• HOME
  • MAGAZINE
  • INTERVIEW
  • 写真として、楽曲として、作品はいかに成立するか。田島一成✕…
2021.2.14

写真として、楽曲として、作品はいかに成立するか。田島一成✕小山田圭吾対談

個展「WITHERED FLOWERS」(AKIO NAGASAWA、2020-2121)で、枯れた花をモチーフにアート作品としての写真を発表した写真家の田島一成(タジイマックス)。1990年代よりファッション誌やカタログ、CDジャケットなど音楽関係の写真を数多く撮影し、プロフェッショナルなフォトグラファーとして活動してきた田島が、アートとして表現したいものとは何か? 田島が1992年のソロデビュー以来、CDジャケットや宣材写真などを撮影してきたミュージシャンのコーネリアス・小山田圭吾と、個展会場で対談を行った。

文・写真=中島良平

左から田島一成、小山田圭吾
前へ
次へ

──「WITHERED FLOWERS」展は、前期(2020年12月3日〜12月26日)と後期(2021年1月7日〜1月30日)に分けて開催されました。各期の展示プランはどのように考えられたのでしょうか。

田島 2ヶ月展示をさせてもらえるのであれば、単純に前期と後期で作品を入れ替えたかったので、テーマはとくに分けず、空間の広さに合わせて各期で12点ずつ、計24点をどう構成すればバランスよく見せられるかを考えました。前期に来た人が後期にも来て「ちょっと違うな」と感じてほしかったので、後期の方がグロテスクな印象が強いかもしれません。

小山田 たしかに前期よりも今回の方がグロテスクというか、仮面ライダーの怪人みたいですね。「ドクダリアン」とか「トリカブト」みたいなこの感じ、すごく好きです。子供のときに見ていたのが深層心理に残ってるんだろうな、って気がする。

田島 自分で見ても怪獣っぽいと思うし、やっぱりふたりとも同じ世代だからね。

小山田 水滴がタコの足に見えるようなのがあったり、テクニックをいろいろ使ってそうだけど、自宅で撮影したの?

田島 花を買って、花瓶に入れて、自然と枯れていくのを待って撮影したんだよね。

田島一成「WITHERED FLOWERS」(AKIO NAGASAWA、2020-21)展示風景 提供=AKIO NAGASAWA

アートとしての写真のプレゼンテーション

──被写体に枯れた花を選んだ理由は何でしょう?

田島 新鮮な花は綺麗ですけど、それぞれの花1本ずつの個性はそれほど感じられませんよね。20代の頃にパリとニューヨークに住んでいた時期があって、母の日とか誕生日に花を撮影した写真を送っていたんですが、それもいつも枯れた花でした。枯れた花にはいろんな表情があって、シワがそれぞれ違ったり、そり返ったり、変色したり。5本あれば5本それぞれ違う枯れ方をしますよね。

田島一成 BERNHARD 2017

──背景は白く、画面いっぱいに花を撮影する、という構図はどの作品にも共通していますね。

田島 自分が多く撮ってきたのはファッション写真で、なかでもアヴァンギャルドだったり光の強いものだったりというのが得意なので、それと同じ方法で花を撮ろうと考えました。それが最初のコンセプトです。花それぞれが違う枯れ方なので、背景を統一した方が個性が引き立つと考え、白バックで統一しました。

小山田 シルエットが人の体とか服のように見えたり、ファッション写真ぽくなってるのはタジイマックスらしいね。作品として写真を撮り始めたのはいつ?

田島 6年前だね。7年前に開催された札幌国際芸術祭 2014のゲストディレクターが坂本龍一さんで、坂本さんに「田島くんも参加して」って言われて参加した。まわりはみんな現代美術のアーティストで、僕だけコマーシャル写真家だったんですよ。出品した作品も坂本さんに相談しながら撮ったものだったのに、まわりのアーティストは自分で自分のために制作した作品を展示していて、すごくコンプレックスを感じたんだよね。あとから坂本さんにそのことを話したら「そうなると思ってわざと頼んだんだよ」って。そこから自分の作品をつくりたいと思って始めたのが、このシリーズ。

田島一成 JEAN PAUL 2020

──撮影を始めて6年、満を持してAKIO NAGASAWAでの展示が実現しました。

田島 展示ができるくらいの作品点数はとっくに溜まっていたんですけどね(笑)。ファインアートを扱うギャラリーで、できれば世界的に発信することができるところでやりたいと思っていたんですが、そういったギャラリーのギャラリストと知り合うすべを知らなかったんですよ。そんなときにギャラリストの長澤章生さんの評判を聞いて、でも長澤さんは海外に行っていることも多くてなかなか会えない人だと知りました。でも、たまたま僕が「AKIO NAGASAWA AOYAMA」が入居するビルの地下のバーで月に1度DJをやっていたので、ビルのオーナーに長澤さんを紹介してもらえたんです。作品を大きいサイズでプリントして、作品を実寸で見せられるように準備して長澤さんにプレゼンをしたら、展覧会をやりましょうと言ってもらえました。

──小山田さんもギャラリーや美術館に行かれることはよくありますか?

小山田 わりと行きますね。気分転換にも、インスピレーション源にもなるし、自分の日常の一部というか。写真よりも現代美術が多いかな。最近はコロナ禍であまり行けてないけど、去年、東京都現代美術館で見たオラファー・エリアソンはすごくよかったですね。

田島 ものをつくるときに自分のなかにあるものをアウトプットしているので、映画を見たり、音楽を聞いたり、アートを見たり、というインプットの時間がすごく重要だと思っています。心が癒されたり、清められたりする感覚がすごくある。単純に美術館や博物館の空間で、天井が高く、広くて気持ちいい空間で作品に向き合えるというだけでも、気持ちがリセットされる感覚があります。

田島一成「WITHERED FLOWERS」(AKIO NAGASAWA、2020-21)展示風景 提供=AKIO NAGASAWA

撮影者と被写体という関係

──田島さんは小山田さんのソロユニット「コーネリアス」のデビューシングルでCDジャケットの写真を撮影されていますね。

田島 仕事としてはそれが最初ですね。93年だっけ?

小山田 そうだね。そのときに宣材用写真も撮ってもらったけど、タジイマックスに会ったのはそれよりも前で、僕がプロデュースしたピチカート・ファイヴの『Bossa Nova 2001』というアルバムのジャケット撮影がタジイマックスだった。とくに何かを話したわけじゃないけどなんとなく憶えている。信藤(三雄)さんがアートディレクターで、野宮(真貴)さんが宇宙服を着て。

田島 僕はパリに1年住んだあと、東京で初めて編集者とかアートディレクターとか、いろんな人に写真を見せて売り込んだけど、誰も仕事をくれなくて、初めて僕の作品を良いと言ってくれたのが信藤さんだったんですよ。

小山田 信藤さんが「とにかくすごいやつが現れた」って言っていたのはすごく憶えている。

田島 段々仕事が増えてきて、ファッション誌よりもCDジャケットの方が自由な表現ができておもしろかったんですよ。渋谷系の時代だね。

左から田島一成、小山田圭吾

──ジャケット撮影においてコーネリアスの世界観をつくっていくうえで、小山田さんが田島さんにイメージのリクエストをすることなどはありましたか?

小山田 いや、そのころのビジュアル表現はアートディレクターの信藤さんにお任せしていたから、僕はそんなにリクエストはしなかったですね。コーネリアスのロゴをつくりたいということは言ったかもしれない。

田島 信藤さんもコンセプチュアルというより感覚的な人だったので、最初にセットアップを決めてから、現場でいろいろ試しつつどんどん撮らせる人だったんですよ。デジタルじゃないからその場で見せられないんだけど、「田島くんだったらもっとかっこいいのが撮れるはずだ」って、意外と終わらせてくれない(笑)。でもそれが勉強になりましたね。

小山田 信藤さんの現場はそうだったね。でもタジイマックスは最初のころから、年齢は近いんだけどすごく頼りになるというか、多分現場の人が自然と頼りにしちゃう感じがあった。お兄さんな感じというか(笑)。僕は技術の細かいことはわからないけど、タジイマックスはものを撮るにしても人を撮るにしても本当に美しいし、現場で大人数がいてもバシッと仕切るし、任せておけば大丈夫って思ってました。最近もMETAFIVE(2014年、高橋幸宏、砂原良徳、テイトウワ、ゴンドウトモヒコ、LEO今井、小山田圭吾で結成されたバンド)で久しぶりに撮ってもらったけど、タジイマックスにお任せだったね。

小山田圭吾

制作プロセスと表現したいもの

──田島さんはキャリアの初期から音楽関係の撮影をしていますが、ご自身の制作において、音楽の影響は大きいですか?

田島 音楽も写真もつくりあげる過程が似てると思っています。撮り始めた頃は技術力がなく、ニューウェイヴ(*)みたいな感じで、テクニックはないんだけど、こういう感じで仕上げたいっていうこだわりはすごく強かったんです。演奏的なテクニックがなくても、独自のスタイルは持っている。だけどだんだん、ビートルズみたいに誰もがいいと思える音楽をつくりたい、となってきたら技術も必要になってきます。暗室でどういう仕上げをするのか、ハイライトと暗部のバランスをどのように調整するのかといったことは、音楽でいうところのポストプロダクションのミックス作業だったり、過程が似ていますよね。

小山田 暗室作業もそうだろうけど、スタジオでのレコーディングは地味な作業(笑)。でも、作業中に自分が最初にイメージした音から、偶然かつ自分が意図しないものになって、いいものに変化する瞬間、ガラッと変わる瞬間みたいなものがあるんですよ。

──ミュージシャンとして興奮する瞬間ですね。

小山田 それは自分のなかで地味に盛り上がりますね(笑)。それとは別に、コロナ禍でしばらくできていないですけど、ライブなんかはお客さんから直に反応が来るんで、わかりやすく盛り上がる瞬間としてありますけどね。

田島 そうそう、ライブ感を経験してみたかった。いままで自分がつくったものって、印刷物になって人の目に届くことがほとんどだったから、直接自分の目の前でお客さんに作品を見てもらって、いいとか悪いとか言ってもらいたいと思ってたんですね。ミュージシャンもそうだし、シェフとか寿司職人がお客さんに料理を食べてもらうのもそうだけど、自分のつくったものに反応をもらうことに憧れていたので、それが初めてできた感じはありますね。

田島一成 PACO 2019

──鑑賞者からの予期していなかった感想や、制作しながら意図しなかったものに出会った驚きなどは、今後の制作のモチベーションになりそうですね。

田島 驚きは重要です。写真を撮るようになった最初のきっかけは、本当に音楽なんですよ。YMOを聞いてビックリして、プラスチックスを聞いてビックリして、初めてヒップホップを聞いたときもビックリして、「うわ、こんなものがあるんだ」っていう驚きがありました。自分のなかにもともとあったけど、押されたことのなかったスイッチがあって、それを押されるような感覚です。自分の撮った写真を見る人にも、そうした驚きを与えたいと思って撮影を続けてきました。音楽で受けたような衝撃をビジュアルで伝えたいと思っています。

小山田 僕の場合は、つくったものはリリースする前提でつくるんで、まだダメだなっていう場合には出せるようになるまでがんばります。出せるようになる基準を人に伝えるのは難しいんだけど、最初のイメージが音になってカチッとハマる場合もあるし、ずっとハマらず試行錯誤するみたいなこともあって、どちらの場合にしても段々とつくっていくなかでかたちが変わっていくんですね。それが最終的に独特なものになってアウトプットできればいいかな、というのはあるかもしれないですね。

田島 それが小山田くんらしいものなんだね。自分のなかにしかないもので、勘が判断する部分というか。僕としても、この花のシリーズはこのままつくり続ける予定ですけど、アートの世界は無限に自由ですから、どういうものをどういう視点で撮るか、色々と考えたいし、試していきたいですね。

田島一成『WITHERED FLOWERS』(AKIO NAGASAWA)

*──ニューウェイヴ 1970年代後半から80年代にかけて、イギリスで生まれたパンク音楽が多様な音楽を取り入れながら、世界規模で新しい波として生まれた音楽ジャンル。