人間の個と身体をとらえる3つの視点。「MOTアニュアル2021 海、リビングルーム、頭蓋骨」が開幕
若手アーティストの活動を通じて、国内の現代美術の潮流を紹介するために、東京都現代美術館の「MOTアニュアル」。17回目を迎える今回は、副題を「海、リビングルーム、頭蓋骨」とし、小杉大介、潘逸舟、マヤ・ワタナベの3名が参加した。
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若手アーティストの活動を通じて、国内の現代美術の潮流を紹介するために、1999年から開催されてきた東京都現代美術館の「MOTアニュアル」。
17回目を迎える今回は、副題を「海、リビングルーム、頭蓋骨」とし、小杉大介、潘逸舟、マヤ・ワタナベの3名が参加している。未だ収束を見ない新型コロナウイルスが顕在化した世界で、国や地域を超えて共鳴する若手アーティストたちの同時代的な表現や問題意識を提示する。会期は10月17日まで。
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展示の冒頭を飾る潘逸舟は1987年上海生まれ、東京在住。2012年に東京芸術大学美術研究科先端芸術表現大学院修了し、映像、パフォーマンス、インスタレーション、写真などのメディアを用い、共同体や個が介在する同一性と他者性について考察してきた。作品の多くは、幼い頃に上海から青森に移り、日本で生活してきた潘自身の経験や視点がベースとなっている。
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今回、潘が展示したのはいくつものモニターで上映される海をテーマとした連作だ。2010年頃から海をテーマにしてきた潘だが、今回の映像内では海に向かって潘がミニマルなパフォーマンスをする様子が映し出されている。
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潘はこの海という場所について次のように定義づける。「抽象的であり、しかし心象的な原風景でもないのが僕にとっての海。自分と社会を隔てる存在で、しかも自分は人間なので海のなかに住むことはできない。こうした自分の問題意識を投影しながらパフォーマンスをした様子が収められたインスタレーションだ」。
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展示では、大きさの異なる複数のモニターが壁に立てかけられるように設置されている。これはそれぞれの映像内の水平線の高さが同じになるようにするのも理由のひとつで、鑑賞者は様々な角度から海に見つめられるという稀有な体験をすることになる。
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小杉大介は1984年東京生まれ、2014年にノルウェーのオスロ国立芸術大学を卒業し、現在はオスロに在住している。映像を中心に、パフォーマンス、テキスト、サウンド、オブジェなど幅広いメディアを用いて制作を行っており、小杉の家族やほかのアーティストとの協働を通じて制作されたこれまでの映像作品は、フィクションとノンフィクションのあいだを行き来しながら、個が経験する葛藤や不自由がもたらす身体的、精神的痛みの伝達可能性を問う。
トラウマがどう描写されているのかに興味があったという小杉は、個人的なトラウマを深くリサーチし、記憶とともにどう生きているのかを新作《すべて過ぎる前に忘れて》(2021)として提示した。防空壕に身を寄せる女学生、女性に連れられ施設に向かう少女、洗面所から外を気にかける若い人物という、異なる場所と人の姿は、進行形の経験であると同時に過去の出来事でもあるような印象を見る者に与え、そこにある核心の予感だけが漂う。
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もういっぽうの小杉の作品《異なる力点》(2019)は、合理主義的だった小杉の父がパーキンソン症候群になり、論理的な言葉では説明できない身体感覚を実感するようになったことが制作の契機となった作品だ。小杉の父が病の進行による身体的変化を言葉にし、それに応答するかたちで舞踏家・岩下徹が小杉の父を演じる。映像という時間によって担保されるメディアによって、病によって変化していく身体をとらえた。
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マヤ・ワタナベは1983年にペルーのリマで生まれ、現在オランダ・アムステルダム在住。本展では80〜90年代に自国のペルーで起きた内戦を含む政治的混乱に焦点を当て、社会と人々のなかに深く浸透している抑圧と暴力のを3つの作品で発露させた。
まず《境界状態》(2019)は6万人以上が犠牲になったと言われているペルー内戦の犠牲者の集団墓地を扱ったインスタレーションだ。墓地をとらえるカメラの焦点は揺らぎ続けるが、そのピントが合ったときにだけ、地面や骨、衣服の断片などが姿を表す。法医学の鑑定を待つ遺体の所在の不安定さが映像として伝わり、主体の危うさを問いかける。
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《銃弾》(2021)は高い天井を持つ地下2階企画展示室のアトリウムを暗がりにして上映される。ワタナベはペルーの法医考古学者と連携し、引き取り人のいない内戦の犠牲者の頭蓋骨の内部を撮影。映像は暗闇に包まれるが、時々骨と思わしき白いものが浮かび上がる。高い天井の展示室を暗くして本作を見るというその体験は、氏名不詳とされて空にしまったひとりの人間のアイデンティティに思いを馳せるものでもあるといえる。
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最後の映像作品が《風景 Ⅱ》(2014)だ。ペルーの首都・リマの乾いた景色を映すカメラは、360度回転しながら、やがて廃棄物処理場で燃やされた車の煙をとらえる。荒れ果てた場所に存在する時間そのものを丹念に写し取ることで、諸問題を未解決のまま沈黙する国家の記憶を示す。
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三者三様に異なるアプローチでありながらも、映像というメディアが持つ時間性を有効に作品コンセプトに取り入れ、たんなる映像ではない体験性に基づくインスタレーションが展開された、興味深い展覧会となっている。