「ひろしまトリエンナーレ2020」で県が事前検討委員会設置の方針。「表現の自由」はどうなる?

広島県は、2020年9月12日〜11月15日に開催される広島県初の大規模芸術祭「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」に対し、出品作の展示可否を検討する委員会を設置する方針を県が示した。芸術祭の「表現の自由」を揺るがしかねないこの方針。美術手帖では、アーティスト・柳幸典とジャーナリストであいちトリエンナーレ2019芸術監督・津田大介にコメントを求めた。

「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」のロゴマーク

 広島県では初の大規模芸術祭として、2020年9月12日〜11月15日に予定されている「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」(以下、「ひろしまトリエンナーレ」)。広島県は25日の県議会で、同芸術祭の実行委員会とは別に検討委員会を設け、作品の出品可否を検討する方針を示した。

 「ひろしまトリエンナーレ」は、実行委員会会長を広島県知事・湯﨑英彦が務め、副会長には三原市長・天満祥典、尾道市長・平谷祐宏、福山市長・枝広直幹が名を連ねている。

 今回の検討委員会の設置方針は、広島県議会の代表質問において、佐伯安史・商工労働局長が打ち出したもの。佐伯局長は「ひろしまトリエンナーレ」のプレイベントについて、「一部の展示内容について、多くの批判的なご意見をいただいた」とし、プレイベントにおける課題や今後の対応案等を整理。その結果、次のような課題が見つかったとした。「芸術に加えて、観光振興や地域活性化の観点を踏まえ、実行委員会から切り離した、客観的な視点での検討が行われていない。実行委員会の主催イベント以外の内容について、事前に実行委員会において、確認・把握する仕組みが構築されていなかった」。

 佐伯局長は、上記課題についての対応として「観光・地域経済・芸術の、各分野の知見を有する者で構成する、実行委員会とは独立した委員会を新たに設け、開催目的を達成できる展示内容を決定していきたいと考えている」と明言。「また、実行委員会の主催イベントであるか否かを問わず、トリエンナーレの枠組みに入るものは、すべてこの委員会に諮りたい」と発言している。

 今回の方針決定は、尾道・百島のART BASE百島にて2019年10月5日〜12月15日に開催された、「ひろしまトリエンナーレ」のプレイベントのひとつ「百代の過客」に対する批判を受けたものとみられる。「百代の過客」では、「あいちトリエンナーレ2019」の一企画である「表現の不自由展・その後」に出品され、「昭和天皇の肖像を燃やした映像」という本来の作品趣旨とは異なる文脈でメディアなどでも大きく取り上げられた大浦信行の映像作品《遠近を抱えてPartII》(2019)も展示。これについて、広島県に抗議が寄せられていた。

 この検討委員会設置案を受け、SNSでは「事前検閲ではないか」といった疑問の声が複数挙がっている。

 美術手帖では、プレイベント会場だったART BASE百島でディレクターを務めるアーティスト・柳幸典と、あいトリ芸術監督を務めた津田大介にコメントを求めた。

柳幸典のコメント

(検討委員会設置案について)
 芸術祭のガバナンスの点で検討委員会はあってもいいだろうが、芸術祭である以上は芸術分野の専門家により構成されるべきである。表現の自由の観点から政治や行政からは切り離された委員会であるべきで、行政は憲法を尊重し市民の表現の自由を守る義務があり、その立場から展覧会のガバナンスを考えるのが当然である。

(プレイベントについて)
 芸術には多様な表現があり、その価値観の違いを理解しあうことで豊かな文化と真の公共性が保たれる。一部の団体が不快と感じたからといって表現の多様性を封殺していいというものではない。ましてや行政がその圧力に屈することは民主主義の根幹を揺るがすことになる。今回のアートベースでの企画はあいちトリエンナーレの騒ぎ以前に準備されていたものだが、あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展・その後」に続き、アートベース百島での「百代の過客」においても一部団体の抑圧に屈しなかったことを誇りに思ってもらいたいし、ヒロシマだからこそ多様な表現が担保される芸術祭であるべきだ。

(公的資金が投入される事業における「表現の自由」について) 
 公のあり方が問われているのだと思うが、公とは多様な価値観の市民が同じ広場を共有しているようなものだ。議論し合うことは自由であるが、一部の考えで他を抑圧していいというものではない。言論や表現が抑圧された結果の歴史的反省を踏まえて現憲法には「表現の自由」が明記されている。公に奉仕すべき行政は市民の多様な価値観を守るべく毅然としてほしいと思う。いかにも公を代表したかのように扇動する声高な少数派に従うのではなく、静かな大衆にこそ耳を傾けるべきだ。芸術における公的資金とは多様性を担保し健全な民主主義を守るためにこそ使われるべきもので、声高な少数派のためのものではない。公然と検閲をする芸術祭に参加する芸術家など誰もいないのだから芸術祭自体が成り立たないだろう。この度の広島県による措置は表現の自由を脅かす勢力に成果を与えてしまい将来において良い結果をもたらさないだろう。ヒロシマの人類史的意味を重くとらえて軌道を修正してほしいと願っている。

津田大介のコメント

 地元メディアの中国放送の報道によると、市民団体による要望書には「昨年10月から行われたプレイベントで、公序良俗や公共の福祉に反する展示が行われた」ことを理由として、それらの作品を排除することを求めています。

 彼らは抗議する根拠として公序良俗や公共の福祉を挙げています。確かに表現の自由は無制限ではなく、他人の権利を侵害するなど「公共の福祉」に反する場合は制限されますが、その場合想定されている他人の権利は「プライバシーの権利」「肖像権」「環境権」などであるということです。最近は2016年にヘイトスピーチ解消法が制定されたため、本邦外出身者に対する不当な差別的言動も、内容によっては表現の自由が制限され得るものと認識されるようになりました。それを前提としたうえで強調したいのは、あいちトリエンナーレ2019の一企画「表現の不自由展・その後」も、ひろしまトリエンナーレのプレイベントの展示も、そうした他人の権利を侵害するものにはなっていないということです。

 彼らは「多くの方が不快感を持ち、あるいはお怒りになるような創作物を、公的なイベントで展示することは、社会的合意を得られないと思います」と述べています。しかし、そもそも日本の法律には「不快罪」はなく、人が何らかの表現に触れた際に不快に感じることは犯罪ではないのです。「表現の不自由展・その後」にも、ひろしまトリエンナーレのプレイベントにも法的に問題のある作品は展示されていませんでした。ですから、「公共の福祉」を理由として展示制限を求めるのは法的にも、学術的にも根拠がありません。特定の日本国民の権利・自由を侵害するものではない以上、彼らのクレームは単に価値観の違う言論や表現を目にした場合の不快感にすぎませんし、その感情にもっともらしい「公序良俗」や「公共の福祉」といった理由付けをしているに過ぎないと思います。

 文化政策が専門の片山泰輔静岡文化芸術大教授は9月18日付毎日新聞夕刊のインタビューで「学術的に結論は出ている。憲法上『表現の自由』の尊重は不可欠で政治家は守る責務があり、作品内容に制限を加えるのは許されない」「その作品が公共の福祉に反すると政治家や行政が決めてはならない。学術組織や芸術界が自由な議論の中で出した結論は尊重すべきだが、『不自由展』はその段階にない」と述べています。ひろしまトリエンナーレのプレイベントで言えば、当該団体が問題視した作品の作者である大浦信行さんや「表現の不自由展・その後」参加作家の小泉明郎さんがトークイベントに登壇した際、多くの右派・保守派言論人が直接会場の百島に乗りこんで「許せない」と抗議、それに対して作家側が「不快な芸術もある」と答えるなど、両者の間で激しい言葉の応酬がありましたが、最後は参加者が「同意はできないが、あなたのような人がいることは理解する」と言い、二人は握手を交わしたそうです(2019年12月31日付朝日新聞朝刊社説)。観た人に様々な感情を喚起させ、異なる意見を持つ人同士が議論するきっかけをつくるという芸術の力を象徴するような出来事であったと思います。ちなみにこのプレイベントには、この要望書を提出した市民団体の関係者も観客として参加しています。

 ひろしまトリエンナーレのプレイベントでは、あいちトリエンナーレに寄せられた大量の電凸と同様、大浦信行さんの「遠近を抱えて」「遠近を抱えてpart2」の持つメッセージや文脈を考慮せず、ネットによって扇動された人々が作品の意図を理解することなく、広島県や尾道市に抗議電話が殺到したと聞きます。それどころか、百島で営業しているトリエンナーレにまったく関係のない店舗にまで「こんな展示を許していたら商売に影響するぞ」と脅迫めいた電話をかけた輩もいたそうです。恐らく市民団体の関係者か、彼らの主張に影響された人たちによる嫌がらせ以外の何者でもありません。表現に対して物申したいことがあれば直接アーティストや運営者に連絡すればいいのであって、実際に百島のトークイベントはまさにそうした機会を提供していたわけです。

 こうした事態を受け、県はトリエンナーレ実施にあたり、「トリエンナーレに関わる全てについて確認する外部委員会を設置する」という方針を明らかにしましたが、「全て確認する」というのは、明らかに過剰反応と言わざるを得ません。そもそもこの措置は、文化芸術基本法が定める「文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である」という、表現の自由と芸術家の自主性の尊重という二つの大原則を毀損するものです。

 例えばあいちトリエンナーレ2019では全部で106の企画がありました。芸術祭や展覧会は、直前まで企画の詳細が詰まらない、あるいは制作していることも多く、それらの詳細について、専門的知識があるわけではない外部委員会に事前に詳細を伝えて全ての判断を仰ぐのはまったく現実的ではありません。ガバナンスの点から展示内容について確認・把握する仕組みをつくることそのものは否定しませんが、その任に就くのは芸術について専門的知見を持った人間であるべきで、そのことが文化芸術基本法の趣旨にも沿うのではないでしょうか。

 外部委員会を設置するのならば、文化行政も芸術と行政が一定の距離を保ち、援助を受けながら、表現の自由と独立性を維持する「アームズ・レングスの法則」に基づいたものであるべきです。事前に専門性のない外部委員会がそれぞれの場当たり的な「感情」で、展示内容に介入することは憲法21条で禁止されている「検閲」にほかなりません。広島県には、今一度文化芸術基本法で定める精神に立ち返り、適切に芸術家が表現を行える環境整備を行い、外部委員会の存在そのものが表現の萎縮や抑圧を招くことがないよう、十分に配慮していただきたいと思います。

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