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ヤノベケンジが「福島ビエンナーレ」記者会見に参加。撤去が決まった《サン・チャイルド》を語る

9月9日〜11月25日にわたって開催される「福島ビエンナーレ」の記者会見が9月5日、福島大学で開かれた。そこには出品作家のひとりであるヤノベケンジも参加。ビエンナーレの概要とともに、ヤノベと福島とのこれまでの関わり、そして今回撤去の決まった《サンチャイルド》についての説明が行われた。

「福島ビエンナーレ」記者会見の様子。(左から)アーティストの福井利佐とヤノベケンジ、実行委員長の渡邊晃一

 2004年、福島大学の教育学部廃止にともない「学生が地域住民を含む様々な人々と交流してほしい」との思いから、2年に1度行われてきた「福島ビエンナーレ」。ビエンナーレは年々そのスケールを拡大し、福島で起きたことを芸術祭として発信するだけではなく、普遍的なテーマを通して地域を考えることを目的に、今年も開催される。

 今回のビエンナーレは、16年に福島県・中通りの二本松市で行われた「重陽の芸術祭」と、新たに浜通りの南相馬市で行われる「海神の芸術祭」ともつながり、2つの拠点でより広範囲にわたって展開。そしてこのたび福島ビエンナーレ実行委員長の渡邊晃一と、参加作家であるヤノベケンジと福井利佐らが参加する記者会見が開かれた。

 ヤノベは今回、「《サン・チャイルド》の経緯を説明したかった」として記者会見に参加。会見では福島ビエンナーレの概要説明とともに、ヤノベによる《サン・チャイルド》設置と撤去の経緯、今後のことが語られた。

福島のこむこむ館前に設置されているヤノベケンジ《サン・チャイルド》

 まず、今回撤去の決まった《サン・チャイルド》は、今年の福島ビエンナーレでは二本松、南相馬間をつなぐ「アートバス」によってツアー形式での鑑賞が予定されていた。しかし、今回の撤去を受けて本作はツアー不参加に。ヤノベは会見冒頭で「作品を見ることで不愉快な思いをさせてしまった方々、この騒動に巻き込んでしまった人、そして『アートバス』のツアーに参加できなくなったことをお詫びします」として謝罪。

 次に、東日本大震災を受け制作し、2012年に福島で展示したこともある《サン・チャイルド》が、「福島から世界に発信できる復興のシンボルになるのでは」という福島市長の申し出を受け、今回の設置へと至ったことを説明。

 しかし、市民からは歓迎の声と同時に「7年前の状況を思い出す」「(防護服を着ているから)風評被害を助長させる」などの反対意見があがり、ヤノベは「そこで(住民同士の)分断が生まれてほしくなかった。展示を一度取りやめ、新たな方法で福島のことを考えていけたらと思いました」と、撤去を決めるまでの心境を語った。いっぽう、「すぐ撤去することが議論を封鎖してしまうのでは?」という声に対しては、「この状態で作品を置き続けても、冷静な議論にはならないのでないか」との意見を示した。

記者会見の様子

 ヤノベと福島のつながりは深い。ヤノベは東日本大震災後、12年・16年の福島ビエンナーレ、13年の風と土の芸術祭、17年の重陽の芸術祭と、ほぼ毎年福島を訪れ作品を展示。ワークショップや講義なども多数行ってきた。

 1990年代にはチェルノブイリを度々訪れ、作品のテーマにしていたヤノベ。そんな作家が東日本大震災を受け「これまでやってきたことが何の意味もなかったという絶望感」を経て手がけた作品が《サン・チャイルド》だった。「未来を志向する作品を見せたいと無我夢中でつくった。前を見据えてたくましく立ち上がったさまを表しています」とヤノベは話す。

 2012年、完成後の《サン・チャイルド》は福島空港で展示され、子供を中心に人気を呼んだ。その光景も今回の設置を後押ししたという。しかしこれに対して作家は「これまで作品を歓迎してくださった人たちがいるいっぽうで、風評被害に耐え忍んできた人もたくさんいる。展示に際してプロセスを踏めなかったのがふがいなく、反省すべき点であったと思う」とした。

 いっぽう福島ビエンナーレ実行委員長の渡邊晃一は、「前回の福島空港の展示で、ほとんどの子供は作品の黄色い衣服=防護服として見ていませんでした。なぜならそこには、白い防護服を着る人々という現実があったからです」と前置きをしたうえで、「福島市民の私は、福島にある被害は風評被害ではなく被害だと思っている。未来を思い浮かべたときに、あのサンチャイルドが風評被害になる可能性はないとは言えない。でも、人が福島に来ないことのほうが問題で被害であり、作品を通して様々な対話が生まれ、人々が話し合うことが大切だと思います」と続けた。

 また今後についてヤノベは「しがみついてでも福島に向き合っていきます。私が取りこぼしてしまってしまった声を聞き、何ができるか考え、議論を続けていきたい」として、今回の福島ビエンナーレにも新たなかたちで参加する方法を模索していることを明らかにした。

編集部

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