現実の不確かさを問う
——冨安さんは、心霊現象や神秘体験といった超自然現象、あるいはデジャブのような不可思議な体験をモチーフに作品をつくられてきました。「現実と非現実の狭間」を意識させる、こうした領域をテーマにされたのはなぜだったのでしょうか?
もともと小さいころから、そうした不可思議な体験や、科学で解明されていない現象に対して興味がありました。おかしく聞こえるかもしれませんが、私自身、心霊現象や不思議な体験をよくする子供だったんです。だから、それらに親しみがありました。ところが大人になってみると、そうした領域は「オカルト」と呼ばれ、非科学的で、どちらかというと馬鹿げた価値観として、排除される傾向があると感じたんです。
しかし、現実とはそんなに確かなものなのかと。私にとって、自分の経験は大事なものだったので、それが現代の社会で否定されてしまう土壌に対して、疑問の投げかけをしたいと思った。そこから、現在のような作品づくりをするようになりました。
——心霊体験と聞くとギョッとしますが……。いっぽうで、いまでも朝のニュースでは占いをしているし、験担ぎや「虫の知らせ」のようなものもある。そう考えると、じつは非科学的な思考や文化は、社会の中でごく普通に存在しているとも言えるわけですよね。
そうですね。「心霊」という言葉はキャッチーなので、その言葉が取り上げられることが多いのですが、どちらかというと、現実の不確かさや曖昧さを考え続けてきたところがあります。
私は非科学的で曖昧な領域によって、人が救われることは珍しくないと思うんですね。例えば、幽霊にしても、単純に「怖い」という反応があるいっぽうで、大切な人が死んだとき、「本当」かどうかはさておき、霊的なものを信じることで救われる人はいる。なので、簡単に否定的なもの、馬鹿げたものとは考えられないとは思っています。
——死生観や宗教観に関わる問題ですが、現実と非現実の関係は、美術がつねに取り組んできたものでもあります。それを現代に問い直す意味については、どう考えていますか?
ひとつには、メディアの変化があると思います。かつてであれば、小説や絵画などで表現されてきたものが、よりいろんなアプローチや形式によって表現できるようになってきた。そこに、自分が扱う意味を感じます。また、おっしゃるように、美術において非現実的な世界は普遍的なテーマですが、とくに近代以降、そうした精神的な領域は、美術の世界で真剣に扱われてこなかった。その意味でも、非現実性や死生観を再考する作品には、今日的な意味があると思います。
——単純に結び付けていいかわかりませんが、死者の話を聞くと、やはり東日本大震災のことを連想します。そのあたり、自作とのつながりは感じますか?
震災は大きな出来事だったので、無視はできないとは思います。ただ、すごく正直に言うと、私自身は被災したわけではなく、当時ちょうどロンドンに留学をしていたこともあり、日本の状況はわかりませんでした。それに、震災に限らず戦争でも、日常的な身近な人の死でも、日々、たくさんの人が死んでいる。それらはどれも、変わらず重いものだと思います。
むしろ、大きな出来事から死者の問題をとらえてしまうと、一人ひとりのことが見えなくなるのではないかと。そうではなく、鑑賞者それぞれにとっての死や生、現実と非現実の境界について考えさせることのほうが、私の作品では重要なことだと思っています。
違和感をいかにつくるのか
——今年3月まで北九州市立美術館で開催されていた個展「(不)在の部屋——隠れるものたちの気配」では、空間全体を部屋に見立てたインスタレーションを展示されています。これはどのような作品なのでしょうか?
この展示は、いままでのキャリアでもっとも規模の大きなものだったのですが、北九州市立美術館の展示室のひとつをいただいて、そこを大幅につくり込んでいきました。具体的に言うと、展示室をむき出しの木材によって細かく区切り、8つの部屋と廊下で構成された空間をつくりました。かなり入り組んだインスタレーションですね。
薄暗い部屋に入ると、内部には家具や小物、私が描いた絵画や制作した映像作品が置かれています。各所には仕掛けが施されていて、急に電気が点いたり、音が鳴ったりとポルターガイストのようなことが起きる。それを鑑賞者に体験してもらいました。
——説明だけを聞くと、いわゆる「お化け屋敷」にも似ていますが、こうした空間や仕掛けを通じて立ち上げたかった感覚、経験とはどのようなものでしょうか?
「狐につままれた」という言い方がありますよね。生活の中で、「この道は何回も通ったな」とか、デジャブを感じるとか、些細だけど、おかしな違和感を感じることがある。浮遊感のような、現実か非現実か、わからなくなる感覚。なにかその先の結論があると言うよりも、その感情を起こさせること自体が目的でした。
——「感情を起こさせること自体が目的」というのは?
私の関心は、そうした心理的な動きが発生するメカニズムなんです。それぞれの装置が起こすのは小さな驚きの経験ですが、それが積み重なることで、鑑賞者には次第に違和感が芽生えてくる。その違和感をどうつくるのかが問題だということです。例えば、どこからどこまでが作品なのか。鑑賞者の中には、仕掛けをしていないのに音を感じる人や、動いたと感じる人もいました。種明かしはしないので、鑑賞者にはその境界がわからなくなる。この奇妙な感覚を与えることがひとつのテーマでした。
——認識の曖昧性を体験すること自体が重要だと。ところで2016年の《Room of Absense》も部屋型のインスタレーションですが、部屋にこだわるのはなぜですか?
さきほどのメディアの話とも関わりますが、部屋型にすることで、多くの感覚を行き来する経験をつくれるからです。視覚や聴覚はもちろん、木材の匂いを感じる嗅覚、床の軋みを感じる触覚も扱える。人によっては、いわゆる第六感のようなものまで感じ取らせることができる。はじめて部屋型の作品をつくったのは、2015年に参加した大分県のトリエンナーレ「混浴温泉世界」でしたが、それ以降、部屋にこだわっています。
加えて、部屋という日常的な空間には、非現実を際立たせる役割もあります。現実世界の土台があってこそ違和感もある。制作では、リアリティの構築も切り離せないものになっています。
——部屋の壁には、ジョン・エヴァレット・ミレイの《夢遊病の女》(1871)やカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの《雲海の上の旅人》(1818)といった過去の絵画に着想を得て描かれた油彩画、空中浮遊などをテーマにした油彩画も飾られていますね。
《夢遊病の女》は現実と夢の境界線上にいる人物、《雲海の上の旅人》はもの思いふける人物を描いた絵画ですが、それらを連想させる絵画は、展示の意図を掴む手がかりとして配置したものでした。例えば《雲海の上の旅人》に似た作品は、砂が敷かれた部屋に飾ったのですが、その場所は室内でありながらどこか風景画的です。この部屋の様相と絵画から、室内の鑑賞者にその外部の世界を示唆しようとしました。
私は部屋を、自分を外界から遮断する象徴的な存在だと考えています。私たちは部屋の中にいるとき、外の世界の形状を知ることはできません。この作品ではさまざまな仕掛けや絵画、映像などを通し、その認識のフレームを問いかけたかったんです。
自己の写し鏡としての心霊イメージ
——冨安さんの歩みについても聞かせてください。経歴で珍しいと感じたのは、高校卒業後、最初からロンドンの美術大学に進まれたことです。
もともと絵を描いたりものをつくることは好きで、子供の頃からしていましたが、美術大学への進学は高校生の時に決めました。最初は東京藝術大学に行きたかったのですが、受からなくて(笑)。留学フェアで勧められたイギリスに行きました。当時から心霊現象や神秘主義的なことに興味はあったのですが、高校〜浪人時代は宗教に関心がありましたね。キリスト教の宗教画や物語をモチーフにした絵や立体を、予備校とは別に個人的に制作していました。
——どういった作家がお好きだったんですか?
浪人時代はアンゼルム・キーファーが好きでした。キーファーは、ユダヤ教の神秘主義思想の「カバラ」などを引用していて、惹かれていましたね。また死の匂いが強いという面でも、影響を受けていると思います。ロンドン留学中も、最初はタロットなど、神秘主義的なものをモチーフにしていました。とはいえ、その頃の自分は、対象を表面的に扱っていたかなと思う。幽霊のモチーフを使うようになったのは学部を卒業するころで、大学での指摘を受け、自分がどんなことを考えてきたかを、あらためて見つめ直したことがきっかけでした。
——帰国後には東京藝術大学の博士論文として、古今東西、さまざまなジャンルの心霊表現を通してその可能性を探る「心霊表象論 ―心霊イメージの変遷から読み解く『不気味な』表現の可能性―」を書かれています。この論文で解き明かしたかったものとは?
私がずっと考えているのは、心霊が実在するかどうかという議論はそれほど重要ではないということです。むしろ、私たちの社会と心霊イメージのあいだにどのような影響関係があるのか、そのイメージが私たちに何を考えさせるかが重要だと思うんです。そこでこの論文では、そのイメージの移り変わりを研究したうえで、じゃあ現代にとって、より人に訴えることができる心霊表現とはどういうものかを考えようと思いました。
——社会と心霊イメージの影響関係とは?
例えば19世紀末には、心霊写真が世界的にとてもブームになりました。面白いのは、それらの心霊写真の「心霊」と言われるイメージには、ローブを着た僧侶や人の周りのオーラのような光など、当時の宗教観に紐づけられたものが多いということです。つまり、そこには当時の人が何を「心霊」とするかという、社会の土壌のような視点が含まれている。
いっぽう、この関係は相互的でもあり、当時の人が「実際に」目撃した心霊は、こうした写真や絵画におけるイメージの影響を受けていた。イメージの存在が、体験されるものを変えてきたわけです。これは現在の私たちが「幽霊」と聞き、映画『リング』シリーズの貞子のようなイメージを抱きがちなことを思えばわかりやすい。論文ではこうした相互的な関係を、ホラー映画などを多く例にして語っていきました。
——さきほどもあったように、そうした心霊の表象は、近代以降の美術や学問の世界から遠ざけられるわけですが、この論文で面白いのは、代わりにいま挙げられたホラー映画などの大衆文化が、その表象を担ってきたのではないかという指摘です。
19世紀の心霊写真ブームの頃には、それを学問的に研究する流行もあったんですね。ただ、多くの心霊写真が捏造だったこともあり、不信感が広がりました。こうしたことは、それこそ貞子のモデルになった、福来友吉という学者の被験者に対する糾弾など、明治期の日本でも起きています。そこから心霊自体への不信感が一般的に広がっていった。それが美術の世界へも影響を与えたと考えています。
ただ心霊というものは、じつは同時代の人の精神にすごく関係しているし、身近で無視できる存在ではない。では、どう扱うかというとき、いわゆる「ハイアート」とは呼ばれないジャンル、つまり大衆映画や小説、マンガなどが引き受けてきたのだと思います。
——冨安さんはもう一度、それをハイアートの文脈の中で考えたいと?
そうですね。現代のハイアートの世界でも、動向として扱われないだけで、キーファーやスーザン・ヒラーなどこうした不可視の領域を扱う作家はいました。しかしここ10年ほどで、それを現代美術の中で扱うことに対する肯定的な機運は、より高まっているのかなと思っています。
たとえば、ヒルマ・アフ・クリント(*)という、神秘主義者でもあったスウェーデンの女性作家がいます。彼女は存命中の19世紀後半から20世紀前半には、それほど高く評価はされませんでしたが、2013年のヴェネチア・ビエンナーレで取り上げられるなどして再評価の動きがあります。その意味で、この関心は私だけのものではないなと。
また面白いのは、これだけテクノロジーが発達した社会になっても、心霊を信じている人は多くいるということです。高画質のデジタルカメラや監視カメラなど新しいテクノロジーの中にも、人は心霊を見てきました。心霊イメージというのは、いつの時代にも人にとって「自己」や「死」のあり方を見つめるものとしてあるのだと考えています。
日常の質を変える、大型の部屋型インスタレーション
——最後に、今回の「shiseido art egg」(資生堂ギャラリー)での展示はどのようなものになりますか?
基本的には北九州市立美術館での展示に近いもので、細かく区切った空間に、私の絵画や映像、家具などを配置し、歩きながら鑑賞する部屋型のインスタレーションになります。とはいえ、北九州とはだいぶ構造の異なるものになると思います。タイトルは《くりかえしみるゆめ Obsessed With Dreams》です。
——資生堂ギャラリーは空間が特殊ですが、どんな風に使おうと考えていますか?
ここの場合、建物に入ってすぐ地下に降りていくというのが面白いですよね。銀座の喧騒の中で、資生堂パーラーのこの地下空間だけが異空間になっている。それを生かして、建物に入った時点から物語が始まるようなものにしたいと思っています。
——鑑賞者はここで、どんな経験ができますか?
繰り返しになってしまいますが、違和感というか、狐につままれたような体験を与えられたらなと思います。そのなかで、現実とは何かという思考を、鑑賞者の方が普段の生活にも持ち帰ってもらえたらなと。ここで経験したことが心に残り、日々のなかでもドキッとする体験をしてくれたらいいなと思う。現実と非現実が曖昧になる経験というのは、意外と日常のなかに溢れているもの。それに気づく機会になればいい。
私はアートに限らず、文化というものは、人ありき、人のためにあると思っています。そして人にとって生死や信仰が大事なものである以上、文化やアートのなかでも、現実と非現実の境界を問う視点は見逃せないものとして残っていく。今後も、この部屋型のインスタレーションに限らず、そうした視点の見せ方を考えていきたいです。
脚注
*——ヒルマ・アフ・クリント(1862〜1944)はスウェーデンの女性画家、神秘主義者。女性芸術家集団「5人」というグループに属し、哲学的な思考を図形に似た描写で表現した。