キヤノンと特定非営利活動法人 京都文化協会(以下、京都文化協会)が共同で行う「綴プロジェクト」(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)は、2007年にスタートした。キヤノンギャラリー50周年を記念して、歴史的名宝のなかでもとくに広く知られていながらも、海外に渡っていたり、作品保護の観点から原本の鑑賞機会が限られた作品8点の高精細複製品を公開する綴プロジェクト作品展「高精細複製品で綴る日本の美」が、東京・品川のキヤノンギャラリーSで開催されている。会期は11月16日まで。
文化財保護の劣化を防ぐために原本のデジタルアーカイブを京都市より委託された京都文化協会(当時は財団法人京都国際文化交流財団)が、墨の諧調の適切な表現を行うためにキヤノンに相談したことに端を発する。高い出力技術を備える同社は作品の撮影データを受け取ると、赤墨や青墨といった異なるトーンの墨の色を忠実に再現することに成功。文化財の未来への継承を目指す「綴プロジェクト」として、継続的に記録と出力に携わることが決まった。
制作は、最新のデジタル技術と伝統工芸の技が融合して進められる。例えば俵屋宗達の《風神雷神図屏風》。最新のデジタルカメラを用いて、168コマに分割して撮影が行われる。その際のデジタルカメラの動きは自動制御装置によってコントロールされ、1コマがフルHDの12倍という解像度でデータ化される。ゆがみやひずみを補正しながら168コマの自動合成を実現。42億画素のデータとなる。その際の色合わせは、撮影現場にA2サイズまで出力できる高精細プリンタ-を持ち込み、原本と比較しながら独自開発した高精度なカラーマッチングシステムを駆使して現地で調整が行われる。
最終版は、同社の12色の顔料インクシステムを採用した大判プリンターで特製の和紙に出力され、京都西陣の伝統工芸士が金箔・金泥・銀箔の「古色」と呼ばれる風合いを表現。本物と見分けがつかないほどの精巧な再現性を目指し、開発された先端テクノロジーと、何代もにわたって受け継がれてきた職人技が結びつく。どのような室内の灯りを想定してこの屏風絵は作成されたのだろうか、そして、何百年を経て現代に残されてきたのだろうかと、想像が広がる。
貴重な文化財をガラスケース無しで展示することが可能となり、間近に目を凝らして作品を鑑賞することができる。この展示では、以下の写真のように、左手に前述の俵屋宗達が17世紀に描いた《風神雷神図屏風》、対面する位置にそのおよそ100年後に尾形光琳が模写した《風神雷神図屏風》を展示。さらに光琳の屏風絵の裏には、その100年後に酒井抱一が《夏秋草図屏風》を描き加えており、現在は作品保護のために光琳の《風神雷神図屏風》と《夏秋草図屏風》は分けて別の屏風として仕立てられているのだが、これも京都の職人の技により当時の姿となって復元されている。同じ空間にこの3点が並び、宗達と光琳の筆致を見比べ、光琳による風神の風と雷神の雨に応えるように抱一が裏面に描いた、夏秋草との関係が見えてくることも見逃せない。
屏風のみではなく、建物に設えられた襖絵の複製品も展示されている。建物の倒壊などによって失われてしまった文化財も多いため、現在残されている作品がこのようなかたちで残されていくと、建築空間における美術の研究にも寄与するはずだ。
展示のハイライトとなるのが、長谷川等伯筆《松林図屏風》だ。等伯の代表作であり、近世水墨画の最高傑作のひとつに挙げられるこの作品。霞のあいだに見え隠れする松林が4つのグループに分けられ、墨の濃淡で緻密に描き込まれながら蒸気を含んだ空気とその奥の松林が表現され、見えない木々の気配までも感じさせる。
東京国立博物館の担当学芸員らと共同で等伯の故郷である石川県の松林に赴き、当時の長谷川等伯がどのような景色を見たのか調査を実施。作品の世界観に入り込むストーリーを映像で表現し、プロジェクションマッピングを行っている。画面左から朝日が上り、遠くから鳥が舞い降りてくる冬の一日の景色が3分弱の映像で描かれる。高精細複製品だからこそ、最新の技術を用いて等伯の目線を追体験できる。
日本美術史に残る文化財を作成当時からの経年も含めて高精細で複製する「綴プロジェクト」。教科書などで見覚えのある名品の数々をじっくりと時間をかけて鑑賞してほしい。現代テクノロジーと職人の技の結晶は、文化継承や教育、研究といった目的に適うだけではなく、時空を超えた次元へと想像を広げる役割も果たしてくれる。会期も終盤に差し掛かっている。日本美術史上の名宝が一堂に会し、同じ空間で響き合う貴重なこの展示で、眼前に繰り広げられるかつての絵師たちの筆致、描写力に息を呑むはずだ。