南米コロンビア出身の美術家、フェルナンド・ボテロ(1932~)の生誕90年を記念する展覧会「ボテロ展 ふくよかな魔法」が、Bunkamura ザ・ミュージアムで開幕した。会期は7月3日まで。
ボテロは1950年代後半から欧米で高く評価されてきたアーティスト。楽器も果実も人もまるまると描く、ボリュームを重視したデフォルメ表現が官能性を思わせる独自のスタイルで知られている。1963年にニューヨークのメトロポリタン美術館でレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》が展覧されたのと時を同じくして、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のエントランス・ ホールにボテロの《12歳のモナ・リザ》が展示されたことによって、一躍有名になった。
日本国内では26年ぶりの展覧会となる本展では、ボテロ本人の監修によって展示に至った全70点を見ることができる。世界初公開となる2020年制作の《モナ・リザの横顔》(2020)をはじめ、初期から近年までの油彩、水彩・素描作品など展示される作品の大半が日本初公開という注目の内容だ。
本展は「初期作品」「静物」「信仰の世界」「ラテンアメリカの世界」「サーカス」「変容する絵画」の全6章で構成される。
第1章「初期作品」には、その特有の絵画様式が確立する以前、当時17歳のボテロの作品《泣く女》(1949)などが展示される。本章について、本展学芸協力・女子美術大学教授の三谷理華は「総監修を務めるボテロ本人から提案された作品リストのなかにはなかったが、久しぶりの日本での絵画展である本展においては、初期の作品から見てもらった方がよりボテロらしさが伝わると考え、リクエストして加えていただいた章」だと話す。
第2章「静物」では、様々な静物画が並ぶ。同じ花を三原色で描いた3点組の作品《黄色の花》《青の花》《赤の花》(いずれも2006)が一面に並んでいる様子からは、ボテロが色彩表現にも長けていることを改めて感じることができるだろう。
この「静物」の章について、「ボテロを理解するうえで、ぜひじっくり見てもらいたい章」だと三谷は語る。ボテロといえばふっくらとした人物像を連想する人も多いだろうが、なぜ静物なのだろうか。三谷はボテロと静物画の関係について、次のように説明する。
「静物画というジャンルには、ある意味ではボテロの絵画のエッセンスがすべて詰まっています。理由のひとつには、ふくよかな絵画のスタイルは、マンダリンを描いていたときにサウンドホールを小さく書いたら楽器の大きさがふくらんで見えたという出来事がきっかけになったということがあります。楽器という静物を描くことによって、物のボリュームを強調して描くという自らの行く道筋が見つけだされた。ボテロがふくよかな画風に進もうと決心した契機になったジャンルが、静物画なのです」。
「もうひとつの理由は、ボテロがつねづね口にする『私は画家でありたいのある』という発言ともつながっています。彼にとって『画家である』とは、絵画において意味内容よりも色とかたち、物のボリュームを追求していくことであり、その追求が一番やりやすいのが静物画であると言います。第3章『信仰の世界』にある宗教画には何らかの意味内容がついてくるいっぽうで、静物画は意味内容から切り離されることができる。ボテロ本人も『画家としての本分は静物画を描くことにある』と話しています」。
「ボテロはまた、色とかたちを追求したいいっぽうで脈々と続くヨーロッパ美術の伝統のなかにも身を置きたいと言います。その姿勢が、わかりやすく表れているのが静物画の作品《洋梨》(1976)です。虫がニョロりんと顔を出しており、人がかじった跡があるなど、物が朽ちていく様子を描くというヨーロッパ美術の伝統のエッセンスも取り入れているのです」。
第2章の入口でボテロは、「芸術家の様式というものは、もっとも単純なかたちのなかにさえ、はっきり認識できるものであるべきだ」と綴っている。このもっとも単純なかたちをもって、かたちの官能性とボリュームの強調を特徴とするボテロ独自の様式を物語る作品が《オレンジ》(2008)だ。三谷は、このまん丸の果物についてボテロが「普遍的なかたちであるがゆえに画家の個性が出る特別な果物だ」と述べていることも語った。
第3章「信仰の世界」に並ぶ作品に描かれるのは、1930年代から40年代にボテロの故郷メデジンでは突出した地位にあった聖職者。ボテロは、聖職者の世界とそこにあるかたち、色彩、衣装、そしてその造形的で詩的な側面を絵画的に探究するために本章の作品を描いた。本章の絵画と向き合っているうちに、どこからともなく風刺とユーモア、ノスタルジーの感覚が漂ってくるだろう。
第4章「ラテンアメリカの世界」では、ボテロが23歳でメキシコ芸術に出会ったことによって、自らの子供時代の記憶にある世界を制作の中心的テーマとしていったという転換点を追体験できるだろう。作品からは、メキシコ芸術の大胆な色使いから触発された、色彩の爆発も見られる。
第5章「サーカス」においては、タイトルの通りサーカスの風景が並んでいる。ピカソ、マティス、ルノワールら巨匠によって高められてきたこのテーマにボテロが取り掛かったのは、2006年にメキシコ南部の都市シワタネホの訪問中にあるサーカスと出会ったことがきっかけだった。ボテロの描く「サーカス」は、ダイナミックさと静寂さ、あるいはそのあいだを揺れる多義的で逆説的な感覚を見るものに与える。例えば《象》(2007)では、もともと大きいこの動物のボリュームがさらに誇張されており、その片足はもち上げられている。それにも関わらず、威圧感はなく、穏やかで愛らしくさえ感じられるのだ。
第6章「変容する名画」には、ボテロの名を広めた「バージョンズ(翻案)」という作品群に加え、世界初公開となる《モナ・リザ》のバージョンの最新作である《モナ・リザの横顔》(2020)にも注目したい。
過去の巨匠たちの名作をもとにした一連の作品において独自の様式をいっそう確固たるものにしているボテロは、「私は人間を描くときにも、静物画のように描きたいのです」と話していることを三谷は伝える。「芸術とは、同じことを述べていても、異なる方法で表す可能性である」というボテロの言葉が想起される章になっている。
Bunkamura ザ・ミュージアム上席学芸員の宮澤政男が「スマホの画面で見るのと全然違うこの迫力は、足を運んでもらわないとわからない」と話すように、ボテロの描いてきたふくよかなかたち、鮮やかな色彩がもつ圧倒的な迫力は、まさに体感するほかないだろう。世界中を魅了するボテロの「魔法」をかけられに、本展に足を運んでみてはいかがだろうか。
“I like the fullness, the generosity and the sensuality that you can communicate thru art, because reality tends to be rather dry.”
芸術を通して伝えることができるふくよかさ、包容力、 官能性が好きだ。現実はドライだから。
──フェルナンド・ボテロ
なお本展は名古屋市美術館(7月16日~9月25日)、京都市京セラ美術館(10月8日~12月11日)を巡る。
また、4月29日からは映画『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』がBunkamura ル・シネマほかにて全国順次ロードショー。本作は、ボテロ本人に加え、ボテロの子供や孫たち、アート関係者らのインタビューによって構成されたドキュメンタリー。幼い頃に父を失った貧しい少年が、闘牛学校に通いながらスケッチ画を描いていた原点から、対象物をぽってりと誇張する「ボテリズム」に目覚めた瞬間、そしてアート界で成功を収めていくまでを追いかけたものだ。こちらも展覧会とあわせてチェックしたい。