ウォーホルは1956年の世界旅行中に初めて来日し、京都を訪れている。そんな「縁の地」とも言える京都で、大回顧展「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」展が始まった。会期は2023年2月12日まで。
京都市京セラ美術館の新館「東山キューブ」を会場とするこの展覧会では、京都とウォーホルの関係に目を向け、そのゆかりを示す貴重なスケッチなどを展示し、若き日のアンディ・ウォーホルの心をとらえた京都の姿に思いを馳せるというもの。
作品はすべてアメリカ・ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館の所蔵作品のみで構成。絵画・彫刻など約200点および映像15点が展示されており、門外不出の《三つのマリリン》を含む100点以上が日本初公開だ。
アンディ・ウォーホル美術館のパトリック・ムーア館長は、本展開催に際し、「ウォーホルが人間的に成長するうえで日本、とりわけ京都は重要だった」と振り返る。ウォーホルは2度日本を訪れているが、初来日のときは若干28歳。セレブリティになる前のウォーホルにとって、「この旅はまったく新しい文化に触れる初めての旅だった」(ムーア館長)だという。
会場は、「ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ」「ウォーホルと日本そして京都」「『ポップ・アーティスト』ウォーホルの誕生」「儚さと永遠」「光と影」の5章で構成。
キュレーションを担当したアンディ・ウォーホル美術館のホセ・カルロス・ディアスは、本展のハイライトを次のように語る「今回の展覧会の特別なところは、誰もが知る、『ウォーホルといえばこれ』という作品と、知られざる側面の両方が紹介されているところだ」。
展示の前半である「ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ」と「ウォーホルと日本そして京都」が、まさにこのウォーホルの知られざる側面を紹介するセクションだ。
1950年代初頭から60年代にかけて、商業イラストレーターとして一躍評判となった時期の作品には、珍しい金や銀の箔も使用されている。これらはウォーホルがビザンティン・カトリックの信者であったこと(つまり教会の装飾からの影響)だけなく、日本の寺社で見た金箔も影響しているという。
1956年6月21日から7月3日までの約2週間、ウォーホルは日本に滞在し、東京や京都を旅した。カメラを持たず、スケッチブックに写生しながら旅を記録したウォーホル。第2章では、京都滞在中のドローイングといった貴重な作品だけでなく、旅程表や地図、お土産などの資料も展示。ウォーホルは滞在中、東山の都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)から母ジュリア・ウォーホラ宛に絵葉書を出している。「im OK im in Japan」と直筆で記された絵葉書からは、当時の若きウォーホルに出会うような感覚を得られる。
また、この旅行の同行者であったチャールズ・リザンビーが撮影した写真も初公開。ウォーホルのスケッチとともにこれらの写真を確認することで、当時の旅程がよりはっきりとわかる。
ウォーホルはこの56年の来日から18年後の1974年に再来日。その際に触れた「生け花」から影響を受けたドローイングの数々は本展のハイライトのひとつ。なかでもユニークなのは着彩バージョンだ。当時、すでにウォーホルはシルクスクリーンで作品を制作していたが、このシリーズではあえて手彩色というクラシックな手法が採用されている。
展示後半は、ウォーホルを代表するシリーズが一挙に展示。「『ポップ・アーティスト』ウォーホルの誕生」では、「キャンベル・スープ缶」や「花」、著名人の肖像画が会場を彩る。
1966年に発表された銀色の四角い風船が浮かぶ《銀の雲》は今回、ソニー・コンピュータ・サイエンス研究所の笠原俊一が開発した参加型メディア・アート作品《Fragment Shadow》とのコラボレーション展示となっている。
子供の頃からハリウッドスターに憧れていたウォーホルは、1962年、マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリー、エリザベス・テイラーといった有名人を題材とする一大肖像画シリーズの制作を開始した。そのなかの傑作のひとつが、日本初公開の《三つのマリリン》(1962)だ。
これは、ウォーホルがマリリン・モンローの突然の自殺(1962年8月)に触発されて制作した作品で、映画『ナイアガラ』の宣伝用スチルをトリミングしたもの。ムーア館長は本作について、「ウォーホルはセレブリティが持つ翳りにも注目していた。マリリンは悲劇的な死を遂げたが、この作品は彼女の名声や栄光だけでなく、その悲劇性も含めたすべてが感じられるものだ」と評する。
本作はその脆弱性ゆえ、ほとんど展覧会には出品されない作品。この貴重な機会を逃さないようにしたい。
最終章「光と影」は、死と闇に焦点を当てたもの。ツナ缶を食べて中毒死したふたりの女性についての新聞記事から着想した《ツナ缶の惨事》(1963)や、死刑囚の処刑に使われた電気椅子を描いた《小さな電気椅子》(1964-65)など、自殺、自動車事故、事故現場を写した雑誌や新聞の画像を使った「死と惨事」シリーズが並ぶ。
展示の最後を締めくくるのは、日本初公開の大作《最後の晩餐》(1986)だ。本作は、100点以上制作され同名シリーズのひとつであり、もっとも巨大なもの。その名の通り、このシリーズはすべてレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》から着想された。
ダ・ヴィンチ作品を解体した大胆な構図とカラフルな色彩。画面にある「The Big C」とは、新聞の見出し「ビッグC:がん治療に効く心構え」から取られたもの。ウォーホルの死への恐怖が反映されるとともに、キリスト(Christ)に対する呼び名でもある。本作は「同性愛者でありカトリックの敬虔な信者であったウォーホルのパーソナルな部分が示されたものだ。人間の生きる世界が儚く移り変わるものであることが表現されている」(ムーア館長)という。その巨大さゆえ、外部での展示がなかなかできないという本作。その存在感には圧倒される。
キュレーターのホセ・カルロス・ディアスは、今回の展覧会を通じて「学びがあった」と振り返っている。「ウォーホルの日本文化への情熱や憧れというものを強く感じた。1956年のバケーションで日本文化に触れたウォーホルは74年に再来日したが、これは最初の旅で日本文化から得たインスピレーションが大きかったから。ウォーホルと日本の国際的な絆を感じさせられる」。
アンディ・ウォーホルといういまなお大きな影響を与え続けるポッポ・アーティスト。本展「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」は、そのパーソナルな側面にも触れられる貴重な機会と言えるだろう。