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2018.12.3

消滅した村落を照らす小さな光。副田一穂評 蜜ノ木「くずれる家」展

三重県伊賀市島ヶ原に暮らす若者たちによるグループ「蜜ノ木」による展覧会が、この秋開催された。本展は、伊賀の美術史、1920年代の地元青年団の活動、伊賀ゆかりの現代美術作家による展示の3つを軸に構成。三重、愛知の学芸員らと協働でリサーチを行うなど、土地の持つ記憶へ独自のアプローチを行う「蜜ノ木」が実施した本展について、愛知県美術館学芸員の副田一穂が論じる。

文=副田一穂

展示風景より。1950年代に伊賀で開催された公募展「伊賀アンデパンダン展」のフライヤーなど 撮影=林由佳
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共同体の繕い方

 三重県伊賀市島ヶ原地区(旧島ヶ原村)に暮らす20代の若者たち十数名が、2013年に結成した島ヶ原村村民芸術「蜜の木」を前身とする「蜜ノ木」の活動は、展覧会やイベントの企画のみならず、空き家の再生から地域の寄合や祭礼への参加まで多岐にわたり、いわゆるアート・コレクティブというよりは、旧来の青年団のそれに近い。

 蜜ノ木のメンバーはいずれも旧島ヶ原村に暮らす村民か同地の出身者であり、その多くはアーティストでもなければアーティストになることを目指しているわけでもない。したがって、蜜ノ木の活動拠点である旧三重銀行跡の展示や、展覧会に合わせて刊行された機関誌『蜜ノ木』の誌面を通じて提示される彼らの「作品」の多くが、どこか既視感のある形式に自らの生活感情を率直に託しているにすぎないとしても、その技術的な拙さをあげつらうことに批評的な意味はないだろう。本展の照準は、作品それ自体を通り越して、過去にくずれた家=共同体の継承に定められている。

蜜ノ木の活動拠点で、会場にもなった岩名泰岳のアトリエ「Iwana_Mitsunoki Studio」 撮影=岩名泰岳

 蜜ノ木の拠点である旧島ヶ原村をはじめ、上野市、阿山町など6市町村は、2004年に合併して伊賀市を発足させ、旧市町村としての歴史に幕を降ろした。このうち旧上野市は、さらに辿れば1941年に阿山郡上野町ほか7町村の合併によって生まれている。この阿山郡上野町はかつて「洋画のまち」と呼ばれ、東京帰りの洋画家・奥瀬英三(1891-1975)が設立した美術研究会「蒼丘社」や戦後の「山樹社」、「上野美術クラブ」など、複数の美術グループを擁した。

 本展は、現在では耳慣れないこれらのグループゆかりの作家たち(東俊一、市橋武助、萩森久朗、浜辺万吉、元永定正、森中喬章、山鹿正純)の作品を近隣の学芸員らとともに発掘し、再び光を当てる。

Iwana_Mitsunoki Studioの展示風景より。写真奥が元永定正らの作品 撮影=岩名泰岳

 加えて本展では、旧上野市を構成する(阿山郡上野町を除く)6村に島ヶ原村を加えた7村の住民からなる昭和初頭の「青年団」という、もうひとつの共同体に注目する。同青年団が1927年に発行した文集『七ツ乃華』は、時期的に見て大正期末に全国に波及した農民文学運動と大筋で軌を一にするものと見てよいだろう。先述の機関誌『蜜ノ木』は、90年以上前に刊行されたのち長らく忘れ去られていたこの『七ツ乃華』に、自らをなぞらえている。

冊子『七ツ乃華』『自發』『蜜ノ木01』 撮影=岩名泰岳

 しかし、これらの共同体の継承は果たして成功しているのだろうか? 奥瀬は蒼丘社を立ち上げたのちわずか4年で再び上京し、現在ではむしろ浦和の画家として知られている。山鹿は東京でシュルレアリスムを標榜するグループ「アニマ」や「動向」の結成に参加したのち、38年に病没した。元永は47年頃から山樹社の活動に参加したが、50年代には神戸に移り、「具体美術協会」の一員として名を馳せることになる。つまるところ、彼らのアイデンティティや評価軸は、小さな共同体の内側にではなく、その外部に設定されている(これらの事実は、会場の解説パネルにおいても強調されている)。

 あるいはまた、蜜ノ木のメンバー・高濱瑠里子の曽祖父が『七ツ乃華』寄稿者のひとりであるという事実や、同級生からLINEで誘われ蜜ノ木に参加したものの「一体何なのか、それは今でもよくわかりません」というメンバー河弘也の機関誌上での率直な語りが象徴するように、本展における共同体の成員は、蜜ノ木自体を含め、あくまで地縁や血縁によって結びついている。

 理念を共有した者同士の連帯の、形式だけがここでは繰り返されているのだとして、しかし本来この反復を正当化するはずの地縁や血縁の持つ逃れがたい力もまた、町村合併によって村落の名が消えるのと同時に、すでに失われてしまっている。

Iwana_Mitsunoki Studioの展示風景より。
毎年2月に執り行われる正月堂修正会に「蜜ノ木講」として参加している活動の記録 撮影=林由佳

 その点において、やや唐突にも見える杉本憲相の本展への参加は、杉本が旧上野市の出身であるという地縁以上の意味を持つことになる。くずれたコンクリートブロックや廃材に断片的に描かれた杉本のアニメのキャラクターの像は、たとえその支持体をもと通りの姿に組み直しても、決して統一的な身体を獲得することはない。身体が物質とイメージとのあいだで、決定的にズレてしまうこと。それは、失われた共同体の再起動や、地方の断片的な美術史的事象の再統合という蜜ノ木の試みにおける理念と形式との関係に対して、共同体の内部でもあり外部でもある立場からの優れた批評として機能する。

旧三重銀行跡会場外観の展示風景より。壁面左が杉本憲相の作品。手前の立体と壁面右は有本健司の作品
撮影=有本健司

 本展タイトルの「くずれる」という現在形が示すとおり、地方の小さな共同体はいまもなお崩壊し続けている。根本的には手の施しようがないのだとしても、そこに暮らすあいだはなんらかの方法で丁寧に補綴し続けるほかない。地域の文化資源のリサーチはそのための切実な手段のひとつだが、それによって過去と現在の無批判な接続が生じてしまうのは避けたい。本展における外部の学芸員やアーティストとの協働は、パッチワークされた複数の共同体の継ぎ目をむしろ際立たせるというやり方で、くずれる家を繕っている。