AdvertisementAdvertisement
2023.6.16

変わりゆく現代と対峙する。イ・チュンファンが語る精神的な癒しとしてのアート

東京・有楽町にあるM5 Galleryで開催されている展覧会「Instead of a result, a process」(〜6月20日)に際し、本展の出展作家のひとりであるイ・チュンファンへインタビューを行った。伝統的な技術に対する現代的なアプローチや近年の実践について話を聞いた。

聞き手・文=Paul Han 翻訳=宮澤佳奈

イ・チュンファン
前へ
次へ

 東京・有楽町にあるM5 Galleryで、グループ展「Instead of a result, a process」が開催されている。本展に際して、出展アーティストであるイ・チュンファンへインタビューを行った。伝統的な技術に対する現代的なアプローチと、現在の世界におけるその意味。若手作家の頃からの経歴とともに、目まぐるしく変化する現代のライフスタイルと対峙する「スロー・プロセス」について聞いた。

島、海を起点に始まった芸術実践

──あなたの作品には、東アジアの伝統的な美術や古美術、とくに山水画や浮世絵からの影響がうかがえます。制作を始めたきっかけや、伝統的な美術に惹かれた理由について教えてください。

イ・チュンファン(以下、イ) 韓国と日本は歴史的にも文化的にも、非常に古い時代から密接な関係にあります。歴史のうえでも、数えきれないほどの交流がありました。そのため類似点もあれば、それぞれの文化の個性もあります。

 私はじつは韓国の最南の地域で生まれました。全羅南道(チョルラナムド)にある莞島(ワンド)という場所です。とても伝統的で保守的な祖父のもとで育ち、5歳の頃から、韓国の伝統的な理論や書道を教わっていました。ですから筆を使うことにはとても慣れていましたし、親しみを持っていました。いつも筆を持っていたので、自然と芸術と親しみを持つことができたのです。

イ・チュンファン Light + Grain #4 2019

──子供の頃、お祖父様の影響が大きかったのですね。

 そうですね。祖父と一緒に韓国の伝統的な書道や模様、水墨画を学ぶなかで没頭していきました。とても幼い頃から、そのような環境に身を置いていました。

──そこでふたつ目の質問ですが、幼少期を過ごされた60年代から70年代にかけて、ご家族以外の社会的な影響や、それがその後の芸術活動をどうかたちづくっているか、お話いただけますか? 

 社会というより、どちらかと言えば育った場所とそこでの社会でしょうか。育った莞島は漢字で書くと、「笑いの絶えない島」という意味になります。

 私は、自分が生まれ育った素晴らしい場所の影響を大きく受けたと思います。莞島は歴史があり、韓国の文化や歴史において非常に重要な役割を担ってきました。古代朝鮮の時代には、広東地域に貿易地域をつくった張保皐(チャン・ボゴ)という大変歴史的な人物がいました。中世の頃、莞島は東南アジアの貿易の中心地だったのです。そのなかでも青々とした私たちの地域はよく知られていました。素晴らしい自然が残っていたのです。これまで、様々な映画の舞台にもなってきた、とても美しい場所です。

 祖父の影響についても触れましたが、私の作家としてのキャリアに大きな影響を与えたのは、やはり生まれ育った場所だと思います。

イ・チュンファン Light + Grain #15 2019
イ・チュンファン Light + Grain #21 2019

──作品の非伝統的な部分を見ると、あなたの作品が古美術の模倣ではないことが明白にわかります。非常に強い直感と、個人的なキャラクターを持った作品に見受けられます。初期には、誰かに影響を受けましたか? 

 ご存知のように、私は20代前半から芸術の道を歩み始めました。当時、作品に大きな影響を与えたのは、地理的、領土的なことでした。島で育ったのも自然があってこそで、海に囲まれていました。ですから初期の主な焦点は、波や海原、海でした。作品にも、海洋のテーマを用いていました。伝統的な技法である水墨画を、伝統的な構図で描いていたのです。ところが、20代前半の頃、幸運にもとても小さなギャラリーでささやかな展覧会を開きました。そのとき、私の作品を見に来てくれた年配の紳士と出会いました。初対面だったのですが、私の作品をとても気に入っていて、その場で何点かを買ってくださいました。私のことをたいそう褒めてくれたのです。その日の夕方、自分の作品や莞島出身の経歴について、彼と語り合いました。

 莞島周辺の風景について話していると、夜更けに小さな船が、あのよくあるエンジン音とともに通り過ぎるのを聞きました。そこでこの紳士は突然どこからともなく質問してきたのです。「この小さな船が通り過ぎる音を、絵画作品に表現できますか?」という質問です。まだ20代で、若い作家志望だった私は、「どうせならやってみよう」と言ったのです。野心的でしたね。この音響の動きを作品として表現するのに、20年近くかかってしまったことは少し後悔しています。1999年にTongda Galleryで「The Sounds of the Nature」という展覧会をしたのは、あの老紳士との出会いから約20年後のことでした。制作のきっかけをくれた彼に連絡をとろうとしたものの、残念ながら彼はとうの昔に亡くなられていました。 

イ・チュンファン

伝統的な題材を新たな形態に進化させる

──イさんの絵画には、風景、草木、松の木や月といった、東アジアの伝統的な題材が描かれています。こうした伝統的な題材を、新しいフォーマットによりどのように変容させているのかお聞かせいただけますか?

 私は、この世界のすべては小さな点から始まり、その点がつながって線になり、面が生まれると考えています。そのなかで、私たちの生活におけるあらゆる相互作用が始まります。伝統的な要素に注目するのは、伝統がすべてのルーツであり、始まりだからです。そこで、そうした伝統的な要素を研究し、研ぎ澄まし、進化させることに人生を捧げてきました。そして、とても長い時間をかけて、伝統的な要素をより現代的な形態へと進化させるプロセスを研究してきたのです。初めは具象的で伝統的な形態から始まりましたが、それらを圧縮し、単純化し、より複雑なプロセスへしていきました。私の作品は、抽象的で非具象的な要素に呼応しており、それがいま、作品の焦点となっています。

──伝統的な芸術に新たな形式を与えることは何を意味しますか? また、それによって観る人に伝えたいこと、届けたいことはありますか?

 現状に甘んじないことも非常に重要だと考えています。私たちは自身を再構築し、改善し続ける必要があるのです。現状に甘んじてはいけない。変化しながら進化し続ける必要があるのです。それが、私が取り組んでいることです。

 私が自然や伝統に関するテーマに焦点を当てるのは、人間のより深い本質、つまり私たちはみな母なる大地や自然の一部である、ということを知る方法だと思うからです。

 伝統的な芸術からいまやっていることまで、自然や環境の表現という点では変わっていません。私が観る人に伝えたいことは、デジタルやテクノロジーが発達した現代社会においては、すべてが急速なペースで進んでしまっているということです。そして、誰もがさらなる利便性を求めている。もっと便利にしたいし、色々なことをしたい。手間を省きたいし、大変な仕事はしたくない。しかし、それは私たち人間が人間らしさを失うという現象につながっていると考えます。ぬくもりや、人への思いやり、共感する能力が失われてしまう。人間らしさの中核が失われているのです。いまこそ、私たちの原点である自然に立ち返る必要があると考えます。そして、自然のなかにある休息、癒しや快適さに焦点を当て、その一部となり、リラックスし、自然を通して精神的な癒しを得ることがとても重要なのです。

 私は、作品を通して観る人にこの体験を味わってもらい、自然のエネルギーを世の中の人々へ届けたい。私自身も、自然のなかで野生を楽しみ、少し休憩して、現代社会のすべてから自分を切り離し、ささやかな瞑想をします。皆さんにもぜひ試していただきたいです。

イ・チュンファン Light + Grain #54 2019
イ・チュンファン Light + Grain #19 2019

──「原点回帰、自然回帰、人間らしい柔らかな内面への回帰」なのですね。そのメッセージは明確だと思います。また、今回の展覧会では、これまでとはかなり違った印象の作品が選ばれています。そうした部分についてお伺いできますか?

 今回の出品作品3点は、進化による変化の次なる発展を表しています。それは、より圧縮し、よりシンプルにするという方向性です。 

 例えば、先ほど潮や海の話をしましたが、そのように絵画のなかに描ける題材はいくらでもあります。しかし、私は単純化すること、圧縮することで進化し続け、中核となる要素のみを残したかったのです。そのため私の絵には、陸と、空の境界のみが描かれているものもあります。しかしそれは同時に、ある種の広大さも表現しています。

 他方で、《The Mood of the Mountain》には放射線のかたちがありますが、形状ではなく色彩のみでできています。色だけで、すべてを見て、表現できるようになりたかったのです。

「Instead of a result, a process」展に出品されたイ・チュンファン《Light + Grain #2280》(2023)

 そして、最後の作品《Light + Grain #2280》は、手で直接描いています。韓国の伝統的な木から採れるパルプを使い、私が独自につくった高麗紙に描かれています。手漉き紙は温かみがあり、独特の風合いが特徴です。観る人には、こうした温かさや自然さを感じてほしい。この3つの新作は、私のほかの作品とは一線を画しています。それは、進歩や進化における自然な段階なのです。私は進化し続けたいし、つねに変わっていきたい。私たちは変化の段階にあり、作品はその一部にすぎません。

──また、キュレーターと一緒にコレクション全体から作品を選ぶことについてもお聞かせください。

 今回の3作品は、私の最新作です。すべてのコレクションのなかから、簡略化、暗示、圧縮の方向性を表しています。

「Instead of a result, a process」展に出品されたイ・チュンファン《Light + Grain #74》(2023)
「Instead of a result, a process」展に出品されたイ・チュンファン《Light + Grain #73》(2023)

──この展覧会に対して、観た人からはどのような反応やフィードバックを期待していますか?

 アーティストにとっては、作品がすべてです。それは自分自身とも言えます。自分の内面でのトレーニングや、鍛錬のかたちでもある。私の場合は、自然界のルールや法則、人間がそれにどう従うべきか、ということにつねに訓練と焦点を合わせてきました。

 私の作品が、観る人にとってこのメッセージを再確認するように届くことを願います。現代の技術や科学の発展によって、人間はより露骨な、より表現的な素材にさらされています。私たちは外部からの刺激にどんどん麻痺し、より強く、より激しく、より速いものを渇望しているのです。

 それは私たちの五感や、自然のエネルギーに影響を与えるものです。私の作品が、この現代社会に生きる人々が必要としている精神的な癒しを少しでも提供できればと思います。