「ラファエル前派」誕生へと導いた背景
エキシビションは詩で幕を開ける。ダンテ・ゲイブリエルとクリスティーナが紡いだみずみずしい言葉が、中央に置かれたクリスティーナをモデルに描かれたダンテ・ゲイブエル作の《受胎告知》を取り囲むように壁に記されて最初の部屋を飾る。美術館の空間を絵画やインスタレーションではなく、言葉を並べた新しい試みが新鮮だ。
ロセッティ一家には4人の子供がいた。長女のマリア、長男のダンテ・ゲイブリエル、次男のウィリアム、そして次女のクリスティーナ。イタリア人で学識者の父ゲイブリエーレと、イタリアとイギリスの血を引く母フランシスは、幼い頃から4人に文学とアートの教育を施し、ダンテ・ゲイブリエルとクリスティーナは15歳と14歳ですでに詩集を出版するほどになる。
ゲイブリエーレはイタリアでの政治活動により祖国から亡命、イギリスに渡った過去を持ち、そのため彼らの家には頻繁に活動家などが訪問したという。そんな家庭環境が文化的にも成熟を見せたヴィクトリア時代のロンドンと相まって、権威あるものに反旗を翻すイギリスの絵画史初のアヴァンギャルドなムーブメントとも言えるラファエル前派(*)結成につながっていったとしている。のちに美術評論家となるウィリアムとダンテ・ゲイブリエルはその中心となるのはご存知の通り。マリアとクリスティーナは女性の地位が確立されていなかったこの時代に、詩作を通して声を上げ続けた。