「Tokyo Contemporary Art Award」とは?
2018年に創設された「Tokyo Contemporary Art Award」(TCAA)は、東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)によって運営される現代美術賞。新進作家やすでに評価の固まった大御所に注目が集まることの多い現代美術の世界において、死角になりやすい10年以上の活動歴を持つ「中堅アーティスト」を対象とする点に大きな特徴がある。昨年発表された第1回の受賞者には、ともに40代の風間サチコと下道基行が輝いた。
選考プロセスの総合性や、長期間にわたる支援制度の充実も、同賞のポイントだ。選考委員は、推薦ないし公募で選ばれた候補者のポテンシャルを、作品だけではなく、スタジオ訪問や面接を通して多面的に審査する。受賞者には、賞金300万円や海外での活動資金100万円のほか、受賞から2年後(第2回受賞者の場合は2022年)に東京都現代美術館で開催される展覧会までのあいだ、2年間のサポートが行われる。さらに、上記展覧会にあたってはモノグラフ(作品集)も制作され、世界を舞台とした活動を資料的にも後押しする。
第2回受賞者が決定。評価のポイントは?
そんなTCAAの第2回受賞者に、このたび、藤井光と山城知佳子が選ばれた。
選考委員を務めたのは、神谷幸江(ジャパン・ソサエティ ニューヨーク ギャラリー・ディレクター)、住友文彦(アーツ前橋 館長/東京藝術大学大学院准教授)、ドリュン・チョン(M+ 副館長兼チーフキュレーター)、マリア・リンド(キュレーター、ライター、エデュケーター)、キャロル・インハ・ルー(北京インサイドアウト美術館 ディレクター)、近藤由紀(トーキョーアーツアンドスペース プログラムディレクター)の6名。
1976年東京生まれの藤井は、様々な土地の社会や歴史を、詳細なリサーチやフィールドワークを通して検証。多くの人との協働やワークショップも行いながら、映像作品やインスタレーションとして発表してきた。近年では、森美術館の「カタストロフと美術の力」展(2018年)や「あいちトリエンナーレ2019」などに出品。後者では、一時中止となった展示の再開に向けた「ReFreedom_Aichi」の活動においても中心的な役割を果たした。
藤井の受賞理由には、「歴史的な事象や忘却された記憶を、映像を通じて現代の私たちが見る作品として昇華させる明晰な方法論を持ち、それが美的な質を備えている点」が挙げられた。加えて、今回、審査過程で発表された新作の構想について、「戦後史に作家自身の過去とも向き合う試みを用いた、これまでになかった主観的なアプローチであり、彼の新たな展開となることが期待」できる点も、評価のポイントになったという。
いっぽう、1976年沖縄県生まれの山城は、地元沖縄の地理的政治的な歴史を、ときに自身をも被写体にした詩的イメージに満ちた映像や写真作品に昇華してきた。被抑圧者の身体やアイデンティティ、死生観、記憶の変遷をめぐるその表現の対象は、近年、沖縄を超えて東アジアの他地域にも広がっている。シンガポールで開催される国際的な美術賞「Asia Pacific Breweries Foundation Signature Art Prize」では、2018年に大賞にノミネートされた。
山城の活動については、「作家の身体によって主題を内面化した視点から歴史の問題を扱っている独自性の高い表現である」点が評価された。また、「これまで主に出身地である沖縄の問題に言及してきたが、作家本人がそれをより普遍的な問題としてとらえ、沖縄以外のトピックに取り組もうとしているタイミングである」ことも受賞の要因となった。
新型コロナウイルスによる授賞式の中止
選考過程から最終の展覧会まで、足掛け3年にわたるTCAAのプログラム。その初年度の大きな締めくくりが、東京都現代美術館で開催される授賞式だ。しかし、3月28日に予定されていた今回の授賞式は、新型コロナウイルス拡散防止のため中止となった。昨年の第1回授賞式には、受賞者の風間と下道のほか、ほぼすべての選考委員が集まり、受賞記念シンポジウムで意見交換が行われたが、その機会が奪われてしまったことは端的に残念だ。
また、パンデミックによる移動の制限は審査過程にも影響を与えた。最終的にはオンライン上で情報共有と議論ができたものの、複数の選考委員が来日を断念したという。選考査員長を務めた神谷幸江は、インターネットを通じたコミュニケーションの力を確認できたいっぽう、「疾病や災害も含む想定外の社会変化により、交流、体験の共有が簡単に遮断されてしまう状況のなかで、アーティストの創作活動を支える継続性のあるプラットフォームを構築していくことの必要性を痛感している」とコメントしている。
こうした事態のなかで、本記事では、当初予定していた授賞式のレポートの代わりに、受賞者の一人である藤井へのメールインタビューを行うことができた。以下、その内容を藤井とのあいだで交わされた文面のまま、Q&A形式で紹介する。
国内の中堅の困難な状況を示す、TCAAの意義
──はじめに、受賞を受けての率直なご感想や思いなど、コメントをお願いいたします。
当初は「これで新作の制作が始められる」と喜び、安堵しました。私にはどうしてもつくらねばならない作品があり、制作資金と発表場所を探していたからです。しかし、新たな感染症による脅威によって、芸術活動自体が危機に直面している現在、その心境は複雑です。ひとつの作品を作るのに構想から発表まで数年が必要ですが、美術館は閉ざされ、それを観せることができない状況です。未来はさらに不確かです。私の制作は国境や地域を超えて人々が集い、その協働を条件とするコレクティブなものです。今回の受賞も、その集合的な営みに関与してくれた人々の協力あってのものですが、国境は閉ざされ社会的距離が求められる現在、その活動は休止を迫られています。現時点で希望的な明日を語ることは控えたいと思います。
──TCAAでは、選考委員によるスタジオ訪問をはじめ、アーティストの思考や表現を深く知ることに重きを置いています。スタジオ訪問、また審査全般に対してのご感想をお願いいたします。選考プロセスで印象的なシーンなどもあれば、ぜひ聞かせてください。
私は、映像を使ったレクチャーパフォーマンスという形式で、過去の作品と2年後に予定されている展覧会の構想を審査員に伝えました。新しい構想とは、これまでに題材にしてきた人類の危機の歴史と、私の個人史を同時に振り返り、現在を問い直すことで未来を見据えていくパフォーマンスです。その試みは、本アワードの審査に関わらず、これからの制作において必要なプロセスでした。選考委員との対話は、作品だけでなく、自分が影響を受けてきた美術史(映像史)から社会と芸術の関係など多面的に自分の活動を見直す機会となりましたが、焦点は未来の問いであった気がします。一定の作品の蓄積があり体系化されてきた自分の芸術活動にどう一撃を加えていくのか。批判的仮説が求められる現代美術を対象としたアワードの特徴ではないでしょうか。
──TCAAは、海外展開も含めた今後の活躍が期待できる国内の中堅アーティストを対象としています。この賞の意義を、どう感じられていますでしょうか? とくに中堅が対象の賞は国内では希少です。その意義について、ご自身の経験や状況も踏まえてご意見を伺えれば幸いです。
本アワードが支援する「海外での展開」は、国々を越境する労働移民と同様に、私にとって生きることに関わる問題です。現実として、制作の半数以上は海外からの支援に支えられています。本アワードの逆説的な意義は、「中堅」とされるアーティストが日本で活動することの困難を示すことではないでしょうか。芸術・文化の重要性を理解している国の「中堅」が置かれた社会的・経済的な状況と比較すれば、構造的な違いがあることは明らかです。経験年数だけをみれば私は「中堅」かもしれませんが、制作環境と生活の実態は「新人」のままいつまでも過度に不安定であり、絶えず活動の存続が危ぶまれているのです。
パンデミック後の世界に備える視点
──「あいちトリエンナーレ2019」をはじめ、昨年は、国内で行政機関と芸術、芸術と公共性の関係に再考を迫られる事態が多数おきました。そうしたなか、東京都の関わる賞において、藤井さんや山城さんが受賞されることの意味は大きいと思います。現代の公共性と芸術をめぐる状況をどのように感じていますでしょうか?
いま、まさに緊急的な支援を必要とする芸術と文化行政の関係が問われていますが、芸術活動と公共性の関係に再考が迫られているのは、アーティストではなく行政機関であるというのが私の認識です。トラフィックの増大で瞬時に世界中へと広がるウイルスに証明されるように、公共圏はいまや地域や国境の地理的領土の枠組みを超え、多様な人々がもつれ合う多元的な関係性のなかにあります。行政機関が公共性の概念を更新せず特定の社会集団の公益性を守ろうとすると、他者の表現の内容・思想・良心に立ち入り、選別するという歴史的・法的・国際的に禁じられた「検閲」が再び起こります。
──最後に、今後の展望や、これから深めていきたいと考えている問題意識について、コメントをお願いいたします。また、現下の新型コロナをめぐる状況は、人類史に新しい局面をもたらすもののように思えます。そうした不安定で不透明な時代のなかでアートが持つ意味や可能性についても、何かご意見があればお聞かせください。
現在の非常事態のなかで、先行きが見えないと述べましたが、人類の危機の歴史を振り返れば、社会構造はこれから大きな変化を強いられます。その変化は歓迎されることだけでなく、新たな潜在的脅威となる側面もあり、私が考える芸術の意味や可能性は、その流動する現実のなかにあります。その際、感染症の世界規模の流行を表すパンデミックの語源が、民主主義の「民」(デモス=デミック)から生成されることは示唆的です。私が注視しているのはまさに、生きるための再分配をめぐる政治だからです。それでもなお、私たちは危機を忘却していくでしょう。芸術はこの瞬間にも危機の構造へと接近し、法的保護の外へと投げ出された者たちが誰なのかを注視し記憶に留めることができます。未来に創造的な変化をもたらす人類の問いに備えるのです。
危機の時代のアーティストを支える持続的な場を
以上、藤井とのメールインタビューの内容を掲載した。
回答にあった、選考委員とのあいだで交わされた「未来の問い」や、「自分の芸術活動にどう一撃を加えていくのか」という視点は、「中堅」の活動の蓄積によるスタイルの固定化にいかに打開の契機を与えるかというTCAAの理念と、まさに重なる部分だろう。
いっぽう、藤井も触れている芸術文化をめぐる各国の認識や状況の違いは、このコロナ禍で社会的にも広く知られることになった。欧米各国が、社会にとっての芸術文化のいわばインフラ的な役割を前提に、苦境に立ったその担い手に緊急的で大規模な支援策を打ち出したのに対して、日本にそれと同等の動きは現時点では見られない。国は芸術文化への税金での補償は難しいと明言している(東京都が発表した支援策は、新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い、活動を自粛せざるを得ないアーティスト等に当面の緊急対策としてweb上で制作した作品を発表する場を提供し、出演料相当としてひとり10万円を支払うもの。支払う対象はアーティストにとどまらず、制作を支える音響や照明などのスタッフも含まれるという)。
そもそも、質問でも言及した通り、昨年は「あいちトリエンナーレ2019」をめぐる一部展示の中止や文化庁の補助金不交付決定(のちに減額交付に変更)などの騒動によって、行政や公共と芸術の関係性が問われた年だった。その余波は、今年に入っても、先日中止が決定した「ひろしまトリエンナーレ」の事前検討委員会の設置問題などに広がっている。その意味で、芸術を取り巻く状況は、TCAAの第1回の際とは大きく変わってしまった。
しかし、芸術の危機の時代の到来を感じさせるこの状況でこそ、TCAAはこれまで以上の役割を果たすことができるのではないか。同賞が、従来と同様に質の高い芸術に対する手厚いサポートの場であり続けることは、今後、いっそう重要な意味を持つはずだ。
さらに言えば、コロナ禍のいま、多くの文化関係者が補償問題など目の前の現実的な課題に向き合うことを余儀なくされるなかで、藤井の回答に、この状況から新たな創造の可能性を探ろうとする覚悟のようなものが読み取れたことは、希望を感じさせた。TCAAが、そうした未来に向かう作り手を支える砦として続いていくことを、願ってやまない。