な社会の外側にこそ目指すべき希望や救済があると考える「隠遁」の想像力は、本展を訪れる人々にとっても生きるうえでの清涼剤になるだろう。