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歴史の「暗闇」に文化の「光」を見出す、ザイ・クーニンに聞く。

マレー文化に出自を持ち、領域横断的かつ即興的な表現方法によって人間の神髄を追究する、ザイ・クーニン。日本初個展に際し、民族や宗教、文化の垣根を越えた境地を志向する作家にインタビューした。

木村絵理子

展覧会会場にて 撮影=西田香織

 シンガポール出身のアーティスト、ザイ・クーニンの日本初個展は、マレー語で黒潮を意味する「オンバ ・ヒタム」というタイトルで開催された。黒潮は、北半球の熱帯地域を東西に流れる北赤道海流をルーツに、フィリピン沖から東シナ海を北上する暖流で、東南アジア沿岸域から房総沖へ至る最大規模の海流の一つである。展覧会場は、壁一面に木目が露わな合板が張りめぐらされ、大判の紙に墨で描かれたドローイングが展示された。それぞれの作品には、《The invisible tree a thou sand miles from you(1000マイル先の見えざる木)》や《The other side of this dark passage(この闇の通路の裏側)》といった詩的なタイトルが付けられ、湿度と熱気が充満した東南アジアの密林と暖かい海の流れとを想起させるような展示空間である。ギターを片手に会場へ現れたザイに、これら作品の意味、そして展覧会名に込めた思いを聞いた。

ザイ・クーニン Ruang yang tersembunyi - Hidden space in solitary 2016 紙にインク、水彩 82.5x114.3cm © Zai Kuning Courtesy of Ota Fine Arts

「私には光を生み出す力はありません。しかしアーティストとして、暗闇の中に存在する光を見つける力は持っていると思います。そして、そこに美を見つけ出す力も」。

 歌うように抑揚をつけて、ゆっくりと言葉を選びながら、ザイは墨で描かれた新作のドローイングについて語りはじめた。しかし、彼が描く対象は、自身の民族的背景としてのマレーシアの文化や現在拠点としているシンガポールといった国家、あるいは何か特定の宗教や神話的背景に基づくものではないという。

ザイ・クーニン Everybody has the same dream tonight 2016 紙にインク 114.3x76.3cm © Zai Kuning Courtesy of Ota Fine Arts

「私は、ここで民族というものは存在しないということを主張したいと思っています。人々は民族の違いなどを気にするべきではありませんし、宗教についても必ずしも信じる必要はない。民族や宗教の違いにこだわることを好きになれず、捨てるべきだと思ってます。では私たちはいったい何を信じればいいのか? それは叡智への希望です。私の精神は、ただ思考することを望んでいます」。

 彼のこの言葉は、東南アジアの歴史や政治状況を鑑みると、極めて逆説的なものとして映る。なぜなら同じ展示空間には、ドローイングとは一見対照的な蜜蝋と糸でつくられたオブジェ《Britannica―Encyclopedia of Colonialism(ブリタニカ―植民地主義の百科事典)》が同居しているためである。

「《ブリタニカ―植民地主義の百科事典》は私にとってとても象徴的な作品です。人間がいかに他人のマインドをコントロールしたがっているか、その欲望について語っています。言語は私たちをときに無能にします。日本人も、マレー人も、私たちは皆それぞれ異なる言語を持っています。しかし18世紀に英国が(マレーシアへ)やってきたときに、ABCといったアルファベットを持ち込み、それによってマレーシアのすべてが記述されました。英国人たちはアルファベットによって人々の精神を支配しようとしたのです。私はこの歴史に嫌悪感を覚えずにはいられません」。

展示風景。手前は《Britannica - Encyclopedia of Colonialism》(2016)、奥は新作ドローイングシリーズ © Zai Kuning Courtesy of Ota Fine Arts

歴史の「暗闇」に見出す 文化の「光」

 独自の書き言葉を持たなかったマレー語は、西アジアからの影響により当初はペルシア文字やアラビア文字を使って記述されていた。しかし、アルファベットの登場によって、初めて外からの視点で体系的にマレー文化が記述され、歴史化されるようになっていった。その結果、近代的な統治の構造の下で、マレー人自身もアルファベットにより記述された言葉で思考するようになったというのだ。現在の東南アジアの国境線は、植民地主義時代の名残が色濃く反映されたものであるのはいうまでもないが、ザイは人々の精神を隔てている言語においても同様の構造を見出し、その「暗闇」に「光」を見出そうとしているといえよう。

「ある政治的な状況に対して不満を抱く人は、どこでもたくさんいることでしょう。アーティストとして私は、ある支配的な力の存在を常に意識しています。その力に対して、私は何を語ることができるだろうかと。子どもや女性、男性たちの美しい人生について語るのと同じように、アーティストとして、私は作品を通して政治について語っています。いうまでもないことですが、私は政府の権力というものを嫌っています。なぜならそれは私たちに何かを語り伝えるものではないからです。アーティストの仕事は、子どもたちに、女性や男性に、あるいは貧しい人に対して常に語りかけることであり、それができなくなったら、私はもはや何者でもなくなってしまうのです」。

ザイ・クーニン If you dare to hurt me I will be there 2016 ミクストメディア 200x32x32cm © Zai Kuning Courtesy of Ota Fine Arts

 ザイにとっての「語りかける言葉」、あるいは暗闇の中に見出した「光」とはなんであったのか? ここで彼が長年追い続けるオラン・ラウト(東南アジア一帯で水上生活をする漂海民を意味するマレー語)の土地に縛られない自由な生き方と、地球規模の海の流れである「黒潮」のイメージが重なる。

「私たち(マレー人)はマレーの文化圏から遠く離れた土地へと旅をしてきました。祖先には船をつくる人々がいて、彼らは極めて特殊な技術を持っており、非常に大型で200人以上も乗せることができるような船で遠く日本へも渡りました。そして彼らが何を運んだか? それは音楽であり食事であり文化であったのです」。

『美術手帖』2016年9月号「ARTIST PICK UP」より)

編集部

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