建築やデザインなどの分野で世界的に評価されてきたフィンランドのモダニズム。その原点を築いたエリエル・サーリネン(1873〜1950)の制作活動に迫る展覧会「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」が、東京・汐留のパナソニック汐留美術館で開幕した。
同展はサーリネンの生涯のなかでも、とくに49歳で渡米する前のフィンランド時代にスポットを当てたもの。サーリネンがデザインした住宅や商業建築、家具などのほか、その制作の土壌となったフィンランドの文化や民族主義運動も紹介する。
展覧会の冒頭では、まずフィンランドの民族叙事詩『カレカワ』にまつわる書物や絵画が展示される。サーリネンがフィンランドで活躍した時代は、1917年のロシアからのフィンランド独立に向けて、民族意識が高まった時期と重なる。こうした民族主義的な潮流のなかで、『カレカワ』は国民の連帯意識を醸成するものとして評価され、様々な創作物が生まれた。展示からは、サーリネンの建築やデザインを学ぶうえで重要な、フィンランドの民族意識の一端を知ることができる。
1896年、ヘルシンキ工科大学に在学中のサーリネンは、同窓であるヘルマン・ゲセリウス、アルマス・リンドグレンとともに、ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン(GLS)建築設計事務所を設立する。そして1900年のパリ万国博覧会のフィンランド館の建築を手がけたことによって、この事務所はその名を世界に知らしめることになる。
フィンランド館の建築は、当時流行していた民族性や文化的価値の再発見を目指す「ナショナル・ロマンティシズム」が台頭するなかでも、単純な民族主義に陥ることなく、また典型的なアール・ヌーヴォーでもない、新たな建築のかたちを提示した。展示ではフィンランド館の模型や設計案、そして館の「イーリスの間」に展示されたアクセリ・ガレン=カレラによる《イーリスチェア》(1899)などが展示される。
フィンランド館の成功以降、GLS建築設計事務所は「ポホヨラ保険会社ビルディング」(1901)や「フィンランド国立博物館」(1910)といった建築を手がけ、その地位を不動のものとしていく。
やがてサーリネンはゲセリウス、リンドグレンとともに、首都・ヘルシンキから25キロほど離れたヴィトレスク湖畔に共同で土地を購入、共同生活の拠点「ヴィトレスク」を建設した。3人の邸宅とスタジオや馬小屋で構成された「ヴィトレスク」の設計図や、家具や食器とともにサーリネン邸の部屋をイメージさせる空間展示により、当時の様子に思いを馳せることができる。
また、GLS建築設計事務所は住宅建築も得意とした。イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響が見られる「エオル集合住宅・商業ビルディング」(1903)や、大ホールを有して空間の音響効果にまで腐心された「スール=メリヨキ邸」(1904)などは有名で、展示された平面図や立面図、透視図から、その内外装の仔細を知ることができるだろう。
やがてリンドグレン、ゲセリウスが事務所を離れ、個人で活躍するようになったサーリネンは、大規模な公共プロジェクトも手がけるようになる。なかでも「ヘルシンキ中央駅」は、フィンランドのモダニズムの黎明といえる記念碑的作品だ。フィンランド初の鉄筋コンクリート建築であり、エントランスホールのヴォールト形状がそのままファサードにも現れるダイナミックなフォルムが目を見張る。
展示では透視図とともに、駅で使用されたサーリネンのデザインによる様々な形状の椅子も展示。現在も現地でヘルシンキのシンボルとして愛されている中央駅の、往時の姿に込められたサーリネンの理念を感じられる。
また、サーリネンが携わった大規模な公共事業としては、「大ヘルシンキ計画」も有名だ。都市部の人口増大に対応するために、郊外住宅地を整備、港湾を埋め立てて放射状の道路や鉄道を整備するという壮大な計画だったが、その規模ゆえに一部しか実現されなかった。しかしながら都市を「有機的な分散」という考えのもとで再設計するサーリネンの思想は、いまも可能性に満ちている。
1917年にフィンランドは独立、しかしその後は内戦が勃発するなど、不安定な情勢が続くこととなる。サーリネンは実施作例をもとめて、アメリカの「シカゴ・トリビューン本社ビル」の国際コンペティションに応募。ビルの実現は叶わなかったものの、1923年にアメリカに赴き好意的に迎えられたサーリネンは、家族とともに渡米し移住することを決意する。
サーリネンはアメリカで、槇文彦も学んだ「クランブルック・エデュケーショナル・コミュニティ」や「サーリネン・ハウス」を設計。1950年に世を去るまで教育者や著作者として旺盛な活動を行った。また、息子のエーロ・サーリネンも「ジェネラル・モータース技術研究所」やJFK国際空港の「TWAフライトセンター」といった建築、《ウーム・チェア》《チューリップ・チェア》を始めとする家具などをデザイン。こうした渡米後の親子の活動も「エピローグ」として紹介される。
サーリネンの生涯のなかでも、フィンランドでの仕事に焦点を当て、当時のフィンランドの文化とともに紹介する、新たな視点の展覧会だ。