• HOME
  • MAGAZINE
  • INTERVIEW
  • 身体という闇を照らし出す一筋の線。川内理香子インタビュー

身体という闇を照らし出す一筋の線。川内理香子インタビュー

食への関心を起点としたドローイングやペインティング作品を手がける川内理香子。初のドローイング作品集『Rikako Kawauchi drawings 2012-2020』の刊行を記念し、渋谷パルコの「OIL by 美術手帖」とWAITINGROOMで個展が同時期開催される。川内に、食や身体への関心、そして制作のあり方について聞いた。

聞き手=安原真広 構成=白尾芽 写真=濱田晋

川内理香子

食からその周縁へ

──川内さんは初のドローイング作品集『Rikako Kawauchi drawings 2012-2020』の刊行を記念して、OIL by 美術手帖とWAITINGROOMの2会場で個展を開催されます。それぞれの会場で展示する作品は、どのように選んだのでしょうか?

 通常の展覧会ではひとつのテーマに沿って作品をコーディネートすることが多いですが、今回は作品集の刊行記念ということで、とくに枠組みを設けず、ここ1年で描いたドローイングのなかから自分が好きなものを選びました。渋谷パルコの「OIL by 美術手帖」では、作品集には載っていない最新作と、過去に描いた初公開の作品などを展示しています。

pillow 2020

──活動の初期から一貫して「食」を起点に制作されていますね。幼い頃から食べることに対して抵抗があったということですが、食への関心/不安と制作はいつから合流したのでしょうか?

 物心ついたときから絵を描くのは好きでした。よく「お絵描き上手になりたい」と言っていて、自然に描くことを選んでいました。昔は日本画とか、リンゴやオレンジを描いたセザンヌのポスターの模写などをしていて、食べたいものを描くようになったのは小学校低学年からです。鉛筆で描いていましたね。

 食べることには抵抗があると同時に、ずっと興味があります。自分が次に何を食べたいのかよく考えているし、甘いものが好きなので、お店の情報とかコンビニの新作スイーツを調べることもよくあります。

 でも、お腹が空いているけれど、食べると身体に負荷がかかりすぎるのでセーブするということが昔からよくありました。自分の身体そのものや、そこに異物を取り込むことが脅威的だと感じていて。内と外、身体と思考など、人間のなかにあるちぐはぐな部分を意識させられるのが、自分にとっては食という行為だったんです。でもセーブすると自然にお腹が空いて、また食べ物に目が行きますよね。そういうとき、食べる代わりに、自分が食べたいものを描いていました。

川内理香子

──多摩美術大学絵画学科油画専攻への入学後も、寿司やお菓子などの食べ物をモチーフに制作されていたとか。

 色々とそのときに描きたいものを描いていたのですが、やはり食べ物はずっと自分のそばにあるものなので、自然と描き続けていました。モチーフは実物のときもありますが、画像を見て描くことが多いです。そこに事物があると、現実感がありすぎると感じてしまって。私自身、画面のなかで自分の現実をつくっているような感覚があるので、画像のなかの「リアル」を描くことが自然な気がしています。

──「第9回 shiseido art egg」(資生堂ギャラリー、2015)では、そうした具体的な食べ物に加えて、生物的なイメージやモチーフを描いたドローイング作品を展示されていました。食べ物を取り込むときの身体的な負荷を感じさせるイメージは、どのように生まれたのでしょう。

 「第9回 shiseido art egg」のときは、食そのものにフォーカスしていました。でも、私は考えてから描くというよりも、描いた後に自分が考えていたことに気づく場合が多いんです。自分のなかで何かをイメージ化してから描いているわけではないので、作品には無意識的なものが自然に出てきます。なので、生物的なイメージを描いた作品には、人間の身体や、それが何かを取り込むことなど、もともと自分が食べ物のなかに見ていた解釈や感覚が違うかたちで現れてきたのではないかと思います。

個展「SHISEIDO ART EGG vol.9 : Go down the throat」(資生堂ギャラリー、2015)展示風景 撮影=加藤健
(C) Rikako Kawauchi, courtesy of the artist and WAITINGROOM

自分と対象のあいだに立ち上がるドローイング

──川内さんはドローイングや水彩、油彩だけでなく、針金、ゴムチューブ、ネオン管、樹脂など様々なメディアを扱われています。

 メディアを広げていこうという考えがあったわけではないんです。もともとドローイングも空間に沿って描くというよりは、紙に線を置いていくような感覚で描いていたので、それを実際にやってみようと思い、はじめに針金を使いました。針金の作品では、壁に掛けられたボードから、手前に線が立ち上がってくるような空間をつくっています。

 私は自分のドローイングにも同じような空間性を感じているんです。一般的な絵画には奥行きがあり、かつ内容的にも物語性があって、どちらかというとそのなかに入り込んでいくような空間がありますよね。でも自分のドローイングはその反対で、物語性もあまりなく、手前に迫ってくるような空間を持っていると考えています。

 その後はペインティングで赤い線を描きはじめ、そこから連想してネオン管を使ってみたりと、自分のなかでも色々なメディアが重なりあって作品の幅が広がっていきました。いつか彫刻だけの展覧会をやってみたいと考えています。新しい素材も使ってみたくて、いくつか検討しているところです。

walking 2020 (C) Rikako Kawauchi, courtesy of the artist and WAITINGROOM

──ドローイングの線も物質的なものとしてとらえているのですね。作品には、実際に線を曲げていくような身体的な動きが感じられますが、自らの身体と現れるかたちのあいだにはどのような関係があるのでしょうか。

 線は、人間が何かを描くときに一番自然に出せるものだと思います。描写する、素材を扱うという行為には技術が必要ですが、線はそれ以前に誰にでも描けるし、理解できるものです。美術史のなかでも、ラスコーの壁画などは線で描かれていますし、もっと前の時代には土に線を描いていたかもしれない。だから、線はとても原初的なものですよね。線を描くときは身体的にすごく手応えがあって、それがないと自分が気持ちよくないと思ってしまいます。

 そして、作品は自分だけのものではなく、対象とのコミュニケーションの末に生まれるものだと考えています。人とのコミュニケーションでも、その人が誰なのかによって関係性が変わってきますが、ものに対しても同じで「この関係が一番いいだろう」という感覚によって表現が決まっていきます。

 制作しているときが一番対象と近くて、やがて「もう手を触れられないな」と感じるときが急にやってくると、作品が完成します。完成した作品はすっと自分から離れて、完全な他者になるような感覚がありますね。

Hold the knife in one hand, while grasping his crotch with the other hand and then say Don’t fuck of me 2016
where is the face 2018

──新型コロナウイルスによって、他者との距離について意識させられる生活が続いています。川内さんはつねに自身の身体に意識を向けて制作をされていますが、他者の身体についてはどのようにとらえているのですか。

 私は自分の身体というよりは、もっとプリミティブな身体について考えています。人はそれぞれ身体を持っていて、それに対する意識は普遍的なものですよね。なので、まず身体を持っているという点において、他者とのあいだに区別や断絶をあまり感じないんです。食についても、食べ物自体ではなくて、自分ではないものが身体のなかに入ってくるということに興味があります。食べることはすなわち異物を取り込む行為で、ウイルスも同じですよね。そして異物が自分をかたちづくっているということは、自分自身も異物であり、他者かもしれないと思っています。

──川内さんが描く線や管という要素からは、食べ物を取り込んで身体に運んでいく食道や血管なども連想されます。

 すごく意識しているわけではないですが、身体の構造との関係もあるかもしれません。例えばネオンは、ガラス管のなかを水のような物質が流れてめぐることで光を放っています。その構造は、身体そのものとも重なっていますね。

Folklore 2015 (C) Rikako Kawauchi, courtesy of the artist and WAITINGROOM

──今回はOIL by 美術手帖での展覧会とあわせて、ZINEも制作されています。写真をメインにしたものですが、写真はどんなときに撮っているのですか?

 写真はドローイングと同じで、気がつくと撮っているという感じです。以前は食べたいと思うものを描いていましたが、いまはそれとは少し違って、食べ物が食べ物に見えないときや、身体と重なり合って見えたときにはっとすることがあって。それが生の状態で見えてくるような感覚を残すために、シャッターを切っています。写真はカメラの画面を見ないで撮っていますね。ドローイングにも似ていますが、自分と対象の関係にだけ発生する、イメージ化されすぎないものを出したいと考えています。

──個展「Tiger Tiger, burning bright」(WAITINGROOM、2018)の際には、ステイトメントに「コントロールできない領域を一瞬のうちに留め、つねに動き続ける不安定な状態のものに、つかの間の理解と変化を促す境界探しの綱渡り」と記されていますね。こうした言葉には、不安定なものとしての身体をつねに追い続ける川内さんの制作のあり方が垣間見えます。

 私は描くのがとても早いほうです。長く描いているとイメージや考えが固定されてきて、「こういう風に描こう」と考えすぎてしまいますよね。それよりも前の段階で、意識を超えて自分のなかにあるものが出てくる作品のほうが、複雑で豊かさがあると思っています。

 私にとって自らの身体というのは、絶えず変化する、脅威的な「よくわからない」ものです。しかし作品では、よくわからない自分の身体の状態を、一瞬のうちに凝固させることができます。そうして留めておいたものを後から眺めることで、少し理解ができる気がするんです。制作を通して、身体という闇につかの間の光を当て、その領域を少しずつ増やしていくことで、全体像を浮かび上がらせていくような感覚で制作しています。

川内理香子

編集部

Exhibition Ranking