2022.9.10

若手キュレーター、アーティストに活動の「場」を。「biscuit gallery Curator Projects」が美術界で果たす役割

東京・渋谷のbiscuit galleryで9月8日から開催されている「影をしたためる notes of shadows」展。2020年の開廊以来、同ギャラリーではオーナーが企画を手がけ展示を開催してきたが、このたび若手キュレーターが企画を行うプロジェクト「biscuit gallery Curator Projects」を立ち上げた。その初回のキュレーションを手がけたのはキュレーターの松江李穂。出展アーティストに菊谷達史と前田春日美を迎え、新たな取り組みに挑む3人に話を聞いた。

文=山内宏泰 撮影=北沢美樹

左より、作家の前田春日美、菊谷達史、キュレーターの松江李穂
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松江李穂(以下、松江) 今回、小林さんからアーティストのみならず若手キュレーターの活動機会をつくりたいとの趣旨をお聞きして、ならばぜひとお引き受けしました。企画は今後継続していく予定とのことで、若手支援への「本気度」を感じました。

 いま日本でインディペンデント・キュレーターを目指す人は、じょじょに増えている印象があります。ただ、活動を支える「場」が少なく、打って出ようと思ってもなかなか一歩目を踏み出せないのが現状。仕方ないので自分たちでスペースをつくろうといった動きはあるものの、どうしても限定的になっている印象があります。

松江李穂

 私自身は現在、大学院に籍を置く身ということもあり、展覧会をキュレーションする機会も場も限られているのですが、私自身も含めたそのあたりの現状に一石を投じる企画になればと思いました。私の研究はキュレーションの仕組みやあり方自体を考えるものなので、いわば自分がサンプルになってキュレーションを考え直す良い機会だと感じています。

 この展覧会を構想するにあたっては、テーマに先んじて「誰と展覧会をやりたいか」を考えました。お話をいただいたタイミングが会期開始まであと3ヶ月と時間もなかったので、旧知のアーティストに声をかけました。私が金沢美術工芸大学在学中に知り合った、前田春日美さんと菊谷達史さんです。

前田春日美(以下、前田) 松江さんと出会ったのは3、4年前。大学院生だった私が「金沢彫刻祭」という展示に参加したときに、打ち上げで挨拶したのが最初でした。

前田春日美

松江 いきなり話し込んでしまいましたよね。前田さんとは考えや感覚が近い気がして、いつか一緒に展示をしたいとずっと考えていました。菊谷さんは大学の先輩にあたり、作品は以前から拝見していたのと、最近のアニメーション作品が気になっていたので、今回ぜひ一緒にやりたかったんです。展覧会タイトルを「影をしたためる」としたのも、菊谷さんとの事前の打ち合わせがきっかけでした。

菊谷達史(以下、菊谷) そういえば以前、影についての話をしましたね。僕にとって絵を描くとはどういうことか議論していたときに、絵画の起源は去り行く恋人の影帽子を壁に残したところからという逸話を例に出しました。シルエットをなぞり転写させていく行為と僕のやっていることはどこか関係している気がすると言うと、その話に松江さんがすごく食いついてくれました。

菊谷達史

松江 そうなんです。ガイウス・プリニウス・セクンドゥスによる『博物誌』に記された絵画の起源、いわゆる「コリントスの乙女」の話から「影」というテーマが導き出された。これなら前田さんの作品とも無理なく接続できると感じました。

前田 そうですね。コリントスの乙女が恋人を想って壁をなぞった線から「影」というテーマがきているのだとしたら、なぞっていく行為自体が興味の対象である私の制作とも深くつながります。菊谷さんは絵画で平面、私は彫刻の出身でレリーフをつくりながら立体や映像もつくったり、違いが出しやすい。

2階展示風景より、前田春日美《vis a vis》(2020)
3階展示風景より、前田春日美《壁に踊る#6》(2021)

松江 始めからなんとなくおふたりの作品がマッチするだろうという予感はありました。しかし、「影」とは美術の世界にかねてから存在する普遍的なテーマでもありますから、どうやってオリジナリティを出すかという点は悩みました。そこでおふたりには、過去作も出品してくださいとお願いしました。現在進行形の作品とともに過去の痕跡であり影のようなものといえる過去作をあわせて観ることができれば、いまの作品に至るプロセスのようなものも同時に見せることができるんじゃないかと考えました。

前田 松江さんから最初にお話をいただいたときに過去作を中心に考えていると言われました。提案していただいた《遠い体》は2019年に制作したもので、正直戸惑いはありました。修了制作の作品でもあり、これまでに何度か発表していたため作家として振り返るにしては早すぎる気もしました。それでも松江さんが真正面から「過去作も見せましょう。それによっていまの作品の見え方も変わってくるはず」と言ってくださったので、なるほどそういうこともありえるかと納得しました。過去も現在もさらけ出すことで、両者を言語化してつながりを持たせてくれるなら、それも面白そうだと感じられました。

松江 私は前田さんの作品を以前から拝見していますが、新作を観てからかつての作品を改めて観ると、前田さんの思考や、やりたいことがよりクリアになってきていると思いました。けれど、その段階に至るまでのもう少し込み入った制作の痕跡も同じくらい重要だと考えたのです。

菊谷 キュレーターと組んで展覧会をつくり上げるのは、僕にはこれが初めての経験です。外部からの声を取り入れながら展示を考えていくと、ひとりで準備しているときにはない発想が出てきます。実際、松江さんと打ち合わせを重ねていくなかで、当初僕が思い描いていた作品プランから大きく離れていき、本展では、2020年から取り組んでいるアニメーション作品と、それ以前から継続してきたペインティングを融合させた展示をすることになりました。松江さんとの対話によって、僕の作品に新しい展開が生まれたと感じています。

1階展示風景より左から、菊谷達史《狐火のエスキス / Storyboard (kitsunebi scene)》(2022)、《鳥と草のエスキス / Storyboard (bird and grass scene)》(2022)、《猟犬のエスキス / Storyboard (hound scene)》(2022)
菊谷達史《バックカントリーのエスキス / Storyboard (backcountry ski scene)》(2022)

前田 私も同様で、キュレーターとしっかり仕事をするのはこれが初めて。キュレーターとアーティストは立場が異なりますから、組めばおたがい新しい視点を得られます。たとえ自分の意図とは違った作品解釈のもとキュレーションされたとしても、キュレーターとの信頼関係さえあればそれはそれでいいと素直に思えます。私は今回、昨年制作した立体を出品しています。鏡を見ながら自分の身体をドローイングしていき、その線を薄い立体に仕立て直すというものです。「自分の身体に実感性を取り戻す」という私の創作テーマから端を発している作品ですが、これがすんなりと本展テーマの「影」とつながっていて、展示としての収まりもすごくいいと感じています。キュレーターが私の作品をずっと追いかけて見てくれているんだなと思えて、うれしくなります。

2階は前田春日美の作品を展示。前田の特徴でもある淡い色使いの作品によって空間が構成されている
前田春日美《The way to move a hill》(2022)
前田春日美《The way to move a hill》(2022)

菊谷 アーティストにとってキュレーターの存在はとても大きいものだと実感しています。たんに寄り添ってもらい、サポートしてもらうような間柄ではなく、たがいの意見を擦り合わせ議論できるような、緊張感を持った関係性が保てると、アーティストとキュレーター双方にとっていい影響があるのではないでしょうか。

松江 私にとっても今回のキュレーションは、学びが多い体験となりました。キュレーターもひとりの人間であって、悩みを抱えながら仕事に取り組みます。純粋に理論や思考だけでキュレーションができるわけもなく、キュレーター自身の実存的な部分と深く結びついたところからしか展示をつくることはできません。私は、ひとつの展示はアーティストによるものであるとともに、そこにキュレーターである私の考えや存在も滲み出ていていいものだと思っています。展示の構築はキュレーターにとってもある種の制作であり、キュレーターにはアーティストとは異なるタイプのクリエイティビティが求められているのだと、気づくことができました。

菊谷 biscuit galleryは、空間として対峙しがいがありますよね。広さ、色合い、照明、天井の高さなど、空間の条件によって作品の見え方はいくらでも変化します。3階建てという珍しい構造のギャラリーで、観客は階段を登り降りしながらフロアごとに鑑賞していきます。今回はそのような動線を生かすかたちで作品展示も構成しているので、実際に会場を訪れて鑑賞してもらいたいです。

 前田 階段を上がるごとに視野や視点がリセットされるところが、ほかのギャラリーにはない特性になっていますよね。その持ち味を活かして、ワンフロアごとにガラリと印象を変えることができたと思います。

1階は菊谷達史の作品を展示。今回は窓に菊谷の《Walker(Shoto Bunkamura St. )》(2022)が描かれている
3階展示風景より、左から菊谷達史《ノートブックアニメーテッド1》(2022)、前田春日美《遠い体》(2019)。2階までの空間から雰囲気が一気に変わる。

松江 一見シンプルな空間に思えるけれど、とても奥が深くていろんな展示パターンが考えられました。キュレーターとしてインディペンデントでやっていくというのは、なかなか険しい道です。予算はつねに足りないし、機会もめったに回ってこない。今回のことは本当に貴重で希少な機会。若手キュレーターに場を提供するこの企画が継続していくことを切に願います。

前田 キュレーターもそうであるように、アーティストも活動の場をどう確保するかは切実な問題です。とくに私は今年になってからパフォーマンスによる表現も始めたのですが、発表の場がないと活動が成り立たない面もあります。それをどう解消したらいいかはずっと悩みの種でした。ひとつの解決策として、自分でWALLA(*1)というスペースを運営することにしました。一軒家の2階がアトリエ、1階が展示や活動のスペースというかたち。制作を続けていくためのサイクルを自分でつくってしまおうと思ったんです。

菊谷 ここ10年ほどで、多くのコレクティブやアーティストランスペースが生まれ、アーティストがみずから動いていく機運は、年を追うごとに増していったように思います。それ以前は、何はともあれ有名なギャラリーに所属しないと制作も生計もままならない、といった雰囲気がありましたが、いまは自分で場をつくるひともいれば、SNSで発信するひともいる。百貨店でも現代美術が盛んに扱われるようになり、アーティストの活動の場はより多様化してきています。いまの状況は一本の王道しかなかった頃よりも、考えようによってはハッピーな状況なのではないでしょうか。

 このbiscuit gallery Curator Projectsのような、コマーシャルギャラリーがキュレーターに展示企画の機会を与えるというのも、面白い動きだと思います。それによって、アートマーケットや、キュレトリアルな現場、アーティストランスペースといった、同じアート業界に属しながらも、微妙に距離がある人たち同士の出会いが生まれ、業界の風通しが良くなるのは間違いなくいいことでしょう。

松江 様々なアーティストと様々なキュレーターが、いろんな混ざり方をして一緒に仕事をするようになれば、可能性もいっそう広がっていくのではないでしょうか。

*──大石一貴、大野陽生、前田春日美、吉野俊太郎の4名によって、2019年の夏に東京都小平市で始動したスペース。2階建ての一軒家で、普段は共同運営する4人が2階をそれぞれのアトリエとして使用するほか、1階のギャラリースペースを使用しての展覧会やイベントなどを不定期に企画開催。

3階展示風景より、菊谷達史の「芥の子」シリーズ(2022)。それぞれ販売されているので、このなかからお気に入りを見つけるのも楽しい
3階展示風景より、菊谷達史の「芥の子」シリーズ(2022)(部分)