人口2000人ほどの島ヶ原村で育ち、中学2年生の頃に、間もなく市町村合併によってその村がなくなることを知った。自分が住んでいる場所が解体されるという現実を前に、その場所の記憶をどう残せるか、自分の抱いている感情をどうしたらかたちにできるか考えた。中学の図書室で昔の小説や古い画集に触れ、絵画に、とくに油絵に可能性を感じた。そのひとつが、マルク・シャガールがロシアの村を描いた初期の作品だった。写真でも映像でもなく、その場所の空気感を筆致に込めた表現との出会いに衝撃を受けたのだという。
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「図書室の画集で、最初はシャガールやルオーなどの近代絵画に触れました。中学時代に独学で絵を勉強するようになって、そういう作品を見て真似して描いたりして、高校生の頃には地元の公民館で個展を開く機会もありました。それから現代の絵画にも興味をもつようになり、たまたま『具体』のメンバーだった画家・元永定正さんを電車で見かけ、テレビで見たこともあったので声をかけたら元永さんも伊賀上野出身で、月に1回ぐらい絵を見てもらうようになりました。戦後の美術や抽象絵画のことを元永さんから教えてもらったことで、美大でコンテンポラリー・アートをもっと学びたいと考えました」。
成安造形大学を卒業し、ドイツの表現主義などプリミティブな絵画への興味からデュッセルドルフ芸術アカデミーに留学した。ドイツで学んでいる最中に東日本大震災が起こり、自分の活動のフィールドを考えるようになったという。村が消滅し、土地の記憶が失われていくのを体験したことが自身の絵画の原点だと考えた岩名は、三重に戻ることを決めた。
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「過疎地でアーティストとして暮らすのは、楽しいことばかりではありません。古い価値観が根強く残っていたり、高齢者たちの社会で若い人がやっていることが認められるのが簡単ではなかったり、そもそも集落では現代アートという単語を聞く機会すらありませんから。しかし、そういう場所のリアリティから作品をつくることが、自分にとって大きなモチベーションになっています。村から失われていくものを絵画にして伝えること、地元の同級生や後輩と始めた『蜜の木』(*1)の活動でコミュニティをアップデートしていくこと、その両方に向き合っていきたいですね」。
地域芸術祭のレジデンス制作ではなく、生まれ育った故郷に定住しながらその土地の現実を、記憶を作品に込めていく。「村のお婆さんが僕の絵を見て、『この景色は私が死んでから見る世界みたいだと思う』と言っていたのを聞いたときは嬉しかったですね」と、住民からの感想について話してくれた岩名。丁寧に土地の記憶を集め、絵に残し、これまでこの地に暮らした先祖が見てきた世界をキャンバスに表現しているからこそ、お婆さんはいま先祖が天国で見ている景色を想像したのではないだろうか。
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*──「蜜ノ木」は、三重県伊賀市島ヶ原地区にゆかりのある人々によるグループ。岩名泰岳が発起人。2013年に同じく岩名によって結成された、島ヶ原村民芸術「蜜の木」を前身としている。活動内容は、展覧会やイベントの企画のみならず、空き家の再生から地域の寄合や祭礼への参加まで多岐にわたる。いわゆるアート・コレクティブというよりは、旧来の青年団に近い活動を行う。