世界最大級の現代アートの祭典「ドクメンタ」。その第15回目となる「ドクメンタ15」が開幕を迎えてから2週間。1つの作品で反ユダヤ主義(アンチセミティズム)が指摘されたことで、その作品が撤去されただけでなく、今後ドクメンタに国費の支援を続けるべきか、出典作品の審議会を新たに作るべきか、いやそれは芸術の自由を侵害するものではないかなどの激論が交わされている。ドイツの歴史にも深く関わるこの問題は別記事で改めて、詳しく背景や経緯をお届けしたい。
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6月29日夜に開催されたパネルディスカッション「芸術における反ユダヤ主義」で、ゲストスピーカーの一人として登壇したドクメンタ14芸術監督のアダム・シムジックは「ドクメンタは常に議論が始まる場所である」と述べた。だからこそ今回のドクメンタで提示されている様々な問いかけが、1つの大きな議論の影に隠れてしまったのは、個人的には残念ではある。
「今回のドクメンタは、アートを通じてどれだけほかの国や異なる視点を学ぶことができるのかという好例だ」と、ベルリンの現代美術館「マルティン・グロピウス・バウ」ディレクター、ステファニー・ローゼンタール博士は、南ドイツ新聞のインタビューでこう語っている。そしてまた「白人社会の中で何が起こっているか、そして私たちがドイツでどんなに人種差別的かということに対決させられる」 と。
アートを通じて異なる視点を学ぶ。今回のドクメンタ15を見学していて、まさにそれを実感した瞬間があった。ナイロビのThe Nest Collectiveの作品を見ていたときのことだ。「ねえねえ、これってアートなの?ゴミにしか見えないよ!」と公園で遊んでいた子供たちに話しかけられたのだ。カールスアウエ公園に置かれた、古着の塊を並べてつくった小屋のインスタレーション作品である。
「そう、これはゴミ。それこそがこのアートのテーマなんだ。これはドイツからアフリカに送られたもの。君たちが着古した洋服やスニーカーの成れの果てなんだよ」と、横にいたドイツ人が言葉を返す。ええっ?と子どもたちは近寄って、この“ゴミ“を眺め始めた。「本当だ、ドイツって書いてある……」。
《Return to Sender》と名付けられたこの作品はドイツをはじめ、欧米諸国から寄付された古着でつくられている。アフリカでは輸入された古着の4割までがそのまま埋立地行きとなるという。古着の取引が現地のビジネスにつながるとも言われるが、彼らは事前に古着のクオリティをチェックすることはできず、取引のために高い諸経費を負担しなければならない。輸入される古着に依存する生活は国内の繊維産業の発展を妨げるという問題もある。古着の塊を並べて作った小屋の中では、インタビュー映像が流れていた。「身につけるものは自分のアイデンティティ。尊厳を表現するものだ。もう他人のお下がりは嫌なんだ」。
ナチスに蹂躙された現代美術を立て直すために第二次世界大戦後にドイツで始まったドクメンタは、19世紀に始まったヴェネチア・ビエンナーレのように国や民族のアイデンティティを体現するものとしての芸術を見せる場ではないという姿勢をとってきた。前回のドクメンタ14ではカッセルとアテネという2つの都市で開催し、南北に軸を広げようと試みている。今回は「視点を変えること」をテーマに掲げ、カッセルやドイツ、既存の多くの国際展の枠組みをも飛び越えた。
前編でも述べた通り、今回のドクメンタに招待されたのはグローバルサウスからのコレクティブが中心。彼らは先進国中心の世界の中で見えにくい、差別や問題にスポットを当てている。また、今回のドクメンタの招待作家たちは国ではなく、タイムゾーンで区分されているのも興味深い。
ヨーロッパから招待されたコレクティブは数少ない。デンマークで難民申請者たちに語学コースや法律相談を提供したり共同でワークショップや展覧会を企画するなどの活動をしているTrampoline House、そしてヨーロッパ・ロマ芸術文化研究所(ERIAC)とコラボレーションしてロマ・アーティストたちの作品を展示するハンガリーのコレクティブOff-Biennale Budapest、ニューロダイバーシティ(神経学多様性)の権利や表現のアプローチに基づいたアートをつくり、発信していくイギリスのコレクティブ、Project Art Worksくらいだろうか。
ヨーロッパからの招待作家が少ないことに驚きながら、そもそも国際的な芸術祭、展覧会の多くがヨーロッパ、欧米諸国からの視点でつくられた物なのだと、気付かされる。また、こういった国際展の多くが欧米のアート市場と強く結びついているということも。ドクメンタやビエンナーレに出展すれば、市場価値が上がる──今回のドクメンタではそういった慣習にも疑問を呈し、作家はギャラリーなどを通さず直接この場で作品を販売できるようにし、売上は皆で分け合うかたちにすると宣言している。
今回のドクメンタでヨーロッパに注目してもらえると期待をかけている団体もある。「あいちトリエンナーレ2019」参加作家でもあるキューバのタニア・ブルゲラが2015年に設立したINSTAR(ハンナ・アーレント芸術活動研究所)は、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブではない、本当のキューバの姿をヨーロッパの観客に見せたいという。キューバでは政府の許可がないアーティストの活動は抑圧されており、今回の展示で危険に晒される可能性もある。しかしこの出展によりヨーロッパからの関心がひければ、彼らを守ることになるかもしれないというのだ。
ハイチの首都、ポルトープランスの大通りで活動するAtis Rezistans が2009年に始めたGhetto Biennaleは、修復が必要なボロボロの教会で開催されている。「第一世界のアートが第三世界のアートと出会ったらどうなる?血が流れるのだろうか?」。過去のGhetto Biennaleが掲げた問いは、ドクメンタ15の展示にも通じている。
哲学者とアーティスト、作家の3名からなるLa Intermundial Holobienteは、人間ではないつくり手からの視点をも取り込もうとする。広大な公園にあるコンポスト(堆肥)の山。人が意図して作ったのではない風景の中で、朗読や執筆、ディスカッションなどを行っていく。「コンポストがとてもよかった」という評判を聞いて、ざっくりとした地図を頼りに鬱蒼と繁った緑の中を歩いていくと、目の前に真っ青な空が広がった。
ドクメンタ15のモットー「ルンブン」。様々な情報や知識──知的資源や物的資源を共有し、分け合っていこうというが、出展されている作品は本当に幅広く、様々な視点から見えてくるものを、理解して自らの糧とするのはなかなか大変ではある。ワークショップに参加したり、一緒にお茶を飲んだりしながら会話してみないと掴めないものも多い。しかし今回のドクメンタは、糸口となるものを与えてくれた。世界の見方を変えてくれるかもしれない何か、としてのアート。
「芸術じゃなくて、友達をつくろう」というルアンルパのモットーは、こういうことなのかもしれない。