アーティストによるコレクティブ「アーティスツ・ギルド」は、今年開催が予定されている「ひろしまトリエンナーレ2020 in Bingo」における事前検討委員会設置の方針に対し、声明を発表した。
広島県では、今年9月から国際芸術祭「ひろしまトリエンナーレ 2020 in BINGO」の開催が予定されているが、プレイベントのひとつとして行われた「百代の過客」に対する一部批判を受け、実行委員会とは別の検討委員会を設置する方針を広島県議会において明言。検討委員会が「開催目的を達成できる展示内容」を決定していきたいとする方向を示している。
今回出された声明は、これに抗議するかたちのもので、「企画・運営を取り仕切る実行委員会とは別に、公的機関によって設置された検討委員会が作品の出展可否の決定を行うのであれば、これは事実上の事前検閲であると断定せざるを得ません」と批判。
個々の作品の出展可否の決定について、「公権力からの自律性を十分に保証されること」を求めている。声明文全文は以下の通り。
本年9月-11月に開催予定の国際芸術祭「ひろしまトリエンナーレ 2020 in Bingo」について、広島県は当該芸術祭の実行委員会とは別に、事前に作品の出展可否を検討する委員会を設置する方針であることが明らかになりました。 当該芸術祭において、企画・運営を取り仕切る実行委員会とは別に、公的機関によって設置された検討委員会が作品の出展可否の決定を行うのであれば、これは事実上の事前検閲であると断定せざるを得ません。 私たちアーティスツ・ギルドは、アートのプラットホームのあり方を探求するコレクティブとして、また個々のアーティストとして、この方針に強く抗議します。また、当該芸術祭の実行委員会が、個々の作品の出展可否の決定に関して、公権力からの自律性を十分に保証されることを求めます。 検閲が自明である芸術祭・展覧会において、個人の自律性を前提とした多様な価値を担保する、というアートの最も基礎的な条件が破綻することは明らかです。なぜなら、検閲の状況下で「許可」された作品や運動は、アーティスト、キュレイター、鑑賞者を含めた各個人の多様な価値検討や判断よりも先に、既に公権力によって、ある特定の価値に収斂させられてしまっているからです。 およそ「万人」に対して価値が理解可能なもの、快いとされるものだけを「芸術」と呼ぶことや、そのような偏向は、慎重に避けなければなりません。大多数にとって不快である表現や生き方が、ある個人にとっては、生きるよすがであり、主張であることを、私たち芸術家は身をもって知っています。そして、芸術家だけでなく、社会に生きる私たちの全ては、常に個人である限り「万人」でも「大多数」でもなくなり得るのです。異質で、単独的な個人の声や価値観を表明し担保することは、社会における芸術の主要な役割であり、見せかけの「万人」や「大多数」を恐れて、これを手放してはなりません。 今後、今回のような事前検閲が公然と行われるようになれば、アーティストやキュレイターをはじめとする専門家だけでなく、芸術祭に関わるあらゆる人々が、その検閲の価値基準を意識せざるを得なくなります。その影響が今回の芸術祭だけでなく、今後の表現全般、ひいては私達の生活に萎縮を強いることは、想像に難くありません。 こうした事実上の検閲プロセスが含まれた国際芸術祭、展覧会が常態化すること、そしてこのような事態が緩やかに進行していくことを多くの人々が看過する現状に、私たちは強い危機意識を持ち、断固としてこれに抗います。 2020年3月14日 アーティスツ・ギルド
なお、ひろしまトリエンナーレをめぐっては、評論家や学芸員、研究者など180名以上が加盟する美術評論家連盟(会長:林道郎)も3月6日に声明を発表。「公然たる検閲」と批判するなど、アート界から多くの反対意見が表明されている。