日本の映像史において重要な位置を占める「特撮(特殊撮影技術)」。この分野において大きな足跡を遺した特撮美術監督、井上泰幸の軌跡をたどる回顧展「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」が東京都現代美術館で開幕した。会期は6月19日まで。
本展は井上の生涯を、井上が手がけた各年代ごとの作品についての豊富な資料とともに追う展覧会。また、井上の作品に影響を及ぼした交友関係を知ることができる資料や、彫刻家であった妻の井上玲子の作品など、井上がいかに生き、何をつくったのかを丁寧にたどることができる。
今年、生誕100年を迎える井上は1922年に福岡県古賀市に生まれた。1944年に第二次世界大戦に徴兵され、佐世保海兵団に入隊。中国とのあいだを往復する輸送船で潜水艦を探知する業務に従事した。しかしながら、同年12月に井上は米軍機の機銃掃射を受けて、左膝下を失うことになる。
傷病軍人補導所でブルーノ・タウトに師事した宮崎音松より工作技術を学んだ井上は、家具職人として独立。その後、日本大学藝術学部美術科に入学し、デザインと造形の専門教育を受けることとなる。
会場では当時の井上のスケッチやメモなど、のちの特撮造形の技術基盤を身につけたこの時期の資料が展示される。
その後、偶然の出会いから新東宝撮影所で図面や模型を制作することになった井上。ここで井上は美術助手のアルバイトとなり、その後東宝へ出向することとなる。この東宝で、「特撮の神様」と呼ばれる円谷英二率いる東宝特撮映画のスタッフとなり、本多猪四郎監督『ゴジラ』(1954)や谷口千吉監督『乱菊物語』(1956)などを手がけていく。
井上の仕事は特撮美術の細部について徹底したこだわりをみせ、綿密な計測とロケハン、スケッチによって、ディテールにこだわったミニチュアセットをつくりあげた。こうした井上の仕事が結実した作品が本多猪四郎監督の『空の大怪獣 ラドン』(1956)だ。翼竜型の怪獣が九州各地を襲う本作では、佐世保の西海橋や福岡のデパート岩田屋など、本物さながらに再現された建築が破壊されるシーンが見どころのひとつとなっている。
この岩田屋再現ミニチュアセットも、本展のハイライトのひとつといえるだろう。デパートの建築もさることながら、街路や鉄道までが細かくつくり込まれたセットは圧巻だ。
この再現セットの図面を手がけたのは現役の特撮監督の大家である三池敏夫であり、背景画も特撮背景専門の画家として知られる島倉二千六によるものだ。特撮における現役最高峰の技術によって再現されたこのミニチュアセットで、円谷英二も驚いたという井上の特撮美術の真髄をじっくりと楽しんでもらいたい。
1966年、井上は師である渡辺明に代わり東宝特殊技術課の二代目に就任。以降はミニチュア、怪獣、メカニックなどを統括するデザイナーとして活躍していく。
イメージを具現化するための独自フローを構築するなど、優れたディレクターとしての側面も持っていた井上。会場では具体的な造形物のみならず、井上が美術を通じて世界を構築するための工夫や技術を知ることができる資料が展示されており、作品を知らない人にとっても学びが多いのではないだろうか。
円谷英二没後の1971年、坂野義光監督『ゴジラ対ヘドラ』を最後に東宝から独立した井上は、神奈川・海老名に造形会社「アルファ企画」を設立した。ここで井上は、映画セットのみならずテレビ番組やテレビコマーシャル、テーマパークなどへと仕事の幅を広げていく。
同時に井上は、フリーランスとしても森谷司郎監督『日本沈没』(1973)や橋本幸治監督『ゴジラ』(1984)といった大作にも取り組んだ。山下耕作・川北紘一監督『アナザー・ウェイ―D機関情報』(1988)を最後に井上はその仕事から手を引くが、井上に学んだ多くの若手が、その後の特撮技術の担い手となっていったことは言うまでもない。
本展には、井上の遺族に加えて庵野秀明が理事長を務める特撮研究所/アニメ特撮アーカイヴ機構が企画協力をしているほか、樋口真嗣がメインビジュアルを担当している。井上の特撮技術に敬意を示し、後世に伝えようという人々の思いによってこの展覧会が成り立っていることも、井上の功績を物語っているといえるだろう。
近年の3DCGによる映像においても、画面の構図や演出など、特撮の影響は色濃い。過去の作品に思いを馳せるノスタルジーとしてだけでなく、空想を現実のような映像に仕上げたいという、現代のつくり手にも受け継がれる志を感じられる展覧会だ。