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脱植民地化と脱炭素化。2023年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展は「未来の実験室」を提示できたのか?

2年に1度開催されるヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展。第18回となる今年のビエンナーレは、ガーナ系スコットランド人の建築理論家レスリー・ロッコを総合ディレクターに迎え、「Laboratory of the Future(未来の実験室)」をテーマに掲げた展示が行われている。そのハイライトを、コーク大学ラディカル・ヒューマニティーズ・ラボラトリー ディレクターであり社会学者/現代美術の批評家であるエイドリアン・ファベルがレポートする。

文=エイドリアン・ファベル 翻訳=田村将理

ヴェネチア・ビエンナーレ第18回国際建築展の様子
Photo by Jacopo Salvi. Courtesy La Biennale di Venezia

 毎年交互に開催されるヴェネチア・ビエンナーレの美術展と建築展のあいだに明確な線引きを行うことはますます難しくなっている。このふたつを完全に同じものとして扱うことはできないものの、建築展の期間中のジャルディーニ会場とアルセナール会場にはインスタレーション、彫刻、映像、写真、空間実験、美術作品、芸術理論、哲学的思索といったものが様々なかたちで広がり、そのなかに実際の建築がなかなか見当たらないという不満は主導的な建築家や建築評論家のあいだでも囁かれている。また、様々な言説も収斂しつつある。私たちが今日直面する歴史的な窮状に対する、あらゆる目的を担う社会的・政治関与的な介入のあり方をめぐり、今年の建築展はガーナ系スコットランド人の建築理論家レスリー・ロッコ(Lesley Lokko)を総合ディレクターとして脱植民地化と脱炭素化というテーマを掲げた。

 ロッコが展示の中心軸に据えたのは、北半球に集中したグローバルノースの権力をアフリカと世界中に散らばるアフリカ系ディアスポラを通じて脱中心化することである。若さあふれる人口、莫大な可能性と資源、そして近年ようやく西洋の批判的思考をしっかりと捕えた脱植民地化の政治と倫理を通じた国際的な影響力の増大とともに、21世紀のアフリカはたしかにこの地球にとっての「未来の実験室」になったと言えるだろう。これがヴェネチアに集められた国やグループや個人による数々の参加者たちにロッコが託した思索への誘いなのだ。

「脱植民地化」をテーマにしたパビリオン

 結果的には最優秀展示賞の金獅子はブラジルに与えられたが、土が敷き詰められたパビリオンに包み隠さず示されたありのままの苦境や社会的要求や先住民族と黒人たちのオルタナティブな宇宙観を考慮すると、意外な受賞とも言えるだろう。しかし、何よりも注目すべきは、暴力や摩擦とは無縁でいられないアクティヴィストの政治闘争を怯むことなく表現していたのがブラジル館であり、それこそが会場中のほかのどの展示にも見られた植民地的権力と資本主義に対する上品な批判の先にある可能性であり、そしておそらくは向かうべき未来だということだ。

ブラジル館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia

 審査員特別賞を受けたイギリス館も、ロッコの方針に倣い、国内の少数派のディアスポラたちがイギリスに及ぼした様々な視覚的・空間的な影響を題材とした。興味深いのはそこに示されていたノスタルジアであり、それは展示の中心作品となった1970年代と80年代のイギリス特有のポスト帝国主義的な多文化主義を祝福する映像に顕著に表れていた。この映像に扱われたイギリス首都圏の西インド・アジア文化の典型例のなかには一部の参加者にとって生まれる以前のものもあるが、この十年間のイギリスの政治を捕えてきた、むしろより複雑化した(様々な形態の)レイシズムや外国人嫌悪はほとんど考察されていない。実際のところイギリス館は、毎度のごとく、「偉大なる」英国商会の見事なブランディングのようなもので、それにふさわしい観光客の列をつくりだしていた。

イギリス館の展示風景より
Photo by Marco Zorzanello. Courtesy La Biennale di Venezia

 イギリス以外の植民地宗主国側の社会は、より複雑で批判的な思索を示していたと言える。オーストラリアは、タスマニアやオーストラリア本島を含む大英帝国の「コモンウェルス」につくられたジェネリックな居住地である「クイーンズタウン」と、それとは切り離すことのできない、先住民の存在に対する暴力的抹消と採掘をめぐる容赦ない経済活動に焦点を当てた。タスマニアの田舎町にある植民地様式の建築を題材とした幽霊のような銅のインスタレーションが極めて瞑想的な空間に宙づりにされ、その周辺では先住民族のアクティヴィストたちの多様な声と引き込まれるような抽象的な風景映像が観客たちをひきつけていた。

オーストラリア館の展示風景より
Photo by Tom Roe. Courtesy of the Australian Pavilion

 この展示には先住民たちの消去された言葉と忘却された地形を明らかにしようとする強い意図が感じられた。いくつか共通したテーマを扱いながらも遥かに率直な見せ方によって受賞したブラジル館と比べると、オーストラリア館はヴェネチアという場においては審査員たちにとって少しばかり奥ゆかしく、繊細すぎるものであったようだ。

 カナダ、あるいはカナダ館による表記に従えば「c/a/n/a/d/a」は、オーストラリアとは逆の方針をとり、乱雑にものがあふれかえる展示会場を声高なアクティヴィストが占拠し、カナダ中の都市で起きている立ち退きや人間疎外に抗う現在進行形の政治活動についての情報が集められていた。こうした展示形態は、優雅で洗練されたモダニスト建築の実験を離れ、良くも悪くも「社会学的」アプローチと呼びうるものに向かったヴェネチア国際建築展においては極めて一般的なものになっている。ともあれ、カナダ館は肌で感じられるほどの活気と人気に包まれていた。

カナダ館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia

 アルセナーレ会場全体では、周辺寄りに位置したパビリオン群のなかで一際目立っていたのが、レスリー・ロッコが教育者として及ぼした影響を直接的に展示としてまとめた南アフリカ館である。そこでは三つ編みのような重厚な黒いカーテンがつくりだす迷路のなかを歩いていくと、脱植民地的な建築の模型が「民族の構造」として次々と姿を現す。このほかにも、ガーナにおけるモダニズムの影響を探るため、ジャングルに建てられた先駆的な技術研究所の建築を歴史資料のアーカイヴに基づいて扱う作品なども見られた。アルセナーレ会場の同じ建物のなかでは、ウクライナをめぐる議論のために用意された空間で来場者同士が討論に混ざることもできれば、地球外の惑星での採掘と搾取の可能性を一昔前のSFさながらに祝福するルクセンブルグの計らいで月に訪れることもできた。

南アフリカ館の展示風景より
Photo by Marco Zorzanello. Courtesy La Biennale di Venezia
ルクセンブルグ館の展示風景より
Photo by Marco Zorzanello. Courtesy La Biennale di Venezia

 もっとも、この総じてグローバリスト的な祝祭の場で存在感を示していた国々のなかにロシアと中国という困り者たちの姿はなかった。ロシア館には囲いがされ、その見回りに警備員がひとりついているだけだった。中国については、イギリスとオランダを拠点とする建築家アリソン・キリング(Allison Killing)らが新疆のウイグル強制収容所を取り上げ、その建築を鑑識官のように科学捜査したショッキングな展示がアルセナール会場内の観客を集めており、中国館そのものの貢献はそれと比べて見劣りしてしまっていた。

キリング・アーキテクツ「Investigating Xinjiang’s Network of Detention Camps」の展示風景より
Photo by Marco Zorzanello. Courtesy La Biennale di Venezia

 北欧諸国も先住民をめぐるテーマを巧みに追求し、北欧館の開放的な展示空間をサーミ族の文化を伝える様々な空間や素材や表現で埋め尽くしていた。また、アイルランド館は、大西洋の英米間に位置する立場から、持続可能性や地域型の生産様式や伝統的な建築形態に関する知見を、その西海岸に消えた神話の島ハイ・ブラジルと関連させながら探求していた。

アイルランド館の展示風景より
Photo by Andrea Avezzù . Courtesy La Biennale di Venezia

「脱炭素化」をテーマにしたパビリオン

 脱植民地化をテーマとしないパビリオンは脱炭素化の方へと向かった。スペインは食糧生産を担う残忍な建築の解体を提案し、当然のごとく、未来のあらゆる変革的な社会活動の中心にヴィーガニズムを位置づけた。このような方向性のひとつとして、その隣のベルギーもキノコの建築的な可能性を模索し、ベルギー館の物質的構成とその産地を解剖学的に示しつつ、菌糸による有機性ブロックを建材として試す実験に基づいたオルタナティブな建設方法を提示した。これは建築の構造と形態に関するアイデアを貫き通した数少ないパビリオンのひとつであり、今年のヴェネチアのなかでも建築に直結したアイデアをもっとも効果的に扱った展示であったと言えるだろう。

ベルギー館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia

 アメリカ館は外の湿気とは無縁の空間でのすべてがプラスチックできた展示となっており、この言葉が与えるだろう印象そのままの不健全な実験を行っていた。その隣のイスラエル館は近寄りがたい白い壁を立て、その裏にサウンド・インスタレーションを隠していた。

アメリカ館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia
イスラエル館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia

 いっぽう、日本館は、ここ数年の歴史や記録に残るいくつかの展示と比べてしまえば、期待に応えるものではなかった。上階の主室は吉阪隆正の作品と吉阪の手がけた日本館そのものを扱う回顧展になっており、階下には(今年のヴェネチアの3番目のトレンドでもあった)家族連れに優しい工作室が設置されていたが、そこで祝福された素材やデザインや手仕事への素朴な愛情はありきたりなジャポニズムから逃れきれてはいなかった。ヴェネチア全体のオープニングに先立ち木曜午後に行われた日本館のパーティは飛びぬけて豪華なものだったが、その賑やかな集まりも展示のものたりなさを隠しきることはできなかった。なによりも日本館には政治をめぐる批判的態度がまったく感じられず、それはすぐ裏手の韓国館の活気と明白な対比をなしていた。韓国館ではおよそすべての都市建設プロジェクトの背後にある金融資本主義による環境破壊への問いへと観客たちを巻きこむ、教育と娯楽の側面をともに強く有したクイズ・ショーがライブ形式で行われていた。 

日本館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia
韓国館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia

 その隣のドイツ館では、概念としても物質としても、より実体に迫った展示が行われていた。1930年代に建設されたドイツ館のファシスト的なイデオロギーを物質的に露出させた昨年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展でのマリア・アイヒホルン(Maria Eichorn)の試みに続くものとして、展示空間には昨年の展示後に本来なら廃棄されていたはずの素材があらんかぎり再利用されており、ベルリンの活動家たちとの協働を通じてベルリンのDIY精神の一端をとらえつつ、広範にドキュメント化された修復実践を未来の建築家たちのためのアーキタイプとして確立することを目指していた。こうしたビエンナーレそのものへの批判性により直截かつ明白に共鳴していたオーストリア館は、ヴェネチア・ビエンナーレへの人々の新しい関わり方を推進するために会場の壁を越えて周辺地域へとつながる橋を建設することを提唱し、そのための計画案が展示運営組織に次々と却下されていった過程をドキュメントとして展示していた。

ドイツ館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia
オーストリア館の展示風景より
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia

その他の注目すべき展示

 ジェイムス・ボールドウィン(James Baldwin)とベル・フックス(Bell Hooks)の著作からの引用から始まるアルセナール会場の主な展示は明白にアフリカを重視していたが、それだけに留まらず、南アジアやラテン・アメリカからの参加者の立場も強く示されていた。展示全体のなかでももっとも力強いふたつの作品のあいだには、アルセナール会場を貫く長い人の流れが生まれていた。その出発点にあるサミー・バロジ(Sammy Baloji)の作品は、アーカイヴと映像によってコンゴの搾取を巧みにドキュメント化し、黄金に輝くオルタナティブな模型《Extracted Pavilion》をその裏付けとなるリサーチとともに提示していた。

展示風景より、中央はサミー・バロジ《Extracted Pavilion》
Photo by Andrea Avezzù. Courtesy La Biennale di Venezia

 そのもういっぽうの端では、マサチューセッツ工科大学出身のアフリカ系アメリカ人建築家J・ヨランデ・ダニエルズ(J. Yolande Daniels)の《BLACK City Astrolabe》が、ロッコのビジョンに出入りするためのタイムトンネルを観客に提供していた。この作品では広大な時代と地理を扱うマップが着色された鉄製のチューブというかたちで空間へと立ち上げられ、そのうえにアフリカの都市や、ディアスポラたちの住処や、アフリカ系アメリカ人女性たちの長年忘却されてきた自伝のオーラルヒストリーがそれぞれの時空間座標に基づいてプロットできるようになっていた。

展示風景より、J・ヨランデ・ダニエルズ《BLACK City Astrolabe》
Photo by Andrea Avezzù. Courtesy La Biennale di Venezia

 このふたつの主要な作品のあいだにも興味深い展示が数多く見られたが、なかでも際立っていたものには、ロンドンを拠点とするフォレンジック・アーキテクチャー(Forensic Architecture)が考古学者のデイヴィッド・ウェングロウ(David Wengrow)との協働で行ったウクライナのアーバニズムの起源をめぐる別の視点からの分析が挙げられる。また、金獅子賞のもう一組の受賞者であるイタリアの建築家集団DAARが行ったリサーチは、植民地のファシスト建築を批判的に脱構築し、再領有するものだった。いっぽう、アルセナール会場の外ではガーナ人作家のセルジュ・アトゥクワイ・クロッティ(Serge Attukwei Clottey)の《Time and Chance》が、古い黄色いプラスチックのガロンコンテナをつなぎ合わせた宙づりのインスタレーションを水上にわたし、純粋にアーティスティックな作品として屋外の造船所に彩りを添えていた。

展示風景より、デイヴィッド・ウェングロウ&エヤル・ヴァイツマン、フォレンジック・アーキテクチャー《The Nebelivka Hypothesis》
Photo by Marco Zorzanello. Courtesy La Biennale di Venezia
展示風景より、DAAR《Ente di Decolonizzazione — Borgo Rizza》
Photo by Andrea Avezzù. Courtesy La Biennale di Venezia
展示風景より、セルジュ・アトゥクワイ・クロッティ《Time and Chance》
Photo by Marco Zorzanello. Courtesy La Biennale di Venezia

 ジャルディーニ会場に場面を戻せば、ロッコは主要な展示においてインスタレーションを重視しており、それらはアフリカ系ディアスポラたちの風土に根差した民衆的なかたちの魅力をオルタナティブなやり方で伝えるアートスペースになった。ここで目を惹いたものには、ナイジェリア人作家オラルカン・ジェイフォス(Olalekan Jeyifous)による贅を尽くしたアフロ・フューチャリスト的な旅行者用ラウンジや、ガーナ人作家イブラヒム・マハマ(Ibrahim Mahama)による、植民地時代のイギリスが残した鉄道網に放棄された様々なものをサルベージして公開討論の場をつくる《Parliament of Ghosts》などがあった。多くの来場者はマハマの誘いに応じてプラスチック製の古い椅子に腰掛け、そこを通る人々の撮る写真に姿を残していった。

展示風景より、オラルカン・ジェイフォス《ACE/AAP》
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia
展示風景より、イブラヒム・マハマ《Parliament of Ghosts》
Photo by Matteo de Mayda. Courtesy La Biennale di Venezia

 すべての会場を回るには3日を要したが、この宝探しはこれから数多くの来場者を疲労困憊にするだろう。プレオープンの数日は例年以上に賑やかで、無償のドリンクやフードをめがけてパーティはかつてない熱気と欲望にあふれ、フリーパス・デイの人出は遥かに穏やかな有料のオープニング・デイを圧倒した。会場には心からの喜びが広がっていた。ヴェネチア・ビエンナーレはいまも健在で、アートと建築の業界人はいつものように飛行機でヴェネチアに集まり顔を合わせることができ、会場のあちこちではおなじみのカクテル「アペロール・スプリッツ」がふるまわれる。ヴェネチア・ビエンナーレはグローバリズムの特別な祭典であり続ける。今年の建築展のじつに多くの展示が喚起していた暴力と破壊と絶望という負の遺産とはうらはらに、ヴェネチア・ビエンナーレはいつだって活気と希望に満ちたものとして、これからも生きながらえていくのだ。