写真を通して行われた「往復書簡」。藤井保、瀧本幹也インタビュー

商業写真の世界の第一線で長く活躍し、また、クライアントワークではない写真作品も高く評価されてきた藤井保と瀧本幹也。1994年から98年にかけて瀧本は藤井のアシスタントを務め、ふたりは師弟関係にあたる。初の2人展の開催に向けて2019年6月からメールでの往復書簡が始まり、展覧会と書籍に結実した。

文・写真=中島良平

藤井保(左)と瀧本幹也(右)

──メールでの往復書簡は、「おふたりの不思議な関係の謎解きをしたい」「日常が垣間見える瞬間に出会いたい」というMA2 Galleryディレクターの松原さんの想いからスタートしたとうかがいました。

藤井保(以下、藤井) 最初は具体的にどういうかたちで落ち着くかは見えておらず、1年後ぐらいの2人展の開催を目指してメールでのやり取りを始めました。書籍化も自費出版でもいいかな、くらいの話でしたね。お互いがお互いを褒め合っている往復書簡は読んでいて居心地が良くないので、言葉は控えめに、写真でお互いを刺激し合うようなものにしたいという思いはありました。結果として、コロナ禍になるなどいろいろなことが起きて言葉は増えましたね。

瀧本幹也(以下、瀧本) そうですね。最初は展示のテーマなどをメールのやりとりで綴ろうとスタートしました。が、思いもよらないコロナ禍になったり、藤井さんも島根に移住することになったり、結果として往復書簡を続けた2年半ぐらいのあいだに様々な展開があり、往復書簡がちょっとしたドキュメンタリーになりましたね。

展示風景より、入口横にふたりの師弟関係が始まるきっかけとなったJR東日本の広告「その先の日本へ。」の写真を展示
展示風景より、1階に集められたのは地球の大地からのエネルギーを感じさせる作品

藤井 去年の夏から半年間腰痛が悪化し、東京の事務所をどうするかも考える期間があったので、往復書簡はあいだが空いているんです。ただ、その期間も、事務所をどうするか相談するなど瀧本とやりとりはしていました。それは写真なしの裏往復書簡という感じかな。

瀧本 そこでのプライベートなやり取りがあった事によって、半年間今回のこの写真による「表」の往復書簡が途中、中断しましたね。往復書簡の先には展示が待っているので、最初は展示も踏まえて写真を選ぼうと考えましたが、藤井さんから届く写真には思想があるので、それをどう解釈して返信をするのか、展示のことまで考えながら写真で返すのはあまりに難しいことだったので、藤井さんから受け取った写真に色や構図が似た写真だけでなく、内容を読みとって解釈を膨らませていく発想に変えたところ、写真を選び、撮影することがとても新鮮で楽しめました。

──藤井さんが写真とコメントをメールで送り、そこに瀧本さんが写真とコメントで返答するという形式でのやりとりが続いたわけですね。

展示風景より、壁には往復書簡から抜粋された言葉も綴られている

藤井 瀧本から写真が返ってきて、私の写真から何を触発されているか見つけるのは、私も楽しみでした。内容、色、かたち。私が空の写真を送ったら、それに対して雲が映り込んだ湖の写真を返信してくれたこともありましたし、フォーマットを決め込まずに自由にやりとりできたように思えますね。

瀧本 初めから展示や本のことを考えると、写真も文も小ぢんまりとまとまってしまうなと思ったし、考えたうえでそれを避けようとするのは本当に難しくなってしまうので、自然なかたちで進められたと思っています。

──会場に入ると、入口右手のところにすぐ、1992年に藤井さんがJR東日本の仕事として撮影した「その先の日本へ。」が展示されています。瀧本さんはこの広告写真をご覧になって、藤井さんの事務所の門を叩かれたんですよね。

瀧本 心惹かれるものがあったんですね。まだバブルが終わる前の華やかな時代で、煌びやかで、いろいろなことが過多な時代でしたが、その時代に発表された広告写真としては時代に逆行していると感じました。見たことのない景色だけど、何故か懐かしい。まだ17〜18歳の自分にも懐かしく感じられるというのが衝撃で、この感覚はなんだろうと強烈な印象を持ちました。なぜ自分が心を打たれたのか、撮影した藤井さんはどういう思想を持っている人間だろうという思いで、藤井さんに師事したいと思ったんです。

「その先の日本へ。」の写真を前に、「駅長の後ろ姿に藤井さんを見ていたのかもしれません」。と話す瀧本

藤井 田舎の風景を撮影した私の最初の写真集(『ふる里の写真館』(1986、まほろばの会))があるんですが、あのヴィジュアルはその写真集がベースになっています。演出家の前田良輔さんが、そのイメージをムービーでやったらどういうふうに見えるんだろうと考えて、動画と並行して写真の撮影もすることになったんです。私が選ぶ風景は、観光地ではありません。日本人の観光の仕方が、観光名所をポイントごとに移動していくというのが一般的になっていたので、あの広告の仕事では、そうではない旅を提案したい気持ちが根底にありました。スポンサーのJR東日本は「デスティネーション」という言葉を使って、行き先をはっきり見せる写真がほしいという話しもありましたが、ディレクターの力もあり良い仕事ができたと思っています。

──目的地として観光名所に行くかもしれないけど、そこへの移動も含めて楽しむ旅の提案ということですね。

藤井 そうですね。私が考える本当の旅の豊かさというのは、田んぼの畦道で何かを感じたり、名所ではない場所でもいろいろなことを感じられる、そういうものです。同じ風景であっても次に行ったときには同じ風景には見えないし、そのときにしか感じられない何かがある。同じ風景の写真も、撮る人によって違うものに見える。そういう出会いが旅の面白さだと思うんです。

瀧本 藤井さんのアシスタントだったときには、海外も国内も撮影に帯同させてもらいましたが、基本的に藤井さんはひたすら場所を探すために歩くんですね。僕らはその後ろを金魚のフンのようについていくわけですが、藤井さんは細かく説明してくれるわけではないので、何を思っているんだろうと想像しながらついていくわけです。どんな風景を求めているんだろうって。そこで学んだことは多いと思います。藤井さんはおそらく、地球からの声を聞いて何を撮るのか決めているんだろうと学べましたし、その環境との向き合い方からは大きな影響を受けています。

藤井 当時は地図を見て、ここに何かがありそうだ、怪しいぞという想像から移動を開始するわけです。いまはGoogle Mapsのストリートビューで景色が見えてしまうから、便利で私も使っているけど、想像力は退化すると思います。

展示風景より

──ライフワークとして続けてこられた渡り鳥の撮影には、やはり地図を読む力が求められますよね。

藤井 渡り鳥は、飛行形態を撮りたいと思って撮影を始めたんです。V字型の群れですね。それで白鳥の飛来地を調べて、まず宮城県の湖に行きました。白鳥がそこを寝床にしていて、日中に田んぼに行って落穂拾いをして、また寝床である湖に戻ってくることがわかった。朝と夕方の瞬間を狙うんですが、最初に自分がカメラを構えたところには飛んでこない。来ないから場所を変えると、今度は元の場所を飛んでいたりするわけ。そういうことを続けていると、だんだんとわかってくるんです。飛行機と同じで、というか人間が鳥から学んだわけだけど、風にアゲンストで飛んでいくことや、温度や時間帯など、鳥の気持ちになって着地点を考えると徐々にわかるようになるんです。

──今回の展示では2階に渡り鳥の作品が展示されています。が、まず1階から順に聞かせてください。

展示風景より、1階の中央に展示されているのは互いに撮り合ったポートレイトとそれぞれが使用したカメラ

瀧本 1階のコンセプトは、地球を生命体としてとらえて大自然を写した作品からそれぞれが厳選して展示しました。

藤井 お店のインテリアもそうだけど、入った瞬間の印象ってあるでしょ。入ったときに日常とは違う異空間に入ったと感じるような。人為のおよばない自然のエネルギーをとらえた写真を展示したら、非日常の空間に入ったことを感じられると考えたんです。しかし具体的な展示構成の企画制作はすべて瀧本に任せています。フロアの真ん中に互いに撮影したそれぞれのポートレイトとそのときに使用したカメラを展示してあって、それも瀧本のアイデアだけど平面の写真の展示内容のなかにカメラの立体があることの面白さがあり、なかなか素晴らしいですね。

瀧本 あのポートレイトは展覧会のために撮ったわけではないんですよね。去年の夏でしたね。

藤井 そうだね。女優の江角マキコさんから、子供と一緒にうちの事務所で写真を撮ってほしいという連絡をもらったんですよ。江角さんは是枝裕和監督の『幻の光』(1995)で映画デビューしたんですが、私がそのポスターなどの撮影を担当した縁で、江角さんが被写体の『ESUMI』(1996、リトル・モア)という写真集を出版したことがあるんです。瀧本もそのときにアシスタントをしていて、いまは是枝さんの映画で撮影をしたりするなど、つながりがあるので、じゃあ写真集のアートディレクションをしてくれた葛西薫さんと是枝さんも呼んで、食事でもしようとなったんです。

瀧本 僕は当時セカンドアシスタントで、藤井事務所に95年以来、27年ぶりに同じ場所に同じメンバーが再集合したんです。盛り上がって撮影会みたいになって是枝さんとか皆さんの写真を藤井さんが撮ったんですが、そうしたら江角さんから「せっかくだから藤井さんと瀧本さんもポートレイトを撮り合ったら?」と提案されたんです。その時に撮影した写真がとても良くて、ふたりの関係性を象徴する写真だと思ったので今回展示することにしました。コロナ禍のソーシャルディスタンスのためのアクリル板のように見えるのも時代性が出ると思って、あのような展示方法にしました。

藤井 コロナで展覧会の予定もずいぶん延びてしまったけど、瀧本は転んでもタダじゃ起きないフィジカルとメンタルの強さを持っていますね。

展示風景より、2階展示室は祈りの空間をイメージ
展示風景より

──外光の入る明るい空間で、大自然のエネルギーを感じさせる写真を鑑賞して2階に上がると、遮光されて薄暗い空間に藤井さんの渡り鳥の作品と、瀧本さんの花の写真が展示されています。今回出版された『藤井保 瀧本幹也 往復書簡 その先へ』を拝読すると、このコロナ禍の東京でオリンピックを開催することへの意義をどう考えるかでおふたりの意見が割れていたり、瀧本さんからのポジティブなメッセージを発信したいという提案に藤井さんが疑問を示されたり、スリリングなやりとりが伝わってきました。

藤井 最近作の花の写真を展示したい思いが、瀧本は強いんだろうということは伝わってきました。それ自体は勿論否定するわけではないけど、こんな緊急事態宣言下でオリンピックを開催することに自分としては拒否感があったし、そんな状況で2階から上に行くにしたがって明るくなっていくというのはやっぱり楽観的すぎるんじゃないかと思いました。それで、私は祈りをテーマにするということを瀧本にメッセージして、そのコンセプトで写真を選びました。

瀧本 写真の展示空間にもこだわり、写真作品の奥には斜めにせり出した光のオブジェを作りました。明け方の空のようにも感じる祈りの空間です。それと、往復書簡のメールでのやりとりもここでじっくり読んでいただけるように、スライドでメールの画像をプロジェクションするのもこのフロアにしました。

展示風景より

──3階に上がると往復書簡でやり取りされた写真が2枚1組になって額装されています。

瀧本 往復書簡の組み合わせを1枚の額に入れるアイデアは、初期の段階で出てきました。それぞれが何を考えてその写真を選んだのか、撮ったのか、組み合わせて見せることはこの往復書簡があったから実現できるものですし、そのときの感覚や気持ちのリアルさが見えますよね。旅に行ってきました、と北海道の写真を藤井さんに送ったり、時間の記録みたいな面もありました。

展示風景より、3階の展示は往復書簡でやり取りされた写真を1枚の額に収めて展示。上が藤井、下が瀧本の作品
展示風景より、4階にはポラロイドを展示。左が藤井、右が瀧本の作品

藤井 写真のセレクトはもちろんそれぞれがしているから事前に共有していましたけど、今日初めて展示を見て、展示自体が美しいと思いました。瀧本はさすがにディテールもきちんと見てしっかりとクオリティを守っている。これはなかなかできないことかもしれません。

瀧本 コロナ禍で、タイミングによっては開催自体がどうなるか読めないし、展示プランを考えるのはなかなか難しかったです。ただ、気をつけながら距離を保ちながら見ることはできますし、こういう時期の心の栄養のためには、やはりアートは絶対に必要なものだと思います。4つのフロアに分かれているギャラリーというのも珍しいので、フロアごとに展示内容に違いを出していけるのは面白かったです。

「ライカM3のファインダー越しに見た藤井さんは厳しくも穏やかな眼をしていました」。と話す瀧本
展示風景より

編集部

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